第17話

そしてその夜


「とうちゃーく」


「おかえり、ただいま」


「ただいま、おかえり」



玄関に置かれたラックにカバンをかける弥生

夜斗はそこに置くものがないため素通りする



「風呂沸かすか。まぁ洗ってあるからボタンポチだけど」


「さすが夜斗。お風呂にうるさいだけある」


「うるさいとはなんだ」



風呂場に行き栓を確認したあとで壁につけられたリモコンを操作した

勢いよく吹き出すお湯を見て満足気にリビングへと戻る



「つか風呂張り予約してけばよかったな」


「レストランは予約したのに」


「そっちに気を取られたんだよ、指輪のことがあったからな。まぁしかし良いもんもらったぜ」



左腕で鈍く光る時計

耐衝撃性に優れていながら普段使い、ビジネスにも使えるオールマイティさを誇る



(…つかサファイアガラスってめっさ高いんよな。調べようとも思わんが少なくとも10万はするぞこれ…。つかフルオーダーの可能性もあるし、そう考えると値段は下手すれば3桁か…?)


「どうしたの?」


「いや、ほんといいもんだなぁと」


「サファイアガラスは製法の兼ね合いで高級品に使われる傾向にある。サファイアガラスで作られた画面保護ガラスは1万円とかするはず」


「やべぇな…」


「その分耐久性は高い。余程のことがなければ傷1つ付かないのがそのガラスだから」


「まぁそうだな。それに比べりゃ大したもんじゃねぇんだよな、その指輪」


「…夜斗のことだから、婚約指輪の通説と間違えて給料3ヶ月分とか使ってそう」


(なぜわかる)



これが夫婦の絆かと絶句していると、弥生が少し笑った



「無言は肯定?」


「…肯定しても否定しても墓穴になりそうだから黙ってみた」


「夜斗のことは誰よりわかってるつもり。夜斗の妹や緋月、黒淵よりも」


「そうだな、そうでなきゃ困る」


「だから、3ヶ月分の給料を使ってると判断した」


「…それは正解だが、俺の給料知らんだろ」


「そうでもない。ある程度は想像がつくし、夜斗前に給与明細落としてた」


「おーう…」


「つまり、約90から100万円程度と推測できる。正直どんなものかまではわからないけど、良いもの。仮に雑貨屋で買った100円の指輪でも、夜斗から貰えばプライスレス」


「…すげぇな。あと最後はすごいなんか照れる」


「夜斗が照れていいのは私にだけ。天音に現を抜かすのはよくない」


「…あれ、天音って女子だっけ」


「そこから!?」



弥生が珍しく大声を出した

コホンと小さく咳払いをして落ち着きを取り戻す



「ちゃんと女の子。テロで怖がって泣くくらいには、ね」


「その理論だと弥生含む三人はテロ自体はなんともないだろ」


「…怖いことは怖いけど、それより怖いことを知ってるから。だから私たちは泣くほどじゃなかっただけ」


「あれより怖いとか相当だな」


「夜斗に言われても…」  



テロリストに立ち向かった夜斗が言えたことではない

テロが怖くないのか?という問いに対して、これほど「お前が言うな」という言葉が似合う人物はそういないだろう



「ヒントは、全員の共通点。それと、その共通点を紐解くと更に共通点が出る」


「ふむ。理論上の推察は可能だな…っと、風呂が沸けたみたいだ」


「先入って。私は少し、婚約済み女子グループのトークに潜る」


「何その闇深いグループ…。つか入れないの天音だけじゃね?」


「他にもいる。例えば、私の先輩で夜斗の後輩のあの人とか」


「…あー、鏡花きょうかか」



鏡花は夜斗の中学生時代、部活での後輩だ

そして弥生の高校時代の先輩

先輩といっても、ただ同じ学校の一つ上の学年というだけで面識は殆どなかった

が、夜斗とのデート中に鉢合わせたことから話すようになったという



「ま、あいつにもいつか旦那ができるさ」 


「うん。その時が来たら入れる。というか、私達としては今入れてもいいけど…多分、天音にしろ鏡花先輩にしろ会話に耐えられないと思うから」


「そんな赤裸々な会話してんのか…。まぁいいや、風呂行ってくる」  



一定の量までお湯が溜まると自動で給湯が止まるため、しっかりと肩までつかれるほどの湯がある

余談だがこの浴槽は夜斗のこだわりで、身長が高い夜斗が肩まで浸かっても足を伸ばせるという大きいものが使われている

尚弥生はその気になれば直立姿勢のまま浴槽に寝ることができてしまう



(さて、あいつらの共通点か。ある程度は絞り込めるだろうが、詳細検索を開始しよう)



髪と体を洗い浴槽に入った夜斗は、全身の力を抜いてそんなことを考えていた



(まずは共通点の列挙を開始。女子・女子校出身・20代前半・一軒家持ち…あ、結婚済み…これか?)



