第22話 トロピカルなパンケーキ屋にようこそ!

 マクベスタが現れてユラシェを攫っていかないよう、ブランドンも一緒に馬車に乗り込んだ。

 馬車が動きだす。

 パンケーキ話で盛りあがるリオンハールとユラシェ。興奮した偽者ヨルンの靴先が、ユラシェの靴先に当たった。


「すみません!」

「大丈夫です」

「あ、そうだ! 面白いゲームがあるんです。目をつぶってくれますか?」


 素直に目をつぶったユラシェ。偽者ヨルンはサッと手を伸ばして、ユラシェの手の甲をくすぐった。


「目を開けてください。さて、どこをくすぐったでしょうか?」

「ふふっ。手でしょう?」

「当たりでーす! では今度はユラシェがくすぐる番です」

「私ですか⁉︎」


 目をつぶった偽者ヨルン。ユラシェはドキドキしながら、ヨルンの腕をほんの少しくすぐる。


「はい。くすぐりました」

「んー? 難しいなぁ。耳たぶですか?」

「ふふっ。全然違います。腕です」

「あー、はずれたぁ。残念。じゃ、もう一回くすぐってください」


 ユラシェは今度は肩をくすぐった。目を開けたヨルンは「全然わからないぞ。耳たぶですか?」と的外れなことを言う。


「残念。肩です」

「またまたはずれた! ボクって鈍いのかも。もう一回お願いします」

「わかりました」


 ユラシェは膝をくすぐった。ヨルンはまたまた「耳たぶをくすぐったでしょう?」と見当違いのことを言う。


「どうして耳たぶなのですか?」

「耳たぶがくすぐったい気がしたんです。あー、全然当たらない! 悔しい。もう一回だけお願いします」


 目をつぶったヨルン。ユラシェは困ってしまう。


(耳たぶをくすぐった方がいいのかしら? でも……)


 間違って肩や足がぶつかることがある。けれど相手の耳たぶを触るというのは、滅多に出会わないシチュエーション。触るのに勇気がいる。

 ユラシェは胸に形容しがたい感覚が広がるのを感じた。


(私、ヨルン様にドキドキしている。婚約解消しなければいけないのに……)


 スキンシップのドキドキ感と背徳感が混じり合った、胸の高鳴り。

 ユラシェは上半身を前に傾けて、腕を伸ばす。

 あと少しで、ヨルンの耳たぶに触れようかというとき──。


「なにが面白いゲームじゃ! 孫娘に触られたいだけだろうがぁー‼︎」


 キレたブランドンが、ヨルンの首に片腕を巻いて締めあげる。


「ぐ、ぐるしいでふっ‼︎」

「ほわほわした性格だと思って油断しておったが、不埒なゲームを考えるとは、けしからんヤツじゃ!」

「違います! ボクが考えたんじゃありません! デートだって浮かれていたら、職場の先輩が教えてくれたんです。俺はこれでいちゃついているって!」

「だったらわしが、おまえといちゃついてやるわい‼︎」


 偽者ヨルンはブランドンに首や脇やお腹をくすぐられて、笑いながら身をよじる。

 ユラシェは我慢ができずに、吹きだしてしまった。男二人がもつれ合う様子がおかしさを誘って、ユラシェの目尻に涙が溜まる。


(笑いすぎると涙が出るなんて、知らなかった。私ちゃんと、心から笑えるんだ……)


 ユラシェは大富豪メディリアス家のご令嬢であり、ヨルン王太子の婚約者。

 幼い頃から王妃教育を受け、いかなるときでも淑女として振る舞うよう指導されてきた。

 ユラシェの微笑みは社交儀礼。王太子の婚約者として人々に好印象を与えるために、王妃教育の一環として微笑を浮かべているにすぎない。

 けれどおかしなヨルンといると、微笑の仮面が落ちて、心を自由に羽ばたかせられる。おかしなヨルンと一緒にいると驚くことばかりで、声を出して笑っている自分がいる。



 下町にあるパンケーキ専門店『レモンド♡キュート』。オーナーが重い病気にかかり、半年前に閉店した。

 だがユラシェの願いを叶えるべく、メディリアス家は本気を出した。

 まず二年先まで予約で埋まっている有名治療師に大金を積んで、オーナーの病気を治させた。

 同時進行で、田舎に帰っていた従業員に豪邸を用意して王都に戻ってこさせた。

 また居抜き物件として入っていたパン屋に、家賃は永久的にメディリアス家が払うという交渉をして一等地に移転させた。それから外装と内装を元のパンケーキ屋に戻すべく、急ピッチで改装がなされた。

 ユラシェがパンケーキの願いを口にしてからたった七日で、オーナーは健康と自分の店を取り戻して、パンケーキを焼けるようになったのだ。


 ユラシェが馬車から降りると、リオンハールはすばやく動いて、お店のドアを開けた。


「どうぞ、お花のお姫様」

「ふふっ。ありがとうございます」


 店内に一歩足を踏み入れたユラシェは、サーッと血の気が引いていくのを感じた。

 七卓あるテーブルは、すべて果実の形。レモン、いちご、キウイ、パイナップル、みかん、りんご、ブドウ。

 椅子は、背もたれ部分がスプーンやフォークの形になっている。

 それだけではない。壁時計は数字の部分が果実になっていて、針は果実を収穫する農夫。ピンク地の壁紙には、イチゴやレモンやさくらんぼやマンゴーといった果実娘が踊っている。さらに店内音楽は、若い女の子に人気があるフルーツラブソング。


(どうしよう! お友達からお店の内装までは聞いていなかった。ヨルン様は、シンプルなものがお好きなのに)


 ヨルン王太子の好きな色は、白と黒。直線と四角を好み、無駄のない実用的なものを愛用している。

 思い出に残る最後のデートにしたかったのに、これでは良い思い出ではなく、気まずい思い出になってしまう。


 ユラシェが入り口で固まっていると、後ろにいたヨルンがヒョイっと首を伸ばした。


「わー、すごいお店だね」

「は、はい……。すごいお店です……」

「果物の国に遊びに来たみたい! 素敵だね‼︎」

「え……」


 ヨルンはお店の中に入ると、店内を見渡し、棚に飾ってある雑貨に瞳を輝かせた。


「見て! 雑貨が売っているよ。いちごの香りのするペンに、パイナップルの香りのする消しゴム。お尻がメロンになっているぬいぐるみもある! 可愛いね。ねえねえ、デートの思い出にお揃いのものを買おうよ」


 ユラシェの涙腺がふわっと緩む。リオンハールは慌てて、ユラシェの顔を覗き込む。


「どうしたの? 嫌なことでもあった?」

「ごめんなさい。若い女の子向けのお店でパンケーキを食べるだなんて、恥ずかしいでしょう? 無理しなくていいです。違うお店に行きましょう」


 ブランドンは店の外にいる。六十歳の元戦士は恥ずかしくて入れないらしい。

 外に出ようとするユラシェ。その手首を、リオンハールが掴んだ。


「待って! 黙っていようと思っていたけれど、秘密を打ち明けることにする」

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