第35話 あなたがどんな姿でも、私の気持ちは変わらない

 リオンハールが姿を消して、五日が過ぎた。


 新婚旅行から帰ってきたヨルン王太子は両親に帰途の報告をする暇もなく、メディリアス家お抱えの傭兵に拉致された。

 馬車に乗せられ連れて行かれたのは、メディリアス家本邸の隣に建つ礼拝堂。

 礼拝堂の前で待っていたユラシェの家族たちが、ヨルンに泣きつく。


「娘を助けてください! このままでは死んでしまう。ううっ」

「この五日。食事も取らず、寝てもいないのです! 休むよう、説得してください!」

「ユラにゃんにはリオンハールが必要なんだ。けれど、どこを探しても見つからない!」

「おばあちゃまの命を差し出しますから、リオンハール様を探してください!」


 ヨルンは、泣いているユラシェの両親とガシューとおばあちゃまを慰める。

 ソトニオとカリオスとブランドンは、待ち望んだヨルンの登場に感情が昂り、安堵が怒りへと変わった。


「だいたい元はといえば、ユラシェが心臓発作で倒れたと嘘をついたヨルン様が悪い。僕たちを騙すなんて最低だ! マクベスタを処罰するべきだった!」

「同感! マクベスタを改心させようとした判断ミスが、事態を最悪なものにした。反省しているなら、即刻リオンハール少年を探しだしてください!」

「メディリアス家はリオンハールくんを受け入れる! ドラゴンだろうが、関係ない。大切な家族の一員として、わしが守ってやるわい!」


 ヨルンは興奮している三人に、「落ち着いてください」と両手で宥めながら笑顔を浮かべた。

 その冷静さが、火に油を注ぐように三人の怒りの炎をさらに煽ってしまったことに気づき、ヨルンは急いで言葉を継いだ。


「後は私にお任せください。ユラシェに休むよう説得し、リオンハールを連れてきます」

「ユラシェの誕生日は明後日じゃ! 誕生日会にリオンハールくんがいなければ、ユラシェは泣いてしまう!」

「わかりました。誕生日会に来るよう、リオンハールに話します」


 ヨルンはメディリアス家の期待を一身に受け、礼拝堂の中に足を踏み入れた。



 色鮮やかなステンドグラスが日を浴びて、真っ白な床に幾何学模様を映している。

 物音ひとつしない静寂な礼拝堂。奥に据えられた祈祷台に、ユラシェの姿がある。祈祷台に肘をついて祈りを捧げる様は、厳かなほどに美しい。

 しかし食事を取らず、うたた寝程度にしか睡眠をとっていないユラシェの体はとうに限界を迎えていた。陶器のように滑らかだった肌は病的なほどに青白く、祈りを捧げる腕の細さが痛々しい。


「ユラシェ。私だ」


 祈りを捧げていたユラシェの肩が跳ねる。けれど振り返ることはせず、祈りの形に手を組んだまま沈黙を貫く。

 礼拝堂に漂う静謐な美しさを破らないよう、ヨルンは静かな声音で語りかける。


「つらい目に合わせて申し訳なかった。すべて私の落ち度だ。……図書館で鉢合わせしたときのことを覚えているかい? ユラシェがあれほど嬉しそうに笑っているのを、初めて見た。相手がリオンハールであることに驚いたが、二人が醸し出す純真で和やかな雰囲気は、お似合いだと認めざるを得なかった。ユラシェの恋の相手が私ではなくリオンハールであることに、嫉妬したけどね。だが私たちは恋愛感情で結びついたのではなく、親が決めた婚約者でしかない。ユラシェの運命の赤い糸は、正しい男性と結び直した方がいい。私はユラシェの恋を応援することにした。……しかし障害があった。リオンハールは孤児院育ちで、しかも八流魔法使い。さらには黒髪と紫紺色の瞳という変わった容姿をしている。メディリアス家の人たちがリオンハールを受け入れるのは難しい。悩んでいたちょうどそのとき、マクベスタがユラシェに眠りの魔法をかけた。私は目覚めの魔法をかけ、リオンハールをメディリアス家に関わらせることにした」


 ヨルンは肩を竦めると自嘲気味に鼻で笑った。


「リオンハールを私に変身させてデートするよう仕向けたのは、メディリアス家の人たちにリオンハールの人柄を知ってもらうため。彼の人柄の良さを、まずは知ってほしかったのだ。だがマクベスタを利用するつもりが、反対に利用されてしまった。マクベスタを監視するために付けていた諜者を、操られてしまった。マクベスタが不穏な動きをしたらすぐに、私に連絡が入る体制にしていた。しかしマクベスタは諜者を操って、都合の良い情報を流すよう操作していた。そのため、緊急事態時に駆けつけることができなかった。マクベスタを甘くみていたせいで、今回の事態を招いてしまった。申し訳ない」


 ヨルンは一旦言葉を切ると、深く息を吐き、「もう一つ、予想外のことがあった……」と沈んだ声で続けた。


「リオンハールが、魔物だったことだ」


 ユラシェは祈るのをやめ、ゆっくりと体の向きを変えた。ヨルンに向き合う。

 ユラシェの目の下にはクマができ、頬がこけている。

 赤みを失った、乾いた唇が動く。


「私も過ちを犯しました。謝らないといけないのは、私も同じなのです。リオンハール様は、魔物に姿が変わったことに怯えていた。私は慰めなければいけない立場だったのに……驚いて言葉が出てこなかった。──魔物に姿を変えても、楽しくて優しいリオンハール様のままで嬉しい。あなたがどんな姿でも、私の気持ちは変わらない。そう、言いたかったのに……。あのとき私が想いを伝えていれば、リオンハール様は姿を消さずに済んだのです。すべては私の愚かさが招いたこと。私が悪いのです!」


 礼拝堂でユラシェはリオンハールが帰ってくることを祈り、自分の愚かさを謝罪し続けていた。

 胸に渦巻いていた罪をヨルンに打ち明けたことで、張り詰めていた緊張の糸が切れる。ユラシェは泣き崩れ、床にうずくまった。

 ヨルンは走り寄ると、ユラシェを抱え起こした。


「私だってリオンハールが魔物だと聞いたとき、驚愕してしばらく言葉にならなかった。自分を責めるのは間違いだ。ユラシェが悪いのではない! 私が必ずリオンハールを連れてくる。だからユラシェは部屋に戻って、まずは寝るんだ。それから食事をとって、風呂に入り、体調を整えなさい。明後日が誕生日なのに、主役が倒れてはいけない」


 ユラシェは目眩を起こしながらも、唇が自然と弧を描く。


(ヨルン様とおかしなヨルン様は、全然違うわ。演技をしていると思い込もうとしていた自分が、おかしくてたまらない)


 ヨルン王太子は、するべきことを理論整然と話す。さらには十歳歳上ということもあって、話し方が命令調になるときがある。

 けれどおかしなヨルンは、感情のままに笑ったり泣いたり驚いたりする。意見を押しつけることはなく、柔らかい話し方をする。


(リオンハール様に会いたい。私の感情を高ぶらせるのは、あなただけ。リオンハール様といるとドキドキして、感情が騒ぎだす。リオンハール様の言うこともやることも予想外のことばかりで、いつも驚かされた。でもそれがとても楽しかった。お願い。魔物の世界に帰らないで。戻ってきて。お願いだから……)


 舞台の幕が降りるように、疲労している瞼が下りる。

 体力の限界を超えていたユラシェは、深い眠りに落ちた。

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