今度はその共通点を紐解く…と言っても簡単なことではない

さらに深いところまで思考を研ぎ澄ませる



(深層思考を開始)



視界と聴覚を意識的に遮断する

嗅覚も止め、呼吸するだけに留める

深い海に沈んでいくような感覚とともに、思考がクリアになっていく



(結婚済みであることを紐解く…つまり、結婚していないと得られない何かが関係する。とすれば、おそらくそれぞれの旦那のことか。俺と霊斗と煉河の共通点…。かつて浮気されまくったことがあるとか?いやそれはない。そもそも俺に恋愛経験はほぼない。インドア派か?いや、俺と煉河はバイカーだ、多少外も好む)



温度さえ感じないほどに感覚を遮断する

触覚は万が一足が滑ったときに気づくのが遅れて溺れるため、残したままにする



(考えられる共通点…仕事は共通点が殆どない。強いて言うなら職場が男が多いこと。これは怖いことではないな。となると他の…)



ふと1つだけ降りてきた答えを思案し、深層思考によって紐解く



(飽きっぽい性格、か?俺からすれば弥生に飽きることはないし、霊斗と煉河は飽きたら首を斬るとまで言っていた。だがそんなのは俺らの中で話したことで弥生や紗奈たちは知らない。つまり、テロより恐れているのは…俺らが妻に飽きる、ということに対してか)



視界を戻し、音を聞く

水滴の音が木霊するのがわかる

湯の暖かみが戻り、そして別の温度を検知して夜斗は目を開いた



「…何してんだ弥生」


「…深層思考に入ってたから、私がお風呂入るのにも気づかないのかなって」 


「まぁわりと感覚切ってるからな」



浴槽…というより夜斗の上に座っていたのは弥生だ

そもそも触覚を残してあれば気づくはずだが、どうやら無意識に遮断したらしい

それほど深く思考をしていたのだ



「見慣れてるからいいでしょ」


「下着まではよく見るけど全裸は見たことねぇよ」


「そうだっけ?じゃあこれが初回。次からも躊躇わない」


「今回も別に躊躇いなかったじゃねぇか」


「今までは耐えてたから。今日からは耐えなくていいと考えたら歯止めなんてかけなかった」


「一回かけろや」



そう言いつつも夜斗は手を弥生の前に回していた

今更離すかという意志の現れだろうか



「そういえば、紗奈は結婚になったの?」


「ああ、そうだな。一応俺と同じタイミングで同棲始めたから結婚日も同じだ」


「…なんか、謀られてる?」


「まぁ…可能性はなきにしもあらず、だな。とはいえ俺が家を出るってなったとき、紗奈は家にいる意味もなかったわけだし仕方がない」



実家の建物は存在しない

両親が死亡したときに相続を受けた紗奈が売却処分したためだ

曰く、家が大きすぎて維持が面倒だという

実際普通の一軒家よりは広く、4人家族でそれぞれに個室があっても3部屋は余っていた



「家自体に思い入れはないからな、俺と紗奈は」


「そうなの?」


「ああ。別にわざわざ残して固定資産税とか払わされるよりは、売った金で好きな家建てたほうがマシだ。俺も遺品全部売っ払って家建てたわけだし」



実際には負担額が半々のため、夜斗だけの家というわけではない

元々は夜斗の負担だけの予定だったが、弥生の申し出でさらにいい家になった

結果、一階はまるっとガレージになり、2階がリビングダイニングキッチンと風呂洗面所に、3階が個室4つになったという



「…つか今更だけど部屋多くね?俺と弥生それぞれの部屋以外倉庫化してるんだが」


「倉庫といっても置くものあまりないけど。それこそ、子ども部屋にする?」


「!?」



夜斗と弥生の部屋はそれぞれ8畳だが、残された二部屋は子ども部屋に最適な6畳だ

そして鍵は弥生の部屋にしかついていないため、かなり適していると言える

しかし



「子どもいないだろう…」


「まだ、ね。私たちには両親がいないから、いざというときに助けを呼べない。けど、今思えば天音か雪菜呼べばいい気がした」


「雪菜は無理だな、あいつも子ども作るとか言ってた」


「想像に容易い…。紗奈も?」


「おう。先に甥か姪ができるだろうな」


「天音は?」


「婚活しろ」


「…一応彼氏いるじゃん」


「冥賀には天音は御しきれんよ。今まで何人フッたと思う」



というのも冥賀の元カノとは全員面識があるのだ

主に清楚な女性が多く、従弟である夜斗や弟の夜暮に媚びを売るのがかなり上手かった

しかしその分裏の顔もかなり我が強く、弥生や夜暮の婚約者を冥賀を狙う女と勘違いして一悶着あったりしたのだ



「まぁ…。けど今度は女性のタイプが真逆だから、どうなるかわからない」


「それはそうかもな。むしろなんであんなに清楚キャラばっかだったんだら」


「多分、立場狙いでしょ。清楚な方が男ウケがいいから、そう演じてただけ。腹黒いのが多かったのも、あくまで次期院長夫人を狙ってただけで」


「そうだろうな。色を見なくてもわかるぞ、あんなの」



色を見て吐き気を催したのは冥賀の元カノたちに対してだけだったりする



「私はあまりあの人を知らないから、好みとか知らないけど。いい刺激にはなるんじゃない?」


「だといいがな。そろそろ冥賀も嫁を見つけんと、親父さんにどやされる」



黒淵家は巨大な総合病院を営む、それなりに大きな家だ

このあたりで…どころか、日本の医療界で知らない人はいないという

その中でも冥賀は外科医としてかなり名を馳せているだけあって、付近の個人経営病院からの見合い申込みが後を絶たない

ちなみに夜暮はそれに巻き込まれた形だ

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