第33話 天使
ジナイーダは墓所の発掘現場にて、遂にそれと対面した。
帝室の墓所から現れた巨大なそれは、花椰菜のようなぶつぶつの頭部を持ち、小さな六つの目を備え、口と思しき部位からは頭足類の足あるいは触手のような物が生えていた。
二十キュピト(約40米)はあろうかというその体躯は、全身が鱗とも瘤ともつかない突起に覆われ、その背には折り畳まれた皮の羽がある。
「壁画や教典に記された通りの見た目ね。これぞ“
しかし、これを掘り当てたと言う事は心中に秘した陰謀の決行が近いということでもあった。
ジナイーダはごくりと唾を飲んだ。
◇
発掘に成功した天使のお披露目を大々的に行なうというネグローニの意向は誰にも反対されることもなく準備が整えられ、その日を迎えることとなった。
皇帝ヨハネス、尊厳公ネグローニ、大将軍ジナイーダそして司法長官オーウェンとその息子モルフェウス。
その他、名のある貴族は帝室の墓所の前に参列した。
聖遺物のこととあって、動乱の中で完全に空気となっていた
総主教エウセビオスは白の祭衣を纏いて
「父たる神アザト、子たる聖者ナイ、聖霊ヨグソトスよ。
総主教が胸の前に指で五芒星を切ると、皆が唱和する。
「イア・イア・アザト・フタグン」
ネグローニは発掘された天使のもとに皇帝ヨハネスを伴って、進んでいく。
その背後から道化の
「ねぇねぇ、ネグローニさま。もう、僕たちに引き渡す約束だよ」
「もったいぶらないで、さあさあ」
ネグローニは二人を無視する。
「陛下、さあ、支配の指輪を掲げるのです。そして、こう唱えるのです。フングルイ・ムグルウナフ・クトゥルフ・ルルイエ・ウガナグル・フタグン、と」
ヨハネス帝は指輪をかざし、唱える。
「フングルイ・ムグルウナフ・クトゥルフ・ルルイエ・ウガナグル・フタグン」
静寂が続く。
ネグローニは目を剥いて、ヨハネス帝の手を掴むと、アッと叫んだ。
「小僧!きさまぁ、これはなんだ!本物は、本物の支配の指輪をどこにやったッ!」
「さあね。兄上が、お前に連れて行かれる前にこう言った。僕が殺されたら、支配の指輪はヨハネスのものになる。決して悪党に使わせるな、と」
ネグローニはげらげらと笑う。
「あの愚鈍なガキが、マヌエルが、そう言ったのか」
「兄上はお前たちのような大人から見たら、ぼんやりした臆病な人だったかもしれない。でも、芯には皇族の誇りを持っていたのだ。何を企んでいたかわからないが、その慌てようは傑作だなあ、ネグローニ。天上の兄上よ。このヨハネスは兄上の仇に一矢むくいましたぞ」
ネグローニは目を血走らせて、ヨハネスの首を絞めた。
「吐けっ!指輪を!どこにやった!」
参列していた中から、司法長官オーウェンが詔勅を手にして躍り出た。
「見よ、ネグローニの逆心はここに明白となった。この皇帝陛下の詔勅を読み上げるまでもない。大将軍ジナイーダ殿、逆賊ネグローニを討伐めされい!」
ジナイーダは跳ねるようにネグローニの背後に近づくと、ハルバードでその背を撃ちつけた。
背骨の砕ける音が響き、鮮血がそれに続いた。
ネグローニは這いつくばりながら叫ぶ。
「ふざけるな、馬鹿どもめが。私が魔を欺いて外法や古の知識を学び、天使をも掌握したのは、その武を持って、魔を滅ぼすためだったのだぞ」
ジナイーダはきょとんとする。
その傍にモルフェウスがいるのを見て、ネグローニは血を吐いた。
「なるほど、モルフェウス。お前がそのうつけを誑かしたのか」
ネグローニは目を見開いた。
「愛などというものは、やはり害悪だ」
ネグローニは動かなくなった。
その屍の周りに二人の道化、バクシーとルコックが転がってきた。
「あれあれ、ネグローニさま。協力者だと思ってたのにににねねね」
「どうやら、違ったんだね!ざざざんねん!やはり、
