第5話 胸にチクリと走る痛みは知っている
リオンハールは王城魔法使い専用の寮に帰ってくると、古いベッドに体を横たえた。緊張が長く続いたせいで、疲労困憊だ。
「夢みたい。まさか、ユラシェお嬢様とデートできるなんて……」
ヨルン王太子はリオンハールのことを「身元がしっかりしている」と話してくれた。けれどそれは嘘。リオンハールを庇ってくれたのだ。
リオンハールは両親を知らない。気がついたときには、町を彷徨っていた。行くあてのないリオンハールは孤児院に収容された。
孤児院ではいじめられた。物を隠され、髪をひっぱられ、気持ち悪いと罵られた。
リオンハールの髪は、黒という変わった毛色をしている。さらには、瞳は紫紺色。これまた大変に珍しい虹彩色である。
アジュナール国民は、金やオレンジやピンクや茶色などの明るい髪色と、青や緑といった瞳の色をしている。リオンハールの黒髪と深紫色の瞳は大変に珍しい。
多くの人々は違いに敏感なもの。リオンハールは孤児院でも王城でも、人々の奇異の目に晒され、除け者にされてきた。
「ぼっちのボクがユラシェお嬢様とデートをするのは気が引けるけれど……。ヨルン様の姿になれるのなら、堂々と会いに行ける気がする」
劣等感の強いリオンハールの心に、ウキウキとした芽がぴょこんと出る。
その芽の種は、二年前に蒔かれたもの。
リオンハールは王城の魔法使い見習いとして、十六歳で採用された。
働いて半年が過ぎた頃。舞踏会に泥棒が忍び込んだという情報が入り、警備にあたった。そこで初めてユラシェを見た。そのときの感動は今でも忘れられない。
「天使が舞踏会会場に紛れ込んだのだと、本気で思った。可愛くて、笑顔が宝石のように輝いていて、ダンスが上手で……。でも、体が弱いというのは本当なんだろうな。時折、そっと疲れた表情を見せた。だけど、声をかけられると花が咲いたような笑顔になって、疲れていることを周囲に悟られないようにしていた」
健気で愛らしいユラシェに、リオンハールはすぐに恋に落ちた。
けれどユラシェを慕うのは、リオンハールだけではない。天使のように愛らしくて、心の綺麗なユラシェに誰もが魅了される。
ユラシェとヨルン王太子が出掛ける際の警備係を誰もがやりたがったし、政治家である祖父に会うためにユラシェが登城すると、皆仕事を放りだしてユラシェを見に行った。
筆頭魔法使いマクベスタなんて、権力を行使して毎回警備係に就いていたほど、ユラシェにぞっこんだ。
下っ端で雑用係のリオンハールは、ユラシェを遠くから見つめることさえできなかった。彼女への恋心を胸深くにしまったまま、仕事に追われる日々。
「給料三百年分の小切手を断ってしまった。もらうべきだったかな? でも、分不相応のお金をもらうことなんてできなかった。ボクって生きるのが下手すぎる。こんなんだから、要領が悪いって怒鳴られるんだ。でも、地味な下働きをする人だって必要じゃないか。ボクは、地味で目立たないめんどくさい仕事でも一生懸命に頑張ってきた。だからきっと、神様がご褒美をくれたんだ。幻滅させるためのデートだけれど、ユラシェお嬢様に会えるのが嬉しい。ボクと話したこと、覚えているかな? ……覚えているわけないか」
それは、ユラシェが心臓発作で倒れる一ヶ月前のこと。つまり、今から一年一ヶ月前の話。
リオンハールは王城にいたユラシェを見かけ、彼女が探していたブローチを魔法で見つけてあげた。それから出口に案内しようとして、迷子になってしまった。
憧れのユラシェと会えたことに舞いあがってしまい、通路を曲がりそこねてしまったのだ。
職場で迷子になるなんて……と、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしたリオンハールに、ユラシェは軽やかな笑い声を立てた。
「迷子になって良かったわ。だって、あなたを知ることができたのですもの」
天使の外見にふさわしい、心優しいユラシェ。リオンハールの恋心は加速したけれど、同時に自分が情けなくなった。
魔法使い見習いとして入った同期の仲間たちは、順調に出世している。なのにリオンハールは見習いにとどまったまま、雑用をこなす日々。出世をすれば寮の部屋を移動して、広くて綺麗な部屋に住むことができる。けれどリオンハールはずっと、狭くて古い部屋で暮らしている。
寝返りを打つと、ベッドのスプリングがギシッと嫌な音を立てた。
「分かっている。王城の魔法使いに採用されたのは、ヨルン様が同情してくれたからで、実力じゃないって」
面接官であったヨルン王太子の言葉が忘れられない。
「どの家に生まれたかで、一生が決まるといっても過言ではない。裕福な家に生まれた者は高等教育を受け、出世街道を走ることができる。だが貧しい家に生まれたものは識字率が低く、望む職に就くことがままならない。両親がいなくても、環境を用意すれば才能が開花するということを示してほしい。リオンハール、期待しているよ」
リオンハールは胸を打たれ、号泣した。そして、採用してくれたヨルン王太子とアジュナール王国のさらなる発展のために身を捧げる覚悟で頑張ってきた。
王城お抱えの魔法使いは確立した地位と高給取りということで、非常にモテる。おもしろおかしく遊んでいる同僚がたくさんいる。
けれどリオンハールは脇目も振らずに、仕事に人生を捧げている。不平不満を言うことなく仕事に打ち込むリオンハールに、周囲は感謝をするどころか、めんどくさい仕事を押しつける一方。
夜遅くまで働き、体力と魔法力をすり減らして、ふらふらになって帰ってくる日々。寄り道をする気力もなく、王城と寮を行き来するだけ。女性に目を向ける余裕はなく、話す女性は朝寄るパン屋と、果物を買う八百屋のおかみさんのみ。
「ボクの人生、これでいいのかなって情けなく思っていたけれど……。うん。これで良かったんだ。だって、憧れのユラシェお嬢様とデートできるんだもん。最高の幸せだよ。生きていて良かった!」
嬉しいはずなのに、シミで汚れている天井が涙でかすむ。
胸にチクリと走る痛みは知っている。
美しくて清らかな大富豪のお嬢様と、孤児院育ちの八流魔法使いが結ばれることなどあり得ない。
この恋は、決して叶うことがない。
その日の夜。リオンハールは夢を見た。
岩山に身を隠して、広大な荒野の中にポツンと立っている砦を見ている。砦は立方体をしていて、その左右には何百キロにも渡る防御壁が続いている。防御壁によって、世界は二つに分けられている。
岩に置いた自分の手。指が四本しかなく、しかも真っ黒。明らかに人間の手ではない。
砦を出入りする人間たちを見て、それはつぶやく。
「人間と友達になりたいな」
朝起きて、リオンハールは首を傾げる。
「またいつもの夢を見た。どうして同じ夢を見るんだろう? 北の砦を遠くから見ているのって、誰?」
魔法使いの仕事の一つとして、北の砦には何度も行っている。けれど砦から離れた場所にある岩山には、一度も足を踏み入れたことはない。
なぜならそこは、魔物の領域だから。人間と魔物は敵対関係にある──。
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