第37話 安心して帰っておいで

 山から昇る朝日を浴びながら、ちびドラゴンになったリオンハールは北の大地へとやってきた。


 王城仕えの魔法使いとして、人間と魔物の世界の境界線である北の砦には何回も訪れたことがある。主に皿洗いや掃除、洗濯などの雑用が多かったけれど、魔物の行動分析や魔物巣窟調査も行った。

 人間が現在確認できている魔物の数は六十種。そのどれもが攻撃的で、人間の血肉を好み、嗜虐的。


「ボクはみんなと仲良くやっていきたいタイプなんだけれど、それでも魔物なのかなぁ?」


 リオンハールは双翼をはためかせて、空高くから北の砦を見下ろす。砦は石造りの正方形をしており、その両側には何百キロにも渡る防御壁が伸びている。

 この防御壁こそが、人間世界と魔物世界を分けている境界線。

 リオンハールは防御壁を眼下に眺めながら、魔物の世界に入った。だがすぐに、怖くなって引き返す。しかし人間世界にはいられないと魔物世界に入り、でもやっぱり怖いと人間世界に戻る。

 空高く飛びながら行ったり来たりしていたが、「エイッ!」と覚悟を決めると、砦を背にして岩山に向かう。

 草一本生えていない岩山に身を隠して、荒野に建っている砦を眺める。

 目には見えないが、砦と防御壁には防御結界が張られていて、魔物が入ったり乗り越えたりできない仕組みになっている。


「あれ? でもボク、行ったり来たりしたよね? あ、そうかっ! 空の高い所までは結界が張られていないんだ! 盲点だね。すぐに上司に報告しない、と……」


 弱々しくなった語尾が、荒々しい風にさらわれる。


「ボクはもう、魔物退治をする魔法使いじゃない。退治されるほうなんだ……」


 寂しい気持ちになって、翼を畳んでゴツゴツした岩に背中をもたせる。魔物に姿を変えてからの六日間、たくさん泣いた。もう十分に泣いたから、涙なんて出ない。そう思ったのに、じんわりと涙が浮いてくる。


「ユラシェ、どうしているかな? ボクの姿、怖かったよね。悪夢をみていないといいんだけれど……」


 膝を抱え、背中を丸める。お腹が鳴ったけれど、周囲に視線を走らせても剥き出しになった岩肌が見えるばかりで、食べられそうな物はなにもない。

 以前行った魔物巣窟調査は、砦から一キロ先にある洞窟内部を調査した。その洞窟には光苔が生えていたけれど……。


「魔物に会うのは怖いな。でも、お腹すいた。どうしよう。う〜ん……、砦の厨房に忍び込むわけにはいかないし……」


 悩んでいるうちに、リオンハールはこてんと寝てしまった。

 浅い眠りは、リオンハールに夢をみさせる。



 ゴツゴツとした岩に身を隠して、人間のいる砦を眺めている者がいる。

「人間と友達になりたいな」

 その者は切望する。



 微睡みながら、リオンハールは思った。


(これって、いつもよくみる夢だ。もしかして、本当にあったことなのかも……。ボクは本当は魔物で、人間と友達になりたくて人間に変身したんだ。良かった。ボクは人間を食べるために、人間世界に来たわけじゃなかった)