言葉がぶれるように喋る二人の姿は、まるで鏡を引っ掻いたような不可思議な模様を描き、そして其の身体は弾け飛んだ。
正確は二体の玩人族の身体が弾けるように膨張し、二体の怪物が姿を現した。
ジナイーダは息を呑む。
「
バクシーは全身が鋭いトゲに覆われ、ひょろ長い首の先にはネズミめいた尖った顔がはりついた怪物ーーペルーダーーに。
ルコックは嘴の横に象のような牙を生やした巨大な鳥、それも食肉にする前に羽毛を全て取ったような裸めいた鳥ーーガルグイユーーになった。
二体は野太い声で吠えた。
「滅ぼすべし」
ルコックがその口からドロドロした液体を吐くと、ネグローニの身体がみるみる内に溶けて、その跡には佩用していた五指剣しか残らなかった。
バクシーが身を震わせると、身体の棘が四方に飛び散った。
その棘は咄嗟に皇帝に覆い被さった司法長官オーウェンに、そしてその攻撃を弾いたジナイーダの横にいるモルフェウスにも刺さった。
「モルフェウス!」
ジナイーダが助け起こすと、モルフェウスにはまだ息があった。
「しっかりして、モルフェウス!今助け……」
「君には言わなければならないことがある」
「そんな、気をしっかり持って」
「君が西方に旅立ってから、一日たりとも思い出さなかった日はない、そう言ったね」
涙ぐんでうんうん頷くジナイーダに、モルフェウスは静かに言った。
「あれは嘘だ」
事切れたモルフェウスを、ジナイーダは静かに地面に置いた。
◇
バクシーとルコックは天使に向かってずしんずしんと進んでいく。
「制御できないなら破壊して帰還せよと、メサイア様は仰せだ」
「もったいない。ラヴクラフト種のディアボロス族など、滅多にお目にかかれないと言うのに」
マスコット族を装っていたころの面影のない野太い声を発する二体に、後ろから跳躍する影があった。
「食らえ!」
ジナイーダが背後から振り下ろしたハルバードはバクシーの背の棘を何本か叩き折り、背の表面に小さな傷をつけた。
「いってえな。なんだ、お前は騙されていたんだろ。敵討ちでもあるまいに」
「なんでもいいから、暴れたい気分なんだよ!死ねっ!」
バクシーの首が鞭のようにしなってジナイーダを叩こうとするが、ジナイーダは身体を捻って宙空でそれをかわし、ハルバードの斬撃を叩き込む。
何度目かの斬撃ではバクシーの身体から遂に紫色の血がほとばしった。
「何を手こずっている。バクシー」
ルコックが羽ばたいて、宙空を舞うジナイーダを脚の爪で掴んだ。
「お前は任務の邪魔だ。離れて戦おうじゃあないか」
「離せっ、この」
地上では墓所を入り口で警固していたジナイーダの子飼いの部下たち、頭を剃り上げたコイノスと
「あ、姐御が拐われる!追うぞ、ハルケ」
「ふん、報酬は上乗せしてもらうぞ」
コイノスがハルケの背にまたがる。
ハルケは羽をのばすと大きく羽ばたき、風に乗って上空に消えつつあるジナイーダを追うのであった。
地上では再びバクシーが天使へと攻撃を加えようとしていた。
しかし、死体の中から身を起こした皇帝ヨハネスはかけつけた近衛軍の兵士を見るや、バクシーを指差してこう言った。
「聖遺物を害する魔族である!者ども、直ちに排除せよ」
近衛軍は初めて見る上位種の魔物に怖気を感じつつも、遠巻きに矢を射る。
バクシーは振り返って、その鎌首をもたげる。
「皇帝ヨハネス。ヒトの指導層は先に片付けておくか」
バクシーが身体を震わせるとまた棘が飛んでいき、多くの兵を薙ぎ倒した。
守る兵を失った皇帝ヨハネスにバクシーがゆっくりと近づいていく。
その鎌首がヨハネスの頭を打とうとした時、閃光が迸った。
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