第20話 ダモクレスの剣
「カリニコス戦死!戦死!あれあれ、無敵のネグローニ軍が敗退だよ?」
「蟲人の雑兵にやられたんだって!ださーい!」
笑い転げる道化のバクシーとルコックを蹴飛ばしてジナイーダ大将軍が宰相ネグローニの前に進み出る。
「ティンダロス関でカリニコスが破れたとか。次はあたしが出よう」
準備万端とばかりにハルバードの石突で床を叩くジナイーダ。
その背後をネグローニは指差す。
「お前はまだだ。次はこいつらに行かせる」
ジナイーダの振り向いた先にいたのは、ジョエルとリモネッロという二人の将軍だった。
ジョエルはなんの変哲もない人間族の将軍だったが、リモネッロの方は腕が蟹の鋏のようになっていて、ネグローニの外法により強化されているのは明らかだった。
しかしジナイーダはジョエルの方だけを見て言った。
「ま、こいつは中々やるようだけど、いちおう近くで見さしてもらう。もしも遅れを取るようだったらあたしが出る。それでいいでしょ」
「好きにしろ。……時にジョエルよ。連合の総大将ミハエルの親戚縁者がまだこの都アムルタに残っておったな。出かける前に掃除していけ」
「はっ」
ジョエルとリモネッロは都に残っていたミハエルの一族の屋敷を襲撃すると、老人や女子どもに至るまで皆殺しにし、広場にさらし首にしてから出立していった。
◇
反ネグローニ連合軍は、騎士ホーソン、騎士ダモクレス、そしてクロエを将としてティンダロス関に攻勢をしかけていた。
その少し後ろにはゼノン麾下の軍勢が控えている。
クロエは旗持ちに九頭竜の旗を持たせて、オーク兵達と渡り合っている。
人間の兵士よりも膂力に優れるオーク兵ではあったが、数の上では連合がわずかに上回っている。
勢いに乗って、一気に打通することも可能に思われた。
「突出するな、クロエ殿!敵の動きが変わったのが。わからんのか」
騎士ダモクレスの声に、ハッとなる。
周囲はいつの間にかオーク兵に囲まれていた。
「かかったな!」
オーク兵の背後から赤い塊が伸び、クロエの胸当てを打った。
それは巨大な蟹の鋏のようなものであった。
落馬したクロエの前に、敵将の一人、リモネッロ将軍が姿を現した。
「幸先いいぜ!指揮官を順繰りに潰してやる」
蟹の鋏が再び繰り出される。
しかし、それはわずかに身を屈めただけのクロエに当たらず、地面を打った。
「あれ、クソツ、もう一回だ」
鋏が振り下ろされるその前に、金属音と共にリモネッロがのけぞった。
投擲された盾が、命中したのだ。
「お前の相手はこの俺だ」
ダモクレス将軍が剣を抜いて、リモネッロに挑みかかる。
「ふん、ネグローニ様に頂いたこの腕には叶うまい」
しかし、リモネッロの攻撃は空を打つばかりだ。
大して、ダモクレスは最小限の動きで距離を詰めていく。
リモネッロは周囲のオーク兵を見渡す。
「お、おい、お前ら、俺は一騎打ちするなんて言ってないだろうが。助太刀せんか」
「新しい力を、お前はまったく使いこなせていない。そんなけったいな物に頼らずにおれば、もう何合かは持ち堪えただろうにな」
オーク兵が動く前に、ダモクレスが剣を振り抜く。
リモネッロの首が宙を舞った。
間髪入れずにダモクレスは地面にうずくまるクロエを拾い上げる。
殺到する敵兵を剣で斬り払いながら、素早く馬に鞭を入れると、戦線から後退する。
「ダモクレス殿、かたじけない」
「いいんだ。私には貴女を助ける理由が……」
その時、一本の鋭い矢がクロエ目掛けて飛んできた。
それは敵方からではなく、自陣から放たれていた。
矢は、クロエの顔ではなく、咄嗟にクロエに被さったダモクレスの首を貫いた。
「ダモクレス殿!」
馬からずるりと落ちたダモクレスを助け起こす。
傷口がみるみるうちにどす黒く変色していく。
強力無比な毒が使われていることは明らかだった。
「出自を公言するな、と言ったのは、こういうことが、あるからだ」
「そんな、でも貴方は私の言っていることを信じていなかったんじゃあ」
ダモクレスは剣の柄を指し示す。
そこには、意匠は簡素ながら、九頭竜の紋章が刻まれていた。
「私は、あなたの父上に叙任してもらった、元はズールー王国の騎士です。旧主の顔を忘れるはずもない。貴女はお父上にそっくりだ」
ダモクレスの身体から熱が失われていく。
「そんな、ダモクレス殿!死なないで、父や母のことを、もっと教え……」
「主君は護れなかったが、その御子は護れた、騎士の本懐」
糸が切れた人形のようにダモクレスは動かなくなった。
「大丈夫か、姉御!離脱しよう、本陣が別の敵将に襲われてる!ユスフの兄貴はそっちを助けに先に行った」
鰐人ゲインがバジリスクに乗って馳せ参じた。
「待って、この人も」
「もう死んでる、可哀想だが、荷物になるだけだ」
クロエはせめてもと、ダモクレスの剣を形見に取り、バジリスクに乗った。
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