第7話 恋に落ちた日

 ユラシェは失礼に当たらないよう気をつけながら、彼を観察した。

 彼は目の下にクマができており、疲れた顔をしている。けれどその疲労が、黒髪と紫紺色の瞳のミステリアス度を高めていた。伸ばした黒髪を一つに結んで胸の前に垂らしている。綺麗な顔立ちは冴え冴えとした月のようだった。


「あの、なにか探し物でも……?」 

「あっ、そうなの! ごめんなさい。実は……」


 彼に再度質問され、ユラシェは慌ててブローチを落としてしまったことを話した。

 すると彼は腰に下げていた魔法の杖を手に持ち、一振りした。杖の先から水色の光が放たれ、その光は廊下の角を曲がった。


「落としたブローチは、あっちにあります」


 怖いくらいに無表情な、黒髪の魔法使い。

 振り返ることなく歩き出した彼の後を、ユラシェはついていく。すると廊下に飾られた彫刻の下へと、水色の光は流れていた。見ると、薔薇のブローチが落ちている。


「私のブローチだわ!」

「よかった。探し物の魔法です」

「ありがとう」


 ユラシェはお礼を言いながらも、うまく笑えなかった。


(変わった色をしているけれど……。神秘的な雰囲気で、素敵だわ。女性にモテそう。ソトニオお兄様は、王城の魔法使いはプライドが高くて、女性関係が派手だと言っていた。そういう人って、苦手)


 ツンと澄ました顔と、素っ気ない口調の黒髪の魔法使い。よそよそしい態度の彼を、ユラシェは気難しい人なんだろうと判断した。

 本当のところ。リオンハールは憧れのユラシェお嬢様に思いもがけず出会えたことに動揺してしまって、だが醜態を見せるわけにはいかないと、表情筋を殺してクールに振る舞っていただけなのだけれど。


 その後リオンハールはユラシェを出口に案内しようとして廊下を曲がりそこね、図書室へと来てしまった。


「あ……、すみません。間違えてしまいました」


 リオンハールは穴があったら入りたいほどに恥ずかしくなって、モジモジと頬を掻いた。

 真っ赤な顔で謝るリオンハールを、ユラシェは意外に思った。


 天は多彩な才能を人々に与えている。人々はどの才能も素晴らしいものだと頭ではわかっているけれど、どうしても優劣をつけてしまう。 

 多彩な才能の中でも、魔法の才能は格別。魔法の能力を高めていけば、錬金術だって治療だって料理だって若返ることだって、なんでもできてしまう。魔法は万能な力を秘めている。

 人々は魔法使いを羨望の眼差しで見る。それゆえに魔法使いは傲慢な者が非常に多い。特に王城仕えの魔法使いともなれば、地位も給与も高い。魔法の能力は素晴らしいが、人格的には尊敬できない者がゴロゴロといる。


(王城の魔法使いって、プライドが高い人ばかりだと思い込んでいた。でも、この人はそうじゃないみたい)


 ユラシェは自分を恥じた。


「迷子になって良かったわ。だって、あなたを知ることができたのですもの」


 ユラシェは警戒心を解き、素直な笑みを浮かべた。

 彼女の愛らしい笑顔に、リオンハールは舞い上がってしまう。


「あ、あのっ! 落としたブローチ、薔薇ですよね。お花が好きなのですか?」

「はい」

「ボク、すごい花園を知っているんです! 来てください!」

「でも……」

「十五分だけ!」


 リオンハールはユラシェの手首を掴んで、図書室の中へと引っ張った。

 ユラシェの心臓が激しく脈を刻む。掴まれた右手首が熱い。家族とヨルン以外の男性に、初めて触られた。けれど全然、嫌じゃない。

 図書室に入ったリオンハールは、『世界の花辞典』という写真付きの辞典を開いた。その瞬間本の中から光があふれ、ユラシェはその眩しさに目をつぶった。

 光が消えてユラシェが目を開けたとき、世界が一変していた。三百六十度、どこを見ても花が咲いている。


「花辞典の中だよ。世界中の花が咲いているんだ!」 


 天真爛漫に笑った黒髪の魔法使い。彼は黙っていればクールなのに、花の咲き乱れる庭園を元気に走り回る様子は、まるで子犬のよう。第一印象と、打ち解けた後のギャップが大きすぎる。

 リオンハールはユラシェのために、抱えきれないほどの花を摘んできた。


「どの花が好き?」

「どれも好きよ。たくさんのお花をありがとう」


 座っているユラシェの回りには、リオンハールが摘んできた花がいっぱい。それでもリオンハールはもっとお花をプレゼントしたくて、魔法でお花の雨を降らせた。降ってくる花びらの間を、リオンハールの魔法の色である水色の光がくるくると回る。


「ロマンティックな贈り物を、ありがとう。すごく嬉しい」


 ユラシェはドキドキしてしまって、うまく息が吸えなくなる。彼の天真爛漫な笑顔は、ユラシェを魅了する。小さなこどものようによく動く紫紺色の瞳に、惹きつけられる。


(こんなのってずるい。よそよそしい態度だったのに、打ち解けたら、子犬みたいに人懐っこいなんて。この人と仲良くなりたいって、願ってしまうじゃない……)


 黒髪の魔法使いは、寂しさを隠しきれない声で言った。


「十五分たったね。帰ろうか」


 リオンハールが魔法の杖を振ると、花園は消え、二人は図書室に戻ってきた。


「あれ? ユラシェ?」


 図書室にいたのはヨルン。本の中から出てきた二人に目を丸くしている。

 リオンハールは慌てて一礼すると、図書室から走って出ていった。

 ユラシェは彼の名前を聞けなかった。仲良くなりたい、また会いたいと、願いを伝えることもできなかった。


「ユラシェ?」


 涙ぐむユラシェを、ヨルンが見つめる。けれどユラシェはなにも言うことなく、逃げた。

 その日からユラシェはヨルンを避けた。黒髪の魔法使いに惹かれたまま、ヨルンに会うことなどできなかった。世界には何百億人もの人がいるのに、彼しか見えなくなってしまった。

 その一ヶ月後。ユラシェは心臓発作で倒れて、一年もの昏睡状態に陥った。



 ユラシェは過去を懐かしむと同時に、悲しみに襲われる。 


(一年の空白があっても、黒髪の魔法使い様への想いがまったく薄れていないなんて、どうしたらいいの?)


 名前も知らない魔法使い。彼に会いたいと、切に願う。

 けれど、会っても仕方がないということを理解している。

 ユラシェはヨルン王太子の婚約者。ゆくゆくは王妃になる身の上。人々のお手本となる品行方正な振る舞いを求められているのに、婚約者以外の男性と親しくなりたいだなんて許されない。


(諦めるしかないのだわ。胸の痛みに気がつかないふりをして、ヨルン様を愛する努力をしなければ……)


 侍女頭が一礼して部屋に入ってきた。ヨルン王太子の来訪を告げる。

 ユラシェは重い足取りで、婚約者に会うために階下に降りていった。


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