第15話
会計なんてものは既に済ませてある
予約した際にインターネットを通じて決済するシステムだ
そのため伝票なんてものすらない。ただ受付の前を素通りするだけだ
「お客様、お待ち下さい」
「はい…?支払いはネットでやってあるはずですが…」
「そ、そうではなくて…。その、支配人がこれをお渡しするように…と」
「ワッツ?」
夜斗は渡された封筒を開けた
弥生も頑張って覗き込もうと背を伸ばす
[良いものを見せていただきました。また来年見れることを期待して、こちらを贈呈させていただきます。是非とも今後もご贔屓に]
そんな手紙とともに、今回注文したコースより更に上のランクのコースの無料券がつけられていた
「…なんの間違いですかこれは」
「ま、間違いではありません!支配人はああいった恋の話が大好物でして、それを見るためだけにこのレストランを作ったほどなんです!お二人の会話を端から端まで聞いていたようで、こちらを…と」
「…予約いれないと入れないはず。それも、かなり前から」
弥生が言うことは事実だ
夜斗とてかなり早いと思っていたにも関わらず満席寸前だった
今見渡せば席は埋まっている。なんなら先程まで夜斗たちがいた席も、既に別の客がいた
「なので、こちらは予約票になります」
「…はい?」「え…?」
「来年もまたお待ちしております。お二人の結婚生活を、スタッフ一同心よりお祈りさせていただきます」
顔を赤らめる弥生を抱き寄せて、夜斗は言う
「無論です。自慢の嫁なので」
15分程度後、夜斗と弥生は着ていた服を返却した
「クリーニングして取っておきますから!」というスタッフの言葉は現実となるのかどうか
「すげぇ絞られた…。めちゃくちゃ馴れ初めとか聞かれた…」
「私も…。5人くらいは聞いてるだけで、着換え手伝ってくれたの2人くらい…」
「奇遇だな。俺の方も、5人がカーテンの向こうで聞いてくるだけで手伝ってくれたの0人だぜ…」
「「はぁ……」」
押し付けられた封筒を眺めてすぐに夜斗に視線を向ける弥生
ふと目があい、顔を逸らした
「恥ずかしいのか」
「…あれだけ見られたあとだと余計に。周りの人も、ずっとこっち見てたし」
「通りかかったおっさんに『可愛い妻を大切にしなさい』とか言われたぞ。気づいたときには遅いからって」
「評価してくれるのはいいけど、私を見ていいのは夜斗だけ。視線は不愉快だった」
「の割に嬉しそうだったが?」
「それは…。夜斗が指輪をくれたから、そんな視線は気にならないくらい嬉しかったの。言わせないで」
道端であることも忘れて弥生を抱きしめる夜斗を、誰が責められるだろうか
「やはり契約結婚は合理的だな」
「…?なんで?」
「5年の月日を共にした男女の絆がより強くなる、って柄にもねぇこと言うもんじゃないな」
「…それは違う。私と夜斗だから、こうなっただけ。他の契約結婚がどうかなんてどうでもいい。私と夜斗だけの愛のシナリオだから」
「…弥生には敵わんな」
夜斗はようやく離れ、弥生に手を差し出した
その手を取り微笑む弥生と共に家へと帰る
「同棲は終わり。ここからは、同居」
「そうだな。そういえば弥生は苗字変えるのか?」
「…わかんない。橘の名前に興味も価値も感じないし、夜斗との共通点は増やしたい。けど、両親の痕跡まで消える気がして…何も考えてない」
「そうか。俺らは互いに親がもういないもんな」
夜斗と弥生の両親は、それぞれが二十歳の時に事故か病気で既にこの世にいない
それ故に弥生は、自分と親を繋ぐ苗字を変えることにためらいがあるのだという
「けどまぁ、それは好きにすりゃいい。とは言っとく」
「本音は?」
「同じ表札にしたら愛の巣って感じするよな」
「……前向きに検討する。とりあえず明日明後日には市役所行く」
「決まってるじゃんそれ。いいのか、そんな簡単に」
「簡単じゃない。でも、
「それもそうだな。1回しか会ったことないけど、そんな感じの人たちだ」
契約結婚のモデルとして選ばれたときに行われた、両家顔合わせの会
そこでしかお互いの親には会ったことがない
弥生と紗奈は何回か会うことがあった
しかしそれぞれの両親は元々少し離れたところ――つまりは母校の近くに住んでいたため、同棲後はさして会う用事もなかったのだ
「ま、弥生がそれでいいならいい。俺も、同じ名を名乗れるのは嬉しいしな」
「うん。私も」
家の前玄関の軒先で顔を見合わせる2人
その距離が徐々に近づき、あと数センチで唇を合わせることになる
「後悔してない?」
「ああ。当然だ」
「ありがとう」
「こちらこそ、だ」
そして2人はようやく、初めてのキスを交わした
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