 荒涼とした大地に強い風が吹き、荒野に生えている雑草が煽られる。

 南から北へと向かう風に乗って、白紙で作った鳥型がピラピラと飛んでくる。鳥型はうたた寝をしているリオンハールの頭の上に止まった。


「ピーピー」

「わわっ、魔物が襲ってきた!」


 甲高い囀りに驚いてリオンハールが目を覚ますと、赤茶けた岩山を背景にして、眩い緑色の光が放射線状に広がっていく。


「なになに⁉︎」

「驚かせてすまない。私だ」


 緑色の魔法の光が消える。姿を現したのはヨルン王太子。

 リオンハールは顎が外れそうなぐらいに驚いて、のけぞり、岩に頭をぶつけてしまった。


「わぁーっ! ボクを退治しに来たのですか⁉︎ ボクは人間と争う気はないです! すぐに魔物の世界に行きますから、見逃してくださいっ‼︎」

「お腹が空いていないかい? ユラシェの母親とおばあちゃんから、食事を預かっている」

「へ?」


 ヨルンは右手に持っていたカゴを上げて見せる。その途端、リオンハールのお腹が「グゥぅぅぅ〜きゅるきゅるきゅるるぅぅぅぅぅー‼︎」と長く盛大に鳴った。

 吹き出すヨルン。リオンハールは恥ずかしくなって、お腹に手を当てる。


「食事にしたいです。お腹が空いています……」

「君のお腹は素直でよろしい」


 ヨルンはカゴを下ろすと、かかっている布巾をとった。カゴの中を覗いたリオンハールは歓声をあげる。


「わぁ、サンドイッチだ! ボク、サンドイッチ大好き!」

「それは良かった」


 ヨルンは乾燥した地面に布巾を敷くと、その上に座った。サンドイッチやスコーンにはしゃいでいる黒ドラゴンをしげしげと眺める。


(ブランドンがひょうきんなちびドラゴンだと話していたが、まさしく。大型犬ぐらいの大きさでは、まだ子供だろう。話し方が幼いし……。大人になるとどうなるかわからないが、少なくとも現時点では邪悪なものを感じない)


 現実主義で慎重派のヨルンは、手放しで魔物を歓迎できるわけではない。それでも無邪気にサンドイッチを頬張るちびドラゴンを見ていると、愛くるしいペットをみているような気分になって和んでしまう。

 ヨルンはポットに入っている紅茶をカップに注ぐと、リオンハールに手渡した。


「紅茶をどうぞ」

「ありがとう! 熱っ!」

「冷ましてから飲みなさい」

「はーい! ふーふー」

「ははっ! 可愛いな」


 漏れてしまった本音。ちびドラゴンを見ていると、自然と表情が緩んでしまう。


「癒されるというのは、こういうことをいうのだろう」

「ん?」

「その姿のまま、私のペットになるか?」

「ボク、人間になりたい! それで、その、あのっ!」


(ユラシェと恋人になりたい‼︎)


 願望が口から出かかる。けれど不安になって、願望を飲み込む。


(ユラシェは魔物になったボクを、受け入れてくれるかな? 嫌いって言われたら、どうしよう……)


「そういえば、メディリアス家の人たちから手紙を預かっている」


 ヨルンはカゴに入っている封筒を差し出す。リオンハールはつぶらな瞳を輝かせて、厚みのある封筒を開ける。

 封筒には十五枚もの手紙が入っていた。

 ユラシェの両親。ブランドン。おばあちゃま。ガシュー。カリオス。ソトニオ。そしてメディリアス家の使用人たち。

 手紙の文字を追っていたリオンハールの目から、歓喜の涙がこぼれ落ちる。


「ボクがドラゴンでもかまわない。安心して帰っておいでって……。家族として受け入れるって……」

「メディリアス家の人たちは敵に回すと厄介だが、味方につくと、この人たち以上に頼もしい者はいない。そういえば、マクベスタがどうなったと思う? カリオスがうまく騙して、ハムスターに変身させたそうだ」

「ハムスター⁉︎ かわいいね!」

「ユラシェを泣かせた罪は重い。カリオスは、そのハムスターに探査機械を取り付けて魔物の世界に放ち、奥地を調べさせると息巻いていた。奥地にはどんな魔物がいるか、想像するだけで身震いがするよ。メディリアス家を敵に回すと、実に恐ろしい」


 それからヨルンはもったいぶるようにして、胸ポケットから一通の手紙を取り出した。


「ユラシェからの手紙だ」

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