第11話 草莽
「暗い顔すんなよ、姉御。こっちの方が性にあっているさ」
クロエは、そう言って笑うゲインにいつも勇気づけられる。
県令の仕事を早くも失って半月、三人とそれに従う少数の騎士団の仲間たちは、なかば非公認の傭兵のような仕事をして各地を転戦し、山賊と化した角帽党の残党とやりあっていた。
「ゲインには頼もしい相棒も出来たしな」
ユスフもキシュキシュと牙を鳴らして笑う。
ゲインは今や馬ではなく、
角帽党が捕らえていたこのオオトカゲに似た生物は、いわばリザードマン専用の座乗動物であり、走りは馬に劣るが、素晴らしい特性があった。
前方の河を渡った先の洞窟に、今日追い詰めた角帽党の残党達が逃げ込んでいる。
「よしきた。出番だぞ」
石竜子はゲインを乗せたまま河の上を走り始めた。
足の裏に特殊な水かきがあり、水上を歩行できるのが石竜子の強みである。
クロエはその不思議な光景を見送りながら、県尉の仕事を失ったいきさつを思い出していた。
◇
県尉の仕事は退屈であったが、クロエ達は真面目にその仕事をこなし、県の治安は日に日に向上していった。
そこに、都からクロエ達の仕事を査察する勅使がやってきたのである。
貧しいながらも心をつくして接待したクロエたちであったが、勅使はことあるごとに不満そうにこういうのだった。
「都からわざわざこんな田舎まで来たのだ。誠意というものを見せてもらわないとなぁ」
こいつは賄賂を要求している。
さすがにそんなものを払うわけにはいかない。
クロエは気づかないふりをして、その要求を交わし続けた。
「なんて野郎だ!やっちまいましょう、姉御」
「やめろゲイン、姉者が耐えているというのに、私たちがそれを台無しにしてどうする」
耐え続けたクロエであったが、査察期間中の最後の晩、酒に酔った勅使がこんな事を言った。
「しかし、よくよく見れば中々の器量ではないか。なに、誠意というのはな、金銭とも限らんのだぞ」
勅使は汗ばんだ手をクロエの胸に差し入れてきた。
クロエは咄嗟にその腕を捻りあげ、組み伏せてしまった。
勅使が豚のような悲鳴をあげるので解放すると、彼は口角に泡を飛ばして喚いた。
「覚えておれよ、小娘。この俺様に逆らったらどうなるか、教えてやる」
翌日、小川で水練していたゲインが町の門に差し掛かると数人の農民が泣きながら縄に繋がれているのが目に入った。
「おい、お前ら、何があってこんな目にあわされているのだ」
「勅使様の下人が、訴状を持って出て行こうとしていたので、悪い予感がしまして、仔細をたずねたんでさ。すると、クロエ様がおら達をいじめているだの、税を不当に取り立てて私腹をこやしているだのと書いてあると言うんです。おら達はクロエ様を母親のように慕っておりますけ、そんな嘘っぱちはやめれと抗議したら、こんな事になっちまって」
ゲインは村人達の縄を解くと気炎を吐いた。
「お前ら、これから俺のやる事に決して関わりあいになるなよ。巻き込みたくはないんでな」
ゲインはパルチザンを肩に担いで、勅使の泊まる宿舎に真っ直ぐ向かうと、その扉を蹴破った。
勅使の下人達が取り押さえようとすると、その尾と牙でもって散々に打ちのめし、悲鳴をあげて逃げようとする勅使をついにふん捕まえてしまった。
ゲインは勅使を簀巻きにすると、木に吊るしてしまった。
「お前のような悪党がのさばっているのは、天にましますアザト神の目が節穴っちゅうことだ。そこで、天に代わってこのゲインが懲らしめてやらぁ!」
ゲインはパルチザンの柄で勅使を散々に打ちのめした。
やがて見物人が集まるほどの騒ぎとなり、クロエとユスフもその場に駆けつけた。
「……ゲインめ、悪い癖が出たな」
ユスフはそう言うものの止めに入らない。
「ゲイン、なんてことをするの。やめなさい」
クロエがそう言うと、ゲインはその手をようやく止めた。
