第11話 彼女に見合う男ではない

 開幕のブザーが鳴った。

 ユラシェは黒髪の魔法使いから、スポットライトの当たる舞台へと意識を切り換える。


 本日のオペラの公演名は『麗しのオフィリア』

 有名ソプラノ歌手オフィリアと、劇場で働く貧しい青年との身分違いの悲恋物語である。

 クライマックスは、愛するオフィリアを暴漢者から守るために死んでしまった青年を想いながら、オフィリアが満員の舞台で歌うシーン。

 ソプラノ歌手の美しく響き渡る声が、ユラシェの涙腺を刺激する。


「あなたを愛している。愛している。何度叫べば、この声があなたに届きますか? 愛している。幾度叫べば、あなたが戻ってきてくれますか?」


 麗しのオフィリアを見るのはこれで三回目だが、ユラシェは毎回この歌で涙してしまう。


 貧しい日雇い労働者の青年が花束を送っても手紙を書いても、オフィリアは冷たくあしらった。「汚い男なんて見るのも嫌」と青年の粗末な格好を鼻で笑い、「私とあなたじゃ、住む世界が違うの」と身分の差を青年に突きつけた。

 けれど本当はオフィリアは彼を好ましく思っていた。けれど一流歌手であるがゆえに、人々の目が気になってしまった。貧しい男に恋をしていることを周囲に知られたら、舞台を降ろされてしまうかもしれない怯えから、青年にそっけない態度をとってしまった。

 言葉にできなかった愛を、オフィリアは青年の死後、歌に乗せて天国にいる青年に伝えたのだ。


 ユラシェは初めてこの舞台を見たとき、「彼女が自分の気持ちに素直になっていれば、二人は幸せになれたのに」と涙をこぼした。

 ヨルン王太子はしばし考える顔をした後、こう言った。


「現実に即して考えてみたとき、二人が幸せになるのは難しいのではないか? 男は愛を叫ぶだけで、彼女に見合う男になろうと努力していない。貧しい家に生まれ、教育を受けていないという境遇には同情する。しかしだからこそ、働いた金をプレゼントに使うのではなく、字が書けるよう学校に通った方がよかったのではないか? 手紙を代筆してもらうようでは情けない。ユラシェは、彼女が自分の気持ちに素直になっていればと言ったが、恥ずかしいというのも素直な気持ちだ。歌手として舞台に立ち続けるためには、支持者の存在が必要不可欠。恋人が貧しい日雇い労働者では、支持者に呆れられてしまう。男は彼女に振り向いてもらうのに必死なあまり、努力の方向性を間違えてしまったのだ」


 ヨルンの言うことはもっともだけれど、ユラシェは感動の涙が一瞬にして引いてしまった。

 ヨルンは間違ってはいない。現実世界を生きていくというのは、そういうことだ。けれど……夢見る遊び心があってもいいのではないかと思った。



 ユラシェは隣に座るヨルンに気づかれないよう、涙を拭った。泣いているのを知られてもヨルンが嫌な顔をするわけではないけれど、現実を見ている人の前で泣くのは愚かな気がする。

 ズル、ズルル……。

 隣から鼻水を啜る音が聞こえる。見ると、ヨルンが大号泣している。


「え? ええっ⁉︎ ヨルン様、どうなされたのですか!」

「うわぁ〜ん‼︎ だってぇ、こんなのかわいそうすぎるよぉー。本当は二人とも好きなのに、結ばれないなんてぇぇぇーーっ‼︎」


 ユラシェは目の前の光景を疑ってしまう。


(ヨルン様が泣いているところを初めて見たわ! 一年の間に涙脆くなってしまったの⁉︎)


 大粒の涙をぽたぽたとこぼしながら、ハンカチで鼻をかむヨルン。泣き顔を隠そうともせず、無防備な姿を晒している。


「これで終わりじゃないよね? 男が生き返って、ハッピーエンドになるんだよね?」

「いいえ、これで終わりです。男性は生き返りません」

「えぇっ⁉ じゃあ、歌手の女の人はどうなっちゃうの? ぼっちじゃん!」


(ぼっちじゃん、ってなに? どうして、一般庶民の若者言葉を使うの?)


