第36話 遭難

 ゼノンの父ゼノビオスは、自分を都に迎え入れようという息子からの手紙にいたく喜んだ。


「わしの親類はみな、わしの弟さえも、やれゼノンは性根が曲がっているとか、不良だとか言いおってあの子を認めなかったが、こんな孝行息子が世にあるだろうか」


ゼノビオスは周囲に煙たがられるくらいに息子ゼノンの自慢をしつつ、都への旅支度を始めた。

職を辞して隠遁していたとはいえ、かつての財務長官である。

馬車は百両、召使も百人ほど引き連れての大所帯での旅となった。

ゼノビオスは風光明媚な土地に立ち寄っては詩作をして、吟じた。


「都についたら、ゼノンにも披露してやろう」


うきうきで進んでいくゼノビオスとその一行は、ジョシュア州までやってきた。

ジョシュア州の太守トゥーギンはゼノビオスの息子ゼノンが政権を握ったことを知っていたので、これを機会にゼノンとよしみを結ぼうと考え、ゼノビオス一行を出迎えて歓待した。


「引退してもこれほどに歓迎されるのも、やはり我が息子ゼノンが偉いからだ。つくづく良い息子に恵まれたものだ」


ゼノビオスは息子自慢をしつつも、トゥーギンのことを息子ゼノンへ良く伝えることを約し、出発した。

トゥーギンはダメ押しに都までの護衛までつけて送り出した。


 ゼノビオス一行は道中で急な雷雨に見舞われた。

たまたま近くにアザト神を祀った寺院があったので、一行は本堂を雨宿り兼仮の宿として借りることとし、貴重品は堂内に運び入れた。

ゼノビオスと一族に続いて、立派なしつらえの箱に収められた宝飾品や織物、そしてゼノビオスの美しい妾たちが運び込まれた。

しかし、お堂に入りきったのはそれまでで、護衛の兵士達は濡れ鼠のようになって木陰から恨めしそうにお堂を眺めていた。


「ちぇっ、なんでぇ。あいつらばっかり。ひでえ仕事だよな」


不平をこぼす部下達の様子を見て、護衛の隊長をつとめるチャギスという男が反応した。


「お前たちもそう思うか」


チャギスは粗暴な男で、ふだんは部下の不平などに耳を貸す手合いではなかった。

部下たちは訝しみながらも、返答する。


「ええ。どうせ、都まであんなジジイを送ったところで賞与なんてたかがしれてますしね。骨折り損のくたびれ儲けってやつさね」


チャギスはにやりと笑った。


「そうかそうか。俺もそう思っていたんだ。いっそのこと、積み込んだ財宝やら女やら、俺たちで奪ってしまえばいい。丸儲けだぜ。どうだ、乗らないか」


チャギスは懐からくしゃくしゃになった何かを取り出して乱暴に伸ばすと、頭に被った。

それは、ひしゃげた角帽だった。


「お前たちも、エナン党に加わって暴れていたときのほうが、よほど人生楽しかっただろう。夢よもう一度だ」


そうと決まれば早かった。

チャギスと部下達は凶刃を手にお堂に乗り込んだ。

召使達は抵抗する間も無く斬殺され、ゼノビオスは厠に逃げ込んだ所を扉ごと槍で突かれて死んでしまった。

妾たちは兵士に輪姦されたあと財宝と共に馬車に放り込まれ、連れ去られてしまった。

後には死体ばかりが残った。


 数日後、都エイレーネのゼノンのもとに父ゼノビオス惨殺さるの報が届いた。

ゼノンはああそうか、と思っただけだった。

ゼノンは自分でも家族を愛しているつもりでいたが、それは習慣からそう思っているに過ぎなかった。

父の死によって、その事にようやく彼は気づいた。

しかし、自分が情愛の薄い人間だと気づいたところで、その様に振る舞うかどうかは別である。

ゼノンが無感情に押し黙っていたのは実際、ほんの数秒であった。


「うわぁぁぁぁ、父上!父上が殺されただとッ!誰だ、一体誰の仕業だッ」


大袈裟に哭泣するゼノンに、伝令兵が恐る恐る伝える。


「ジョシュア州の太守トゥーギンがつけた護衛の兵が悪心を起こして殺害したとのことで……」


ゼノンはわなわなと震え出した。


「許さん、許さんぞトゥーギン。よくも我が父を」


ゼノンの中で目まぐるしい速さで計算が働いていた。

ゼノンは天下全てを併呑するつもりでいたが、兵を発するには大義が要る。

隣国との小競り合いにかまけている太守は治安を乱したという名目で誅することができるが、かえって厄介なのはトゥーギンのように善政をしいて大人しくしている太守であった。

それが、下手を打ってくれた。

まったく、親父様々だ。

ゼノンは内では笑いを堪えながら、面では赫怒して叫んだ。


「父の仇を討つ!ジョシュア州に兵を向けよ!」


たちまちエルフ弓兵を中核にした大軍が編成された。

軍旗はアルカディア帝国のものと並び、ゼノンの故郷ハスティアの蝙蝠が描かれたものが翻っていた。

蝙蝠の旗には復讐エグゼクスィーの文字が赤々と、恐ろしげに大書されているのだった。

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