「だってよう、こいつが都に手紙を送って、姉御のことをはめようとしてたんだ。俺ぁ、悔しい。こんなやつにいいようにされて、黙ってるだなんて、間違っているぜ」
泣き始めたゲインに、クロエもかける言葉が見つからない。
じっと黙っていたユスフが、木に吊られた勅使を指差して言う。
「このまま河に沈めてしまいましょう」
「ちょっ、何を言いだすの、ユスフ」
「都への訴状が届いたら、どの道われわれはお尋ね者です。助ける意味はありません。となれば、こんな俗悪な者を生かしておくのは、世の中に害こそあれ、なんの益もない。この際だから世のため人のために始末してしまいましょう」
そう言いながらユスフは勅使の顔をチラリと見た。
「た、助けてくれ!クロエ殿!命ばかりは助けてくれ!訴状は、すぐに取り消しの文書を出す。査察の結果も、極めて優秀ということで報告する!あなたを将軍でも太守でもなんでも望む仕事に推薦するから、助けてくれぇ」
ユスフは自分の演技で望む言葉を勅使から引き出したので、笑みが漏れそうになったが堪えた。
しかし、クロエがつかつかと進み出た。
「黙れ、下郎。お前の推薦などいらん」
乾いた音が鳴り響いた。
クロエが勅使の顔を平手打ちした音だった。
「そう来たか!いや、それでこそ我が主にふさわしい」
ユスフがキシュキシュと牙を鳴らして笑う。
クロエは勅使の耳元で囁くように言う。
「角帽党のような賊徒を除けば天下は平穏になると思っていたが、それは誤りだった。賊は言わば腐った天下にわいた蠅であり、本当の元凶は天下を腐敗させたお前のような害吏だ」
クロエは抜剣すると、ヤッと一声、その名剣を閃かした。
「お前をここで始末するのは容易いが、帝に目を覚ましてもらわないといけない。この印綬は一旦お返しします、陛下が奸臣を退け王道を開かれたなら、再びお仕えいたします。そうお伝えしろ」
クロエが斬ったのは、勅使ではなく、彼を吊るしていた縄だった。
自分が斬られたと勘違いして失神した勅使の横に、印綬を置いて、三人はアンキルスの地を後にした。
◇
そんな出来事を思い出していると、石竜子に乗ったゲインが洞窟から飛び出してきた。
「なんか変なのがいる!」
洞窟からは続いて這々の体の角帽教徒が出てきて、その後からは、とんでもなく大きな虫が走ってきた。
その虫は、四本の前脚と非常に大きな後ろ脚を備えていた。
虫は目を赤く光らせて跳躍し、足下に捉えた一人の角帽教徒を踏み潰した。
恐慌をきたして走ってきたもう一人の角帽教徒の首を、ユスフは素早くグレイブではね飛ばした。
虫は牙を擦らせて、不快な音を鳴らす。
剣に手をかけるクロエを制して、ユスフが進み出た。
ユスフもまた牙を鳴らす。
虫が音を返す。
そうした問答が続いた後、虫の目が青く光った。
ユスフが言った。
「話がつきました。彼は私と組んでくれるそうですよ」
虫の正体は、クラッコン族の
竈馬は高い跳躍力を売りにしており、クラッコン族だけが意思を疎通できる。
仕事を終えて報酬を受け取りに闇の傭兵組合へと戻ると、組合の親方はにやついていた。
「帰ってきて早々になんだが、傭兵たち全体に関係するデカい仕事が来たぜ。読むかい?」
その羊皮紙に書かれていたのはこのような内容であった。
北部軍管区長官ネグローニ将軍が、新たに立った皇帝の身柄を拘束し、都で残虐無道の行いをなしている。
打倒ネグローニのため志ある貴族が連合し、陛下を救うために立ちあがろうとしている。
この義挙に加わる者があれば、過去の罪は問わず、能力に応じて正当な恩賞にあずかることを約束する。
この檄文を書いた者の名は、クロエもよく知るゼノン将軍であった。
「姉者、どうなされる」
「乗る!」
力強く答えるクロエであった。
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