第23話 魔法の色

「秘密、ですか……?」


(ヨルン様がおかしな言動をするのを、演技だとはもう思えない。頭を打って変になってしまったのか、別人格に乗っ取られてしまったのか、それとも、魔法使いがヨルン様に変身しているのか……)


 息を詰めるユラシェ。真実を知りたい願望が強まる。

 店から出ようとしたユラシェの足が止まったので、リオンハールは彼女の手首を離した。

 鼻の頭を掻きながら「えへへ」っと笑う。


「実は昨日下見に来たときに、パンケーキ屋さんを覗いてしまいました。そしたらオーナーさんに見つかって、試食をお願いされたんだ。そういうわけで、先に味見をしてしまいました。ごめんなさい」


 厨房からオーナーである三十代の女性が出てきて、何度も頭を下げる。


「申し訳ございません! まさかヨルン王太子であるとは思わず、試食をお願いしてしまいました。パンケーキをお客様にお出しするのが久しぶりなもので、つい……。申し訳ございません!」


 リオンハールは、ユラシェの耳元で囁くために顔を寄せる。ひそひそ話をするために口の横に持ってきたヨルンの手が、ユラシェの顔に当たる。


「このお店のパンケーキ、すっごくおいしいよ! おいしすぎて十枚も食べちゃった!」


 偽者ヨルンの吐息がユラシェの耳朶をくすぐる。その吐息はまるで嵐のようにユラシェの体内を巡って、体と心を火照らせる。

 ユラシェの心臓は爆発寸前。恥ずかしくて、ヨルンの顔を見られない。

 ユラシェはうつむき、蚊の鳴くような声で言った。


「ずるいです……。私だって、食べたいです……」

「うん! 食べよう! どのテーブルがいい?」


 下からユラシェの顔を覗き込むリオンハール。ユラシェはサッと顔を背けた。


「い、いちごがいいです! でもヨルン様が別なテーブルの方がいいなら、そちらで……」

「ボクもいちごがいいと思っていた! いちごってかわいいよね」


 ルンルン、という擬態語がつきそうな足取りでいちごのテーブルに向かうヨルン。

 ユラシェは「髪を整えてきます!」と早口で言うと、化粧室に逃げ込んだ。

 鏡を見ると、色白の肌が首元まで真っ赤に染まっている。


「今日のヨルン様。この前よりも、もっともっと変。どうしよう……。ときめきが止まらない……」


 黒髪の魔法使いリオンハールに恋をしているのに、おかしなヨルンにときめいてしまう。


「お願いだから、これ以上私の感情を乱さないで……」



 ユラシェは火照りがおさまってから、ヨルンの元に戻った。

 一緒にメニュー表を覗き込む。

 すると、コツンと二人の頭がぶつかった。

 ユラシェが謝ろうとするより早く、ヨルンの頭がユラシェの頭に軽くグリグリと押し当てられる。ユラシェが息を飲んでヨルンの顔を見ると、瞳が笑っている。

 ユラシェもそっと、頭をぐりぐりと押し当てる。ヨルンもまたぐりぐりと頭を押し返す。

 ぐりぐりぐり……ぐりぐりぐり……。さらに、ぐりぐりぐり……ぐりぐりぐり……。


 ドンドンドンっ‼︎


 ブランドンが外から窓ガラスを叩く。窓に顔を向けて座っているリオンハール。視線を向けると、画用紙に『なにをやっているんじゃー‼︎』との怒りの文字が書いてある。

 リオンハールはパクパクと口を動かす。


《嫌われ大作戦です》


 それに対してブランドンは、画用紙にさらなる文字を書いて窓の外から見せる。


『はあ?』

《頭をぐりぐりしたら、やめてって怒られるかなって!》

『そうか。ユラシェはなんて言っている?』

《楽しい人ですね、って》

『全然嫌われておらーんっ‼︎ 作戦を変えろ!』


 リオンハールは変顔をしてみる。頬を膨らませて鼻の穴をピクピクしてみたり、唇を尖らせて白目になったり。

 ヨルンの変顔にブランドンは「ぷっ!」と吹きだし、画用紙に文字を綴る。


『ユラシェの反応はどうじゃ⁉︎』

《楽しそうに笑っています》

『次の作戦だ!』


 リオンハールは今度はジョークを言ってみる。くだらないジョークを言う人は嫌われると聞いたことがあるからだ。


「布団がふっとんだ!」

「そうなのですか?」

「隣の塀があいさつをしたよ。へいへいっ!」

「ふふっ。律儀な塀ですね」

「岩石が落ちたよ。ががーん!」

「大丈夫ですか⁉ 誰かお怪我していませんか?」

「このパン固いなぁ。あ、フライパンだった!」

「パンとフライパンを間違うなんて……。どのような状況なのでしょうか?」


 ブランドンが画用紙を窓ガラスに押し当てる。


『どうじゃ? 嫌われているようか?』

《真面目に答えてくれています。ユラシェって優しい。ボク、ますます好きになってしまいました》

『あかーーーんっ‼︎』


 どんな嫌われ作戦も、ユラシェの優しさと心の広さの前には功を成さない。


 ひとまず嫌われ作戦は置いておき、パンケーキを頼むことにする。けれど、ユラシェの友達おすすめのパンケーキ「濃厚チョコがけ。スペシャルいちごパンケーキ。バニラアイス添え」がメニューに載っていない。

 注文を取りにきたオーナーのアーリィは、申し訳なさそうに頭を下げた。


「そのパンケーキは春限定なのです。いちごの代わりに、パイナップルはいかがでしょうか?」

「ヨルン様、どうしましょう?」

「いちごがあれば作れますか?」

「はい。でもいちごは夏の果実ではありませんので、どこの農家さんを訪ねてもありませんよ」

「ユラシェ、ちょっと待っていて」


 ヨルンはウインクをすると、アーリィとともに厨房に入っていった。

 ユラシェはそっと厨房を覗く。好奇心を抑えられずに、覗き見をするなんて、生まれて初めて。

 ヨルンは腰に下げていた魔法の杖を取り出すと、一振りした。水色の魔法の光が渦を巻き、真っ赤ないちごが厨房のテーブルの上に現れた。

 歓喜するアーリィと従業員。

 ユラシェは破裂しそうな胸を押さえながら、いちご型のテーブルに戻る。水を一気に喉に流し込む。


「水色の魔法……」


 目、鼻、口という同じパーツを持っていても人それぞれ顔立ちが違うように、魔法使いも同じ杖を使っても魔法の色が違う。

 マクベスタは黄金色。そしてヨルンは、新緑のように眩しい緑色。


「水色の魔法使いが、ヨルン様に変身しているのだわ。そういえば……黒髪の魔法使い様も水色だった……」


 ブローチを探してくれたとき。お花の雨を降らせたとき。花図鑑から出たとき。

 黒髪の魔法使いは魔法の杖を振った。そのときにきらめいた光は──水色だった。



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