第26話 パンケーキよりも甘い二人

 リオンハールのおかげで、店内が和気あいあいとなる。

 ユラシェは小さな口でパンケーキを頬張りながら、偽者ヨルンが魔法でイチゴを出した際に、なぜ魔法の色が水色だったのか。その答えを考える。

 一方のリオンハールは、とてつもなく苦いパンケーキをどうしようか考えあぐねる。みんなの前で世界一おいしいと宣言したのに、残すのはおかしい。だが苦いのは嫌だと、舌が拒絶している。


「ヨルン様、食べないのですか?」

「あー、えぇと……お腹がいっぱいになってしまいました」


 ユラシェは首を傾げる。

 ヨルンは三口しか食べていない。それなのに、お腹がいっぱいだなんて変。それにヨルンは羨ましそうな目で、ユラシェのパンケーキを見ている。

 ユラシェはナイフとフォークを置くと、自分の皿をテーブルの中央に置いた。


「とてもおいしいですが、六枚は食べられそうにありません。良かったら一緒に食べませんか? 嫌なら、別に……」

「わあ、いいの⁉︎ ユラシェのパンケーキ、すっごくおいしそうだなって思っていたんだ」


 子犬が尻尾を振るような、無邪気な笑顔のヨルン。

 ユラシェがパンケーキを取り分けようとするよりも早く、ヨルンがフォークを刺した。大口を開けて頬張る。


「わあああっ! これだよ、これ! めちゃくちゃにおいしい‼︎」

「ふふっ、良かったです」


 リオンハールは、おいしいパンケーキの食べ方をレクチャーする。


「アイスクリームにチョコソースと生クリームをかけて、パンケーキに乗せて食べるとおいしいんだよ」

「そうなのですか? 別々に味わっていました」


 リオンハールは切り分けてあるパンケーキに、自分の皿にあるアイスクリームを乗せた。それから、チョコソースを混ぜた生クリームをつけた。

 ユラシェの口の前に持っていく。


「はい、どうぞ!」

「え?」

「とってもおいしいよ」


 眼前に出された、アイス乗せ生チョコパンケーキ。

 ユラシェはおずおずと口を開けた。パンケーキがユラシェの口に入る。パンケーキの甘さと、アイスクリームの冷たさが絶妙でおいしい。


「どう?」

「はい。おいしいです」


 口の中がチョコクリームで甘いけれど、さらに甘いものがユラシェの体を痺れさせる。

 偽者ヨルンの『あーん』によってもたらされた、甘すぎる陶酔。

 心を乱さないで欲しいというユラシェの願いは、リオンハールに届かない。

 偽者ヨルンは「お?」と目を見開いた。


「あ、ごめんね。生クリームつけちゃった!」


 リオンハールは無邪気に腕を伸ばすと、ユラシェの頬に指を添え、唇の端につけてしまった生クリームを親指で拭った。

 ユラシェは耐えきれない羞恥心に襲われる。


「こんなのって、ずるいですっ!」

「あ、ああっ⁉︎ ご、ごめん!」


 ユラシェばかりが感情を揺さぶられて、偽者ヨルンは平気な顔をしている。こんなのずるいと、ユラシェは思う。

 大好きなユラシェからずるいと責められたリオンハールはパニックになって、生クリームのついた親指をパクンっと自分の口の中に入れた。


「証拠隠滅しました‼︎」

「な、なんで舐めるのですか! それ、私の唇についていたものですよ⁉︎」

「はい! おいしさ増し増しです‼︎」

「ばかっ!」


 地上に降りた天使のように愛らしいユラシェ。頬を赤く染め、女の子らしい甘ったるい声で「ばかっ」と叫ぶ。

 恋のキューピットが、リオンハールの息の根を止めに来た。


(恋の矢じゃまだるっこしい。ハートの散弾銃を打ちまくってやるぜ! ばか♡ばか♡ばか♡ばか♡ばか♡ばか♡ばか♡ばか♡ばか♡ばか♡)


 リオンハールは「うっ!」と唸ると、眉間に皺を寄せて胸元の服を握りしめた。


「バカと言われて、喜ぶ日が来るとは思いませんでした! もう一回お願いします‼︎」

「嫌ですっ!」


 これ以上感情を乱さないで欲しいというユラシェの願いは、風に散った花びらのよう。ひらひらと飛んでいって、肝心の人の手元に届かない。

 ユラシェの胸は高鳴りすぎて今にも破裂してしまいそうだし、顔に集まった熱は引くことがない。

 婚約解消をしなければいけないのに、おかしなヨルンへの想いが高まっていく。


「ずるいです……」


 ユラシェはうつむき加減につぶやくと、生クリームがたっぷりと乗ったパンケーキにフォークを刺した。

 ヨルンの口の前に運ぶ。


「どうぞ」

「あ、はい……」


 リオンハールは思いっきり口を開けた。けれどたっぷりの生クリームが唇の端についてしまった。

 リオンハールが手の甲で拭おうとするより早く、ユラシェの華奢で美しい人差し指が、偽者ヨルンの唇についた生クリームを拭う。

 ユラシェは、ためらいがちに生クリームのついた人差し指を舐めた。


「ぬわぁ⁉︎ なななななな、ななな、ななにをしているのですかぁーーーーっ‼︎」

「あなたと同じことです。私の気持ち、わかりましたか?」

「あ、はい……」


 頭から湯気が出そうなほどに真っ赤な顔をした偽者ヨルンと、頬を染めてうつむくユラシェ。


「ちょっとこれは……恥ずかしいですね」

「はい。私もとっても恥ずかしかったです」

「軽率でした。すみません」

「あなたは、他の人にもこういうことをするのですか?」

「しません! ボク、友達いないし……」

「私以外の人にこういうこと、してはダメですからね?」

「はい。他の人にはしません」

「約束ですよ?」

「はい、約束します。その代わりにもう一回、バカって言ってください」

「……ばか……」

「うーっ! 最高っ‼︎」


 パンケーキ専門店『レモンド♡キュート』は、店内果実だらけ。果実のテーブルに果実の時計。果実のおみやげグッズにフルーツラブソング。パンケーキの甘い香りが店内に漂う。

 けれどそんなスイートな空間よりも、とろっとろに甘いものがある。

 ハートを撒き散らすユラシェとリオンハール。

 店にいる誰もが、遠い目をして心をさまよわせる。


(眩しすぎて、二人を直視できない。蜂蜜パンケーキよりも甘い恋って存在するのね。激甘だわ。砂糖漬けになってしまいそう。お父さん、お母さん。私はいつの間にか心が汚れた大人になっていたようです。悔い改めます。この二人に祝福あれ!)


 ブランドンは発狂した。


「このままでは、わしの血液が砂糖水になってしまうじゃろうがっ! 見ていられん。目に砂糖をかけられた気分じゃ。先に外に出ているから、塩とかコショウとか、そのへんの気持ちになってから外に出てこい‼︎」


 ブランドンは茹でダコのような真っ赤な顔をして、店の外に出た。

 カラッと乾いた夏の風に吹かれて、気持ちを落ち着かせるブランドン。


「無理じゃ無理じゃ。あの二人を引き離すことなどできん。可哀想じゃ。みんなを説得して、リオンハールを我が一族に迎えるしかあるまい」

「お祖父様。リオンハール少年の正体がわかりました」


 店から少し離れた場所に、カリオスが立っていた。

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