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 昔から、朗らかな笑みを浮かべる様が慈悲深くて、素晴らしい人物だと思っていた。それが、今、こんなにも苛立たしい。


 机を叩く音に、大司教は笑い声を引っ込めた。だが、それでもレティシアの言葉を待ってあげている・・・・・風であることは、揺るがない。隣に座るセルジュも、同様だ。


「あんな酷い言葉……はじめは意味が分からず困惑しました。それを信じ切って思考を止めているあの方に辟易したのも事実です。でも……そもそもどうして、リュシアン殿下のような方が、あんな馬鹿げた噂を真に受けていたのか……そこが疑問でした」


 レティシアの声に、大司教もセルジュも、わずかに目を見開いていた。意外な言葉だというように。


「君は……てっきり殿下を恨んだかと思ったよ。あのような戯れ言を言うのだから」

「怒っていますとも、今までのこと、諸々全部! だけど先ほども申した通り、子供の頃から共に過ごした人ですもの、少なからず人となりは知っています。あの方は単純で何でも大事にする困った方。だけどそれは繊細さと臆病さの裏返しでもあります。そして、とても素直だわ。信用している人や権威のある方の言うことを、すべて真に受けてしまうほどに」

「……つまり、何が言いたいのかな?」

「あの方は、自分の考えには自信がないけれど、他人の言うことは簡単に信じ切ってしまう。私が『魔女』だと言い切るのは、きっと誰かにそう吹き込まれたからだわ。それも民衆の噂などではなく、彼に近い存在の誰かから」


 レティシアははっきりと、そう言い切った。

 そして、その視線は真っ直ぐに眼前の人物を捉えている。


「ふ……ふふふ、なるほど……ははは、いやはや素晴らしい。私の説法を聞きながらうたた寝をしていた少女が、こうも聡明に育つとはね。予想以上だ」


 レティシアは追求の視線を緩めはしなかった。それを見返す大司教は、愉快そうに笑っている。


「では、やはりあの噂を広めたのは……!」

「焦らなくてもいいだろう。君の処遇は私が握っているのだからね」


 大司教は、ようやくレティシアの手を離し、静かに立ち上がった。レティシアを見下ろす瞳には、先ほどと違った冷たい光が垣間見えた。


「君の聡明さに免じて、白状しようじゃないか。ただその前に……私のちょっとしたお願いをきいてもらえるかな」

「お、お願い……?」


 大司教は頷くと、折良く扉が開いて先ほどの修道士が大きな機械を運び込んできた。複数人で慎重に運んできたそれは、レティシアが何度も目にした機械だ。


「これは……礼拝の時に祈りを捧げるように言われていた……?」

「その通り。他の者は聖大樹に祈りを捧げることを礼拝としていたが、君だけはこちらにも祈りを捧げるよう言っていたね」


 レティシアには、これが何であるか、わかっていた。遙か遠いバルニエ領で、アベルから教わったから。


「これと似たものを、最近目にしました。魔力を吸い上げる機能を持っていると、聞いています」

「……そうか。ではこれから何が起こるか、わかるのだね」

「大司教様は、私の魔力を吸い上げて……いえ、今までも吸い上げてきて、いったい何をなさるのですか」

「まぁ、いいじゃないか。悪いようにはしない。今まで、礼拝を行ってきて君自身が危険な目に遭ったり、民に危険が及ぶようなことが、一度でもあったかね?」

「……ありません」

「ほぅら、何も案ずることはない。今まで通り、君のお勤めを果たして欲しい。ただ、それだけなのだよ」


 そう告げると、大司教はレティシアを機械の前へと促した。

 傍にいるセルジュは微動だにせず、ただ二人のやりとりを見つめていた。どちらかを止める様子すら、見せない。


 今はただ、レティシアが大司教とセルジュに見張られているといった状況だ。事実を話せと詰め寄っているものの、レティシアに拒否権などなかった。

 

(大丈夫。今まで倒れたことなんてないんだから……)

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