第36話 魔物の世界に行ったほうがいいのかもしれない
リオンハールは途方に暮れていた。魔物だと騒がれたため逃げてはみたが、行くところがない。とりあえず人間のいない場所を探し回ったものの、困った問題が起こった。
人間のいない場所というのは、山奥やジャングルや氷の大地や火山口。
山奥では猛獣の咆哮に心臓が止まりそうになったし、ジャングルでは蔦に見えたものが大蛇で大絶叫したし、氷の大地ではシロクマと鉢合わせして互いにビックリして逃げ回ったし、火山口ではうっかりと足を滑らせて穴に落ち、危うく燃えてしまうところだった。
ドラゴンの体は強靭でどの場所でも生きていける仕様になっているが、リオンハールのハートは弱虫。安全な場所を求めてしまう。
リオンハールは空を飛びながらベソをかく。
「自分の部屋に帰りたいよぉ。ひっく。ユラシェに会いたい。でも魔物の姿なんて嫌だよね。ひっくひっく、ずびずび。どうしたらいいの?」
魔物の住む北の大地が頭をよぎる。けれどリオンハールは頭をぶんぶん振って、否定する。
「違う! ボクは魔物じゃない。人間だもん‼︎」
眼下に広がる森の中に、青空と白雲が映る湖が見えた。リオンハールは風に逆って、湖に降り立つ。
湖は透明で、底にある砂や魚がよく見える。光が反射して、水面がキラキラと眩い。
リオンハールは顔を洗うために水の中に手を入れた。真っ黒い四本指が水に沈む。
リオンハールは恐る恐る、身を乗り出す。
この四日間、自分の姿を見るのを避けていた。けれど現実を否定して避けようが、物事はなにも変わらない。自分と向き合うしかないのでは? と心が揺れる。
湖に映った自分の顔を、直視する。
紫紺色の瞳と、鱗状の真っ黒な肌。頭には二本のツノがあり、裂けそうなほどに口が大きい。口を開くと、肉を引き裂くのに最適な鋭利な歯が鈍く光った。
「どうみても人間じゃない。やっぱりボクは、ドラゴンっていう魔物なんだろうな……」
ユラシェの笑顔が思い出される。
——本当の姿になってもらえませんか? あなたの手に触れてみたいです。
ポチャ、ポチャ……。
リオンハールのこぼした涙が水紋となって広がり、すぅっと消える。
「うぐ、ひっく。ユラシェ、ごめんね。ボクは人間に戻れないみたいなんだ。魔物の姿で生きていかないといけないみたい」
涙を拭うために瞼に手を当てると、固い皮膚同士が擦れる。
人間の柔肌とは違って、ドラゴンの皮膚は炎にも氷にも耐えられるよう、固くて丈夫にできている。
けれど柔らかな眼球は摩擦に耐え切れない。涙を拭こうとして、眼球に痛みが走る。
ドラゴンの固い手は、涙を拭くようにはできていないらしい。
「目が痛いよぉー! こんな手じゃ、ユラシェと手を繋げない。ボクはもう二度と、ユラシェに触れることができないんだーっ‼︎」
感情が爆発し、口から炎が噴出する。噴き出る炎はおまえは人間ではない、諦めろ、と現実を突きつけてくる。
寂しさと悲しさが、ドラゴンの咆哮となって森に響き渡る。恐れをなした動物たちが逃げていく。
梢から飛び立って逃げていく鳥たちに、リオンハールは叫ぶのをやめた。
「ボクは人間世界にいてはいけないのかもしれない。みんなを怖がらせちゃう。きっと、魔物の世界に行ったほうがいいんだ……」
リオンハールのつぶやきは風に乗り、誰に聞かれることもなくポツンと消えた。
◇◇◇
リオンハールを探すために、メディリアス家は全力を注いだ。けれど、居場所の定まらないリオンハール。あっちこっちに移動しているため、依頼を受けた測定士たちは混乱していた。
「北北東の原始林に魔物のエネルギーがあるぞ!」
「いや! 東南のギルニアス火山口が怪しい!」
「上空をものすごい速さで移動している! くそっ! 一箇所に落ち着いてくれ!」
測定士たちは居場所を突き止めるや、即座に一流魔法使いに連絡する。だが魔法使いが移動魔法でその場所に着く頃には、リオンハールは別の場所に移動してしまっている。
その繰り返し。
苛ついたブランドンが大声をあげる。
「まだ捕まらんのかっ! 成功した者には宝石の出る山をやる。しっかり働け!」
だがリオンハールに接触できないまま、五日が過ぎた。ユラシェは礼拝堂にこもったきり、食事が喉を通らないと言って水分しかとっていない。祈りながらときたま微睡んでいるだけで、十分な睡眠をとっていない。ユラシェの危うい状況に、家族の心労は募る。
そんなときにようやく、ヨルン王太子が帰国したのだ。
ヨルンは気絶するように眠ったユラシェを寝室に運ぶと、メディリアス家の居間で話し合いをもつ。
カリオスを除いた家族と使用人たちが、緊張の面持ちでヨルンを見つめる。
「リオンハールが変身したというドラゴンは、どのような姿ですか? 絵に描いていただきたい」
「これじゃ! 犬と鹿を足して蛇で割ったような姿じゃ。だが怖くないぞ。ひょうきんなちびドラゴンなのじゃ!」
絵心のないブランドンのイラストは、ツノと翼が生えた犬にしか見えない。
「う〜ん……。ドラゴンのイメージが湧かない。これでは、奇抜な犬探しになってしまう」
ヨルンが眉間に皺を寄せていると、油絵用のキャンバスを持ったカリオスが居間に入ってきた。
「遅くなってすみません。簡単にですが、私が目にしたドラゴンを描いてみました」
「これはっ⁉︎」
今にもキャンバスから飛び出しそうな、躍動感あふれるドラゴン。ブランドンの線描では色が分からなかったが、全身が漆黒であることが分かる。
禍々しい翼に、鉤爪。口角が上がった大きな口から覗く鋭い歯。固そうな鱗状の皮膚と、鏃のような尾。
魔物らしい凶暴な姿だが、愛嬌を感じてしまうのは、くりっとした丸い目のせいだろう。涙の膜が張っているような紫紺色の瞳は、宝石のように美しい。
ヨルンは胸元のポケットから、白紙を切って作った鳥型を出した。魔法の杖を振ると、新緑のように眩しい光が鳥型を包む。
「キャンバスに描かれた、このドラゴンを探してくれ」
命を与えられた鳥型は翼を羽ばたかせると、カリオスの描いたキャンバスをくるくると五回まわった。それから開いた窓から外へと、音もなく羽ばたいていった。
「あの鳥が、リオンハールくんを見つけてくれるのじゃな?」
「はい」
不安を拭えない家族と使用人たちに向かって、ヨルンは微笑んだ。
「私は最高名誉魔法使いの座を、権力や金で買ったわけではない。研鑽を積み、精度を高め、魔法大会や魔物討伐で結果をあげたから、最高名誉魔法使いの称号を得られた。必ずや、皆さんのご期待に応えてみせます」
自信に満ちあふれたヨルンに、メディリアス家の家族と使用人たちは安堵の笑顔を取り戻したのだった。
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