第19話 一杯の酒

 ティンダロスの巨大な関所には、後アルカディアを開いたレオン大帝の猟犬が彫られている。

挙兵の時より大帝に付き添ったこの忠犬は、この関所で繰り広げられた激戦の最中、降り注ぐ矢玉から主人を庇い、命を落としたのだという。

ティンダロス関の戦いといえば、レオン大帝がこの関を落としたその戦いを言うのだが、いわば第二のティンダロス関の戦いがいま始まるところであった。


「騎士コスマス殿、騎士ハラランボス殿、戦死!」


反ネグローニ連合の陣中に運び込まれた騎士二人の死体は首や腕をもぎ取られた、凄惨なものだった。

その惨状は、怪物じみた敵将カリニコスの膂力の凄まじさを示していた。

総大将ミハエルは唸る。


「ううむ、カリニコスはやはり手強いな。誰か奴を討ち果たす勇者はおらぬか」


沈黙の中にあんたがいけよ、と誰かが呟く声がいやに響いた。


「ははは、総大将の私が行っては、まるで連合が危機的状況にあるようではないか。今はその時ではないな。ああしかし、こんな事なら我が配下のカストルとポルックスを連れてくるべきであった」


カストルとポルックスの二将は勇名をもって知られていたが、ミハエルは自身の本拠地カナアンの後詰めとして二人を残してきていた。

悪びれずに言うミハエルの前に沈黙が続く。

ミハエルがちらりとガブリエルのほうを見る。


「ガブリエル、元はと言えば君がアレス将軍の機嫌を損ねたのがまずかったのではないか」


ガブリエルは傲然とした態度で返す。


「何を言っているかわかりませんなぁ。兵糧が腐っていたというのはもちろんわざとではないし、それでもアレス殿が抗議してくるものだから、現場の責任者はもう処刑しましたよ。終わった話を蒸し返さないで頂きたい」


再びの沈黙。

それを破るのは、場にふさわしくない些か高い声だった。


「私がやります」


進み出たのはクロエであった。


「このご婦人はどこのどなたかな」


ミハエルがそう問うと、クロエ本人より前にミハエルの傍にいた騎士ホーソンが反応した。


「クロエ、君も参加していたのか。ミハエル殿、この者は私の学友でペルシカ村のクロエという者にございます」


「ほう、レフコンス卿の知己か」


「私はペルシカ村で育ちましたが、本当の血筋は今は亡きズールー王の娘。この剣把に光る宝玉がその証です」


クロエが剣を掲げると青く輝く九龍の宝珠が辺りを照らす。

並の代物ではないことは素人目にもわかるほどであった。

列中にいる騎士ダモクレスがなぜか、しまった、とでも言うような顔をしていた。

ミハエルも眩しそうに宝珠を見つめながら言う。


「俄には信じがたい話だが、しかし、その宝玉……ううむ、まあその話は一旦置いておこう。腕前の方はどうなんだ」


「クロエ、君が剣をそれなりに使えるのは知っているが、それでもカリニコスにかなうとは到底思えんぞ」


反論しようとするクロエを抑えて、その後ろから一人の蟲人クラッコンが姿を現した。

長く伸びた触覚、蒼い炎を湛えた複眼、鉄鋼のような外殻。

その姿は騎士達に、レオン大帝を支えた十二神将の一人である神蟲カツァリダを想起させた。


「我が名はユスフ。クロエ姫の義弟にして姫に仕える第一の騎士なり。それがしが、我が主に代わって敵将カリニコスの素っ首を届けてみせよう」


ミハエルはその迫力に気圧されぎみの様子である。


「ど、どこの誰ともわからん馬の骨に先鋒をまかせるのは……」


そこで口を挟んだのはゼノンであった。


「どこの馬の骨ともわからない者が名のある方々の前で手を挙げたのだ。よほどの自信があるということさ。それに彼なら例えダメでも君の威信には傷がつかない。ものは試しだ。任せてみてはどうかな」


ゼノンにそう言われるとミハエルはにわかにそんな気がしてきたので、快活に歯を光らせて笑う。


「それもそうだな。よし、蟲人の戦士よ。君に任せよう」


「よし、そうと決まれば」


ゼノンが指を鳴らすと熱燗の酒が運ばれてきた。


「戦いの前に気付の酒だ。景気よくあけてくれ」


ユスフはカッカッと顎を鳴らす。


「それは敵将カリニコスとやらを討ってから頂きますゆえ、お預けします」


ゼノンは怪訝な顔をした。


「それでは酒が冷めてしまうぞ」


ユスフは複眼を光らせる。


「酒が冷める前に戻ります」


 敵将カリニコスは引きちぎった騎士の首を振り回して遊んでいたが、配下のオーク兵達がどよめき始めた。

その矛の一振りごとに、数個の首が宙を舞う。

人間族の兵士たちを圧倒してきたはずのオーク達が、悲鳴を上げながら後退してくる。

猛烈な勢いで迫ってくるのは、巨大な竈馬にまたがったユスフであった。

カリニコスは騎士の首を投げ捨てる。


「キキッ。また、一騎打ちだなんだという阿呆の手合いか。このカリニコス様の四本の腕で、お前もすぐにばらばらにしてやろう」


ユスフは冷ややかに返す。


「昨日今日生やしたような不自然な腕でいきがるな。我が種族には珍しいことではない。私はクロエ姫に仕える、騎士ユスフだ」


ユスフは右の上腕に構えた自慢のグレイブの他に、背中に背負った行李こうりから、メイス、ククリ、チャクラムを構えた。


「いざ、尋常に勝負」


ユスフは左の上腕に構えたチャクラムを投擲した。

正確に飛んだチャクラムは、回転しながらカリニコスの右上腕を俄に切断した。


「な、なにッ!」


「まずは一本!」


ユスフは竈馬に鞭を入れる。

竈馬は日光を背にして、一気にカリニコスの眼前まで跳躍した。


 判刻も過ぎないうちに、ユスフは戻ってきた。

ガブリエル将軍が底意地の悪そうな声音で言う。


「ずいぶん早いな。まさか歯が立たずに逃げ帰ってきたのではあるまいな」


ユスフはガブリエルを無視して、ミハエルの前まで進むと、包の中から湿ったものを取り出した。


「さあ、諸侯がた、首実験の時間ですぞ」


包の中には、狒々のような首が入っていた。

念押しとばかりに毛むくじゃらの腕が四本入っていたため、それがカリニコスのものであることを疑うものはいなかった。

ゼノンが杯を差し出した。


「やったな。宣言通り、まだ温かい。大したものだ」


ユスフはぐいと飲み干した。

更に酒を勧めるゼノンを、ユスフは止めた。


「それがし一人の誉れではありません。その一献は我が主クロエ姫、そして全軍のために挙げて頂きたい」


「フフフ、それは良い。ユスフと言ったな。気に入った。覚えておこう」


勝鬨が上がり、兵士たちにも酒が振舞われるところとなった。

上がった士気とその勢いに任せて関をうち破ろうとする反ネグローニ連合軍だったが、その行手にはさらなる強敵が差し向けられることとなるのである。

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