 ユラシェの頭の中は疑問符でいっぱい。心を和ませる演技をしているのかと思っていたけれど演技にしてはナチュラルすぎる。ヨルンの道化師具合は心が和むどころか、頭を打っておかしくなってしまったのではないかと心配になってしまうレベル。


「ヨルン様、どうなされたのですか? この舞台を見るのは、初めてではないでしょう? 悲しい結末であることはご存知であるはず。それにヨルン様は、男性の不遇な生い立ちには同情するけれど、オフィリアに見合う男になろうと努力していない。努力の方向性を間違えている。これでは二人が幸せになるのは難しいと、そう言ったではありませんか?」


 やんわりと問うユラシェ。けれど言葉は鋭い矢となってリオンハールの胸に突き刺さり、鮮血を吹き出させる。


「見合う男になろうと努力していない……。そのとおりだよっ‼︎」


 観客はスタンディングオベーションをして、出演者を褒め称えている。大喝采と鳴り止まない拍手のおかげで、ヨルンの悲痛な叫びを聞いているのはユラシェだけ。


「ボクはダメ人間なんだ! いつまでたっても上に上がれない。得意だと自信を持って言えるものがなにもない。ボクは落ちこぼれなんだ。どうして生まれてきたんだろう。ボクにはなにができるんだろう。自分が情けないよっ‼︎」

「本当にどうなされたのですか? ヨルン様は素晴らしい方です。国民はヨルン様を慕っていますし、二年前に最高名誉魔法使いの称号を得たではありませんか。魔法の師であるマクベスタ様と国を盛り上げていくと、そう熱く語っておられたでしょう?」


 ヨルン王太子は最高名誉魔法使い。リオンハールは八流魔法使い。

 ヨルン王太子はアジュナール王国の次期国王。リオンハールは親を知らない孤児院育ち。

 ヨルン王太子は明るいオレンジ色の髪と若草色の瞳という、人々に受け入れやすい容姿。リオンハールは黒髪と紫紺色の瞳という、人々に嫌悪感を持たれやすい容姿。

 ヨルン王太子は、聡明で心優しくて気遣い上手。リオンハールは、おバカな天然ドジ男子。

 ヨルン王太子はスマートなエスコートをする。リオンハールは油の切れたロボットエスコートをする。

 二人はあまりにも違う。そのことがリオンハールをさらに落ち込ませる。


「ヨルン様は素晴らしいよね。ヨルン様がくれたチャンスを、ボクは活かせずにいる……」


(王城魔法使いに雇ってくれたヨルン様の期待に、なに一つ応えていない。なんの成果もあげられていない。八流魔法使いのまま、レベルアップできずにいる。魔法使いの仲間たちから嫌われて、勉強会にも演習にも混ぜてもらえず、いつも一人ぼっち。どうしてボクは、みんなと色が違うんだろう? どうして魔法が上達しないんだろう? こんな自分じゃ、ユラシェに嫌われちゃう……)


 リオンハールは、デートでユラシェを幻滅させて穏便な婚約解消に持っていく。それが自分の使命だと理解している。

 けれど、つい思ってしまうだ。

 ユラシェが幻滅するのはヨルン。好感度が下がるのもヨルン。いまいちなエスコートをしたのもヨルン。パンフレットを逆さまに見たのもヨルン。階段でつまづいたのもヨルン。劇場のちょび髭係員に注意されたのもヨルン。

 つまり、醜態を晒したのはヨルンであって、リオンハールではないのだ。


 婚約解消した後、ユラシェは自由になる。

 だからリオンハールは、ユラシェの恋人は無理でも友達にはなれるかもしれないと、夢みてしまうのだ。

 けれど、その希望は粉々に砕け散る。


(こんなボクじゃ、ユラシェに見合わない。ユラシェは優しいから友達になってくれるかもしれないけれど、美しいお嬢様の友達が八流魔法使いだなんて、周囲の人々に笑われてしまう。それではユラシェが可哀想。それにユラシェだって、ボクの変わった髪と瞳の色、嫌だよね。一緒にいるのが恥ずかしいって、そう思うよね)


 このデートが終わったら、もう二度とユラシェの前に姿を現さない。恋心を吹き消そうと、リオンハールは決めた。



 

 

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