26

「じゃあ、一件落着ということですね」

「あ? ああ」

「ああ良かった。両方に良い道が見つかって。皆さんも、夜通しご苦労様でした……」


 そう言ってレティシアが村人全員に向けて頭を下げた。その時――


 ぐうぅぅぅぅぅぅ……


 何とも、切ない音が鳴り響いた。

 

 レティシアは、頭を下げたまま、戻ろうとしない。かろうじて見える顔色が、どんどん赤く染まっていく。


 染まっていくほど、クスクスと笑い声があがっていった。


「レティさんてば、仕方ないねぇ」

「そりゃ一番頑張ってくれたもんね。腹ぺこだろうさ」

「……アラン、何か食わせてやれ」


 アベルまでが、肩を震わせて笑いを堪えている。

 アランだけが笑うことなく、無邪気に満面の笑みで頷いた。


「喜んで! お腹を空かせたレティさんのために、たっぷり作りますね!」

「わ、私はそんな……!」


 ぐうううぅぅぅぅぅ……!


 口とは別の人格が宿っているかのように、お腹は正直だった。うずくまるレティシアの両肩を、村の女房たちがぽんと優しく叩いた。


「はいはい、どうせだから皆で食べましょ。みーんな、腹ぺこなんだし」

「ほら、レティさんも」

「え、えぇ? でも……」


 アランや女房たちに背中を押され、レティシアはおずおずと歩き出した。ふと背後を振り返ると、アベルが頷いて「行け」と言ってくれている。


 ジャンと並んで、少し疲れたような……だがどこか安堵した笑みを浮かべながら。


 その笑みを見て、ふと感じたことがあった。


(さっき、『あの一件の真相は限られた者しか知らない』と、ジャンは言っていたけど、さっきの口ぶり……まるで自分がその『限られた者』のようだったわ)


 疑問はとめどなく湧き起こる。だがアベルがジャンやアランと目配せをしている様子を見ていると、尋ねてはいけないような気がしていた。


(いつか……あんな辛そうなお顔をしなくなったら、聞いてみよう)


 そう思って、レティシアは胸に抱いた疑問をしまい込んで歩いた。


 その様子を見送りながら、アベルはヴィンセントたちの縄を解いてやった。


 レオナールが領主館への先導を申し出ると、彼らは殊勝な姿勢で従った。


「やっぱり、彼らも根は悪人じゃあないんですよねぇ」


 歩いて行くレティシア、そしてヴィンセントたちを見つめながら、ジャンがぽつりと呟いた。


「……俺は、お前の方が分からん」

「何がです?」


 ふいに、アベルの声が陰った。レティシアに向けて言い他穏やかな笑みはなりを潜めて、冷たい視線がジャンを貫こうとしていた。


「ヴィンセントがここに来たこと……お前の計らいじゃないだろうな?」

「まさか。あれは本当に想定外でしたよ。だが、思っていた以上の結果になった……上々ですね」


 アベルに睨まれようと、上機嫌を崩さないジャン。アベルは、ため息と共に脱力した。敵意を向けるだけ、無駄だと気付いた。


「何故、今更過去を蒸し返そうとする?」

「いけませんか?」

「ここでの暮らしは気に入っている。以前よりずっと自由だ。この暮らしを壊す必要はない。アランも、そう思っているはずだ。それをお前は……」

「アベル様とアランはそうでしょうね」


 ジャンは、二人の名を強調した。


「あんなことがあったんだ。平穏に暮らしたいという気持ちは理解できます。だが……俺は違う。俺はね、復讐したいんですよ」

「復讐……だと?」


 目を瞠るアベルに、ジャンはからから笑って見せた。


「ご心配なく。別に大それたことは考えちゃいませんよ。ただ……このままじゃあ親父は浮かばれないでしょう」

「ジャン、それは……」

「俺はね、ほんの少しでいいんです。国中が変わらなくたっていいから、僅かなりとも一矢報いたい……それだけなんです」


 ジャンの声音はいつもと変わらず、軽やかなものだった。だが拳は、固く握りしめられていた。その片方の手には、歪な形で大地の恵みを受けた芋が、土くさいまま握られている。


「泥にまみれた中の一筋の希望か……まさかこいつが、な」

「泥にまみれたからこそ掴める宝もある……レティさんと話をしていて、そう思いましたよ、俺は」


 アベルは頷きもせず、言葉も発せず、ただ前を見ていた。


 皆にもみくちゃにされながら軽やかに進んでいく後ろ姿を、見つめていた。


 そして、しばらく眺めた後、同じ方向へと、歩き出したのだった。

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