第40話 一進一退

 ハスティア州の陥落を聞いたゼノンはこめかみを抑えながら言った。


「そうだ、クロエからの使者はまだおるか。まさか、斬ったりしてはいないな。よし、呼んでこい」


ゼノンは流れるような筆致で書状をしたためると、呼び出した使者にそれを自ら渡した。


「クロエ殿の申し出は確かに一理ある。このゼノンは仰せに従って潔く撤兵すると伝えられよ」


使者はゼノンの態度の急激な軟化に驚きつつ、帰路についた。

使者とすれ違いにゼノン軍は潮のように退き、今度はゼノン自らが指揮してハスティア州へと向かった。


 ゼノン軍が退き、使者からクロエの説得が功を奏したーーこれは実際は偶然に過ぎなかったがーーと聞かされたジョシュア州の城兵は、クロエを救世主メサイアとまで呼んで歓喜に打ち震えた。

すると、またトゥーギンは国譲りの話を蒸し返した。


「ほら、やはりクロエ殿がこの州を教え導くべきなのです。わしは、実は病に侵されております。死にゆく老人の願いを聞き届けてくだされ」


しかし、クロエも譲らない。


「トゥーギン殿、貴方には立派な御子息がいるではありませんか。御子息に譲られるのが道理でしょう」


「息子……おるにはおるが、あれは軟弱で、とても重責に耐えません。そんな些末なことは気にせず、どうか、どうか」


結局、クロエはジョシュア州が安定するまで太守の補佐をするという形で近郊のハイランド城に駐屯することとなった。


ゼノンは怒涛の如く押し寄せてハスティア州を見るや、西の砦が手薄である、と見抜いた。

彼はカリラオスとカリクレスの兄弟、それに磨羯カプリコーンことブルスを差し向けてこれを攻めた。

西の砦はたちまちに陥落して、ロイガ城に本陣を置くジナイーダの部下達は大混乱に陥った。

ジナイーダの軍師テオドロスは、主君の部屋を勢いよく開けた。


「閣下!ジナイーダ閣下!西の砦が落ちましたぞ。わたしがあれほど西が手薄である、手を打つべきだ、と申しましたのに……あ、失礼」


半裸であったジナイーダは大欠伸をしながら鎧兜を身につける。


「寝起きにうるっさいな、もう。直ぐに取り返してくるから、静かに留守番してな」


彼女は得物のハルバードを掴むと窓から飛び降りた。

窓の下には紅い肌の愛馬エリュトロンが控えている。

エリュトロンに飛び乗ったジナイーダは、獅子のように吠えた。


「開門ッ」


 西の砦に旗を立て勝ち誇っていたゼノンの陣に、稲妻のように単騎で飛び込んできた騎馬武者があった。


「ジナイーダだ!討ち取れ!」


しかし、ジナイーダがハルバードを一振りするたびに雑兵の4、5人が吹き飛ばされて肉塊に変わる。

カリラオスとカリクレスの兄弟の放った矢がジナイーダの六つに割れた腹筋に当たったが、まるで金属に当たったような音を立てて矢の方がへし折れ地に落ちた。


「あれが鎧骨格カタフラクト……化け物め」


カリラオスは隻眼を歪ませて舌打ちをする。

エルフ兵たちも次第にジナイーダに対し、遠巻きになっていく。


「何をやっている!陣形を組み直せッ」


砦から出てきたゼノンは馬上でその長い耳を震わせた。

人間族の兵士には聞こえない音の波が、エルフ兵の耳から脳を揺らした。

エルフ兵は整然と隊列を組み直すと、矢の雨をジナイーダに降らせた。


「“鬼殺し"のジナイーダとて、不死身ではない。畳みかけろ」


しかし、その時、上空からの矢がゼノンの頬を掠めた。

空を見上げるとそこには鳥人ホークマンの傭兵ハルケが脚に弓矢を構えて舞っていた。

続いて砂埃を巻き上げてジナイーダの右腕コイノス将軍の率いる騎兵が殺到し、たちまち混戦に陥った。

砂塵の中で、ゼノンは落馬した。

起き上がった彼は、周囲の味方が屍へと代わり、供の者もいなくなってしまったことに気がついた。

振り返れば西の砦にはジナイーダ軍が再び旗を立てている。

これはしくじったぞ、とゼノンが蒼ざめたとき、野太い声が聞こえた。


「ご主君、これはしてやられましたな」


磨羯カプリコーンか」


カプリコーンことブルス将軍が騎乗して後ろにあった。


「ひとまず逃げましょう。お任せあれ」


ブルスはゼノンをひょいと持ち上げて馬に二人乗りにすると、後ろの二名の騎兵に言った。


「敵が十歩の間合いに近づいたら、言え」


ブルスは馬に鞭打ち、走り出した。

馬は砂塵の中を疾走する。

背後の兵が叫ぶ。


「十歩!」


ブルスは鎧の前に挿した短剣を一本抜くと、斜め右に放った。

敵兵の悲鳴が上がり落下した音もかろうじて聞こえた。

走る馬、叫ぶ騎兵。


「十歩ッ」


ブルスは今度は左後ろに短剣を投げつけた。

敵の短い断末魔、見て確認する余裕はない。

再び走る。


『十歩ォ』


投擲、悲鳴、土煙。

今度は正面から敵の騎兵が肉薄してきた。

ブルスは最後の短剣を投じる。

狙いは僅かにそれ、虚空に吸い込まれた。

さらに肉薄する敵騎兵。

ブルスは突き出された槍を、はっしと掴んだ。


「どいてもらおうかっ」


ブルスは槍ごと敵兵を放り投げてしまった。

更に駆けると、数騎が近寄ってきた。


「ブルス将軍か、無事だったか」


「カリクレスか。ご主君も、ほれここに」


かくてゼノンとブルスは死地を脱することが出来た。

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