18

 レティシアは結局、首を傾げたまま、すべての皿を完食した。空になった器と皿を乗せて軽くなったワゴンを押していると、アランは不思議と胸の家まで軽くなったような気がしていた。


 レティシアの、美味しそうに食べてくれるところは、何度見ても飽きるものではなかった。


 貴族とは、アランの父親を生け贄にして自分たちの溜飲を下げること、そして何よりも保身を図ることにばかり注力していた連中……そう思っていた。


 特に、王都でふんぞり返っているような連中は。


 レティシアのような貴族がいるとは、思ってもみなかった。彼女のためなら、美味しい料理を作って差し上げたいという気持ちになる。


 大司教に命じられたのは、『今後はレティシアの食事を用意すること』そして『時折話し相手になること』だった。


 元々、アランの密告もあってレティシアのバルニエ領での行いが大司教に伝わったのだ。そのせいで、レティシアは身動きが取れない状況にある。


 せめて、レティシアの役に立てるように努めよう。そう、思った。


「レティシアの様子はどうだ」


 ワゴンを押すアランの横合いから、そんな鋭い声が飛んできた。おそるおそる視線を向けると、声音と同じくらい鋭い視線を向ける男が立っていた。


「あ……せ、セルジュ様」


 セルジュ・ド・リール。レティシアの兄であり、リュシアン王太子の側近。怜悧で、身分の分け隔て無く接し、多くのものから慕われる人格者。


 そう聞いていた。レティシアからも、似たような評価を聞いていた。


 だが目の前に立つセルジュという男は、そんな印象とは真逆の空気を纏っていた。自らの敵は容赦なく排除する……そんな瞳を、アランに向けている。


「あ、あの……?」

「何を話していた」


 静かな声で、セルジュは問うた。アランも、声を落として答えた。


「こ、ここにいる経緯を……その……」

「お前の、父親のことも?」

「……はい」

「エルネスト王子のことも?」

「いえ。王子のことは、僕が話すべきではありませんから」

「そうか」


 短い言葉の最後に、小さな吐息が聞こえた気がした。何やら、安心したようなため息だ。


「あまり余計な話はしないように」

「は、はい」

「ときに……レティシアは、ちゃんと食事をとったんだな」 


 ワゴンの上に載った皿を見て、セルジュは言った。声から、刺々しさが薄れたような印象を受けた。


「は、はい。美味しいと仰って下さいました」

「ならば、お前は役目を果たしたということになる。もう、戻ってもいい」

「え」


 セルジュは一切の情を込めることなく、そう言い放って、立ち去ろうとした。アランは、思わずその腕を掴んで引き留めた。


「……放せ」

「も、申し訳ございません! でもどうして……レティシア様のお食事を作って差し上げるのがお役目なんでしょう? お話当相手も……」

「レティシアは、もはや大司教様に背こうとはしないだろう。ならばお前が側にいる必要もない。元いた場所へ帰るがいい」

「……それなら、約束を守ってください」


 アランは、胸の内に残っていた勇気すべてを振り絞って、そう言った。その視線を受け、セルジュはしばし考え込み、やがて「ああ」と声を発した。


「約束とは、お前の父親のレシピのことか。本来作るはずだったというスープの……」

「そうです。それを返し下さる見返りに、僕はずっとあなた方の言うことを聞いてきたんです」


 普段の気弱な声ではなく、堂々たる佇まいだった。


 ジャンが見たら驚いていたかも知れないが……目の前にいるセルジュは、残念そうに首を振るばかりだった。


「残念だが、お前の求めているものは、もうどこにもない」

「……え?」

「方々手を尽くして探したが、見つからなかった。もう八年も前のものだし、正式な記録ではなく走り書きのようなものだし……致し方あるまい」

「走り書きって……ちゃんと大司教様とエルネスト王子の署名がありました! 一度はパーティーのメニューとして承認されたものなんですから」

「だが取り消されたもの。正式に記録に残ったのは、例のスープの方だ。それ以外のものは、不要のものとして処分されてもおかしくない……誰かが、拾って・・・いない限りな」

「処分……!?」


 無慈悲な言葉に、アランは愕然とした。全身から力が抜けていき、ぺたんと床に膝をつく。手をついた箇所から、徐々に床の冷たさが伝わって、全身が冷えていくような気がした。


 セルジュはその様子をただ淡々と見つめ、一度だけ、アランの肩をぽんと叩くと、踵を返して歩き去ってしまった。


 もう、アランには引き留める力は残っていなかった。

  

「そんな……じゃあ、僕はいったい何のために、こんなことを……!」

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