第28話 あなたの本当の髪と瞳の色を教えて
ユラシェが再び意識を取り戻したとき。目に入ったのは、葉と葉の重なり合う隙間からこぼれ落ちる光の川。木漏れ日がキラキラと踊っている。
ユラシェは大樹の下に横たわっていた。体の下にある芝生のひんやりとした感触が気持ちいい。
「……私、倒れたのだわ……」
ユラシェが上半身を起こすと、濡れたハンカチが額から落ちた。
「あーっ! ユラシェ、目を覚ましたんだね。良かったぁー‼︎」
ヨルンが血相を変えて走ってくる。
「具合はどう⁉︎ 大丈夫?」
「ええ、大丈夫。ごめんなさい」
「ブランドンじいちゃんがどこにもいないんだ! まったく、もぉ! 迷子になっているのかも。探してくる!」
「行かないでっ‼︎」
ユラシェは自分が出した声の大きさに驚く。生まれて初めて、大きな声を出した。咄嗟に掴んだ、ヨルンの上着の裾。
ユラシェはヨルンが濡らしてきてくれたのだろうハンカチを握りしめながら、もう一度はっきりとした声で懇願する。
「行かないで。私の側にいて」
「でも……。具合が悪いんでしょう? 家に帰って、休んだ方がいいよ」
「日差しに当たって、目眩を起こしただけです。休んだおかげで、元気になりました」
「ユラシェ……」
ヨルンの顔がユラシェを覗き込む。ヨルンの若草色の瞳が気遣わしげに揺れる。
「顔色が悪いよ。真っ白だ。本当は、元気なわけではないよね?」
「それは……でも、本当に大丈夫です」
「ボクの前では平気なフリをしなくてもいいよ。無理して笑わなくても大丈夫。つらいときには、つらいって言っていいんだよ」
リオンハールの言葉が、ユラシェの胸に突き刺さる。
苦しさが迫り上がってきて、ユラシェの涙腺を押し上げる。
ユラシェはつらさや苦しさや寂しさを他人に悟られないために、微笑を張りつけるのが癖になっている。
ヨルンは優しいけれど、責任感がとても強い。責任感の強い人は、個人的感情を我慢してしまう。将来国王となるために必死の努力をしているヨルンを見ていると、ユラシェは弱音を吐くことができなかった。
ヨルンとユラシェでは、体力も精神力も違う。ユラシェは繊細な体質のため、体調を崩しやすい。ちょっとした悪口を聞くのも苦手で、幾度も心を痛めてきた。
けれどどんなときでも、微笑んで誤魔化してきた。
——つらいときには、つらいと言っていいんだよ。
その言葉はカサカサに乾いた大地に降る慈雨のように、解放を求めていたユラシェの心に沁み入る。
ユラシェの眦から、涙がふわっとこぼれる。
「わわっ! 大丈夫⁉︎ 横になって休もう! ボク、ハンカチを濡らしてくるよ」
「違うんです! 体調は……良くはないです。目眩が少し、残っています。お言葉に甘えて、もう少しこのまま日陰で休んでもいいですか?」
「もちろん! 暑いときには動かない方がいい。日差しが和らぐまで休もう」
偽者ヨルンが腰を下ろす。
おかしなヨルンはいつだって、ユラシェの言葉に耳を傾けてくれる。意見を尊重してくれる。気持ちに寄り添ってくれる。話すのが得意ではないユラシェの、うまく言葉にできない感情の襞を感じ取ってくれる。
おかしなヨルンといるのは、とても居心地がいい。
木陰を抜ける涼やかな風が、ユラシェの絹糸のような金髪を揺らす。
「今日のデートが終わったら、あなたに会えますか?」
「うん。ヨルンに会えるよ」
「そうではなく……。心臓発作で倒れる前に会っていたヨルン様ではなく……目が覚めた後に会った、おかしなヨルン様に会いたいです」
「え?」
「目の前にいるあなたに、会いたいです」
ヨルンの若草色の両目が見開く。ユラシェは若草色の瞳の奥にあってほしいと願う、紫紺色の瞳の彼に語りかける。
「あなたは、ヨルン様ではないですよね?」
「あ、えっとですね……」
リオンハールは混乱する。バレたときのことを相談していない。白状していいのか、それとも隠し通せばいのかわからない。
公園を見渡すが、ブランドンの姿はない。
「ええと、つまり、ボクは……っていうか、俺はっていうか、私はっていうか……。ヨルン王太子なるぞ! えっへん‼︎」
「違います。水色の魔法を使いますよね? ヨルン様の魔法の色は緑色です」
「あわわっ!」
(別人だとバレてるーっ! どうしようどうしよう⁉︎ 打ち明けてもいいの? それともダメ? どうしたらいい⁉︎)
ユラシェは笑ってしまう。
彼はしかめっ面をしたり、青ざめてみたり、挙動不審に手を動かしてみたり、唸ってみたり。
図星を突かれて、混乱しているのが丸わかり。
答えを聞かなくても、ヨルン王太子ではない。違う人で決定だ。
「あなたは王城で働く魔法使いなのでしょう?」
「わーっ‼︎ そこまでバレているとは⁉︎」
「あなたの、その……」
ユラシェは緊張するあまり、落ち着いたはずの目眩にまた襲われる。それでも手のひらを芝生につけて、踏ん張る。倒れるわけにはいかない。
声が上擦る。
「あなたの……髪と瞳の色を知りたいです……」
「あ……」
眉根を寄せ、沈黙したリオンハール。水遊びしている子供たちの嬌声が、遠く聞こえてくる。
(孤児院では、黒髪と紫紺色の瞳なんて気持ち悪いっていじめられた。いつも除け者にされて、友達ができなかった。王城で働くようになっても仲間に入れてもらえなくて、勉強会にも演習にも魔法大会にも混ぜてもらえなかった。……黒髪と紫紺色の瞳だって言ったら、ユラシェはどんな反応をするのかな?)
以前、ユラシェがブローチを落としたときに会っている。だから本当のことを話せば、ユラシェは「ああ、あのときの……」と思い出してくれるかもしれない。
リオンハールが怖いのは、ガッカリされること。ユラシェの顔に失望の色が走るのを見るのが怖い。
いい思い出のまま終わらせた方がいいように思う。
デートが終わったら、本当の姿でユラシェに会いに行き、友達になりたいと言おうと思った。けれど朝あったはずの勇気が、シュルシュルと萎んでいる。
リオンハールは嘘をついた。
「普通です。普通の髪と瞳の色です」
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