おまけ

第43話 キスをしないと出られない部屋(前編)

 街の中心部から十キロほど離れた森の中にある、魔法薬実験施設。

 権威ある国立魔法薬研究所とは違って、魔法薬実験施設には、欲に目がくらんだ不埒な魔法使いが日夜怪しげな魔法薬の開発をしている。


 リオンハールは王城で働く魔法使い。三日ほど前に辞めた先輩を訪ねて、魔法薬実験施設にやってきた。


「ミハイル先輩、こんにちは。リオンハールです。退職届が却下されたので、書き直してもらいたくて来ました」

「あん?」


 ボサボサの茶髪。目の下の盛大なクマ。目はギョロリと大きいが、体はひょろりと細長いミハイルが、紫煙が立っている試験管からリオンハールへと視線を移した。


「なんで今頃?」

「辞める理由が、『自分探しの旅に出るため』なのに、魔法薬実験施設で働いているからです。虚偽の申請は認められないそうです」

「うっせーな。俺はもう、自分が何者であるかわかったんだ! 人事部にそう言っとけ!」

「三日で自分が何者であるかわかったなんて、早すぎですよー」


 魔法使いは、良く言えば個性的。悪く言えば、変人が多い。

 ミハイルに退職届を修正する気がないのを知ったリオンハールは、深いため息をついた。


「じゃあボクの方で、新天地で実力を試すためって、書き直しておきます」

「おまえ、教育長に昇格したんじゃないのかよ? なのに、なんで雑用をやっているんだ?」

「雑用をする人がいないからです」


 ヨルン王太子の計らいによって、リオンハールは雑用係から教育長に昇格した。

 なのに、王城で働く魔法使いはプライドが高い者ばかりで、誰も雑用をやりたがらない。そもそもが、雑用をできるほど器用ではない。能力がひどく偏っている者ばかり。

 そういうわけでリオンハールは、教育長として魔法使いたちを指導しながら雑用もこなすという、激務な日々を送っている。


 ミハイルは、「おまえは人が良すぎる。雑用なんて見て見ぬふりすればいいのに!」と小馬鹿にした。


「はい。みんな、見て見ぬふりをしています。ミハイル先輩の退職金申請書も床に落ちたままです。このままじゃ、退職金もらえませんよ」

「マジか……。リオンハール、お願いだ! 出してくれ!!」

「わかりました。金融課に提出しておきますね」

「さすがリオンハール! 頼りになるぜ!!」


 ミハイルは大喜びすると、薬品管理庫から、ピンク色の液体が入ったスプレー瓶を取り出した。


「お礼にこれをやるよ。俺の自信作だ。ユラシェお嬢様とお付き合いをしているんだろう? 一緒にいるときに、部屋にスプレーをしてみろ。仲が深まる」

「もっと仲良くなれるってことですか?」

「そうだ」

「ありがとうございます! この後ユラシェに会うので、使ってみます!」


 リオンハールは、ミハイルが卑猥に笑ったのを見ていなかった。



 ◇◇◇



「リオンハール様、会いたかったです!」


 水色のドレスを着たユラシェが、メディリアス家の玄関ホールで出迎える。


「ユラシェ、今日も可愛い!」

「ありがとうございます」


 リオンハールが仕事で多忙なため、会えるのは週に一度。

 ユラシェは、欲深い自分に困惑する。


(週に一度じゃ、寂しい。本当は毎日でも会いたい。それにたまには、二人で過ごしたい……)


 ユラシェを溺愛する家族が、二人きりにはさせないぞ! とばかりに見張っているのだ。

 ブランドンは「わしの可愛い孫娘に気安く触るんじゃない! わしに許可を取れ! ……ほっぺをツンツンしてもいいですかって? ダメじゃ。ほっぺに触りたいならわしのを触れ」と、スキンシップに非常に口うるさい。

 またカリオスは、ユラシェの部屋でリオンハールとおしゃべりをしていると、お茶のお代わりを持ってきたり、お菓子皿の交換をしたり、窓を開けて換気をしたり、床掃除をしたり、植物に水をあげたりと、ユラシェの部屋に頻繁に出入りする。


(お祖父様もお兄様も、溺愛が過ぎる! リオンハール様と二人きりで楽しく過ごしたいのに!)


 恋人になって二ヶ月。名ばかりの恋人じゃなくて、恋人らしい甘い雰囲気になりたい。仲を深めたい。

 そんなユラシェの願いが叶ったのかもしれない。

 リオンハールがミハイルからもらった、ピンク色のスプレー。

 ユラシェの部屋に吹きかけてみたら、なんと、部屋のドアも窓も開かなくなってしまった。

 ミハイルのちびキャラが現れて、こう言った。


「キスをしないと出られない部屋だ。手の甲とかおでことか、そういうのはやめてくれよな。萎える。唇にキスをよろしく!」


 

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