第31話
最短ルートで目的地に到着した夜斗は、女子高生が降りるのを待ってから自分も降りた
目的地とはいっても実際着いたのは、女子高生の家のすぐそこにある駅だ
オフィスが密集しているこの辺りではこの駅が唯一にして最大の交通手段でもある
「電車で良かったかもな」
「…そうですね」
「まぁあとは歩け。近くまでは見ててやるけど、マンションの中まではついていかんぞ」
「なんでそこまでしてくれるんですか?」
「…そうか、覚えていないか。俺は冬風夜斗。またの名を、月宮八城だ」
疑問符を浮かべたような顔をしていた女子高生がハッとするまでに時間はかからなかった
月宮八城というのは夜斗がSNS恋愛をよくやらされていた頃に使っていた名前だ。そして
「久方ぶりだな、
「…やーくんそういえば、沼津住みとか言ってたもんね」
夜斗が唯一、告白されても付き合わなかった
それがこの女子高生である
「そうか、あれから5年経ったもんな。小娘といえど成長するわな」
「…どんな気持ちで私の前に現れたの?唯一私と付き合わなかったくせに!」
駅の喧騒に飲まれる悲痛な叫び声
そう、夜斗――八城は、その界隈では告白すれば付き合えると噂が立っていたのだ
そのため本当に好きでも偽装でも関係なく利用するものはいた
しかしこの結という子だけは付き合わなかった。それどころかアカウントを消して逃げたのだ
「特に感情に変化はない。悲鳴が聞こえたから助けた。そしたらお前だった。それだけだ。仮にさっきいたツレだろうが泣く子供だろうが助けることは助ける」
「……なんで、何も思わないの…?」
「なんでと言われても、理屈で助けるわけじゃない。気付いたら手を出してるし、聞こえた時点で助けを求めているのは明白だから…とでもいっておこう」
「…せめて、せめて罵ってくれれば、未練が戻ることもないのに!なんでよ!」
女子高生は泣いていた
夜斗にはその理由がわからない。大した恋愛をしたことがない朴念仁にとって、その涙は不可解すぎた
「何故泣くかは知らんが、大衆の面前だ。話くらいは聞いてやるが、それ以上はしない」
「…場所移そ。私一人ぐらしだから」
「良かろう」
夜斗はバイクを駅の有料駐輪場に停めて戻ってきた
仁王立ちする女子高生に目を向けため息を付く
歩き出した女子高生の半歩後ろから着いていった
(…結、か。当時の年齢はたしか12歳、俺は18歳。ちょっど契約結婚の相手が発表される半年前に告白された。俺は子供だからと相手にしていなかったが、そこから半年間毎日告白された。それだけが理由ではないがその後アカウントを削除し、俺は引っ越すことになったわけだ)
「部屋はここ」
「ああ」
夜斗はポケットの中でスマホを操作した
眼鏡型のデバイスに画面が表示され、眼鏡のツルに仕込まれたカメラが録画を開始する
「んで、なんだ」
「…なんだ、って…わかってるの?子供の戯言だって、バカにして気持ちを踏みにじった相手が目の前にいるんだよ?なんで普通に相手してるの?なんでそれができるの!?意味がわかんないよ!」
「……なんで、と言われても困るが…。まぁ子供の言うことだと相手にしてなかったのは事実だ、すまない」
「…っ!謝らないでよ、私が悪いみたいになるじゃん!」
「俺は相手の思考を読むことに長けている訳では無い」
「…それがなに?」
「本当に好かれていたとは思えなかった。それが主な理由だ」
「…そんな、ことで…そんなことで、フッたの…?私をなんだと思ってたの!?」
「6個下の子供だ。感情的に怒鳴るくらいにはな」
歯を食いしばる結に目を向けることすらしない夜斗
結は握った拳を開き、夜斗の頬を張る
「子供子供って、もうこれでも17になってるのに」
「知っている。だからこそ冷静な話し合いを期待してここにきた。不可能なら俺は帰る。二度と会うことはない」
「…わかった。ちょっとまってて」
結はどこかへと歩いていった
そしてすぐ戻り、夜斗の前に紅茶を置いた
「好きでしょ、アールグレイ」
「いただこう」
結は自分の手元に置いたものを飲もうとしたが夜斗に止められた
「なに?」
「入れ替えてくれ。俺を怨む者が出したものを素直に飲むほど馬鹿ではない」
「…そんなことしないわよ。はい」
結は素直に夜斗へと自分が飲もうとしてたものを渡した
夜斗も自分の目の前におかれたそれを結にて渡し、結が持っていたものを口に入れる
(解析。…刺激性なし、麻痺性なし。毒は含まれていない。色合いからして何も入れられていないのはわかるが念のために、な)
夜斗はそんなことを考えながら半分ほどまで飲み干した
「アールグレイ飲むんだな」
「…やーくんが好きだったから、昔無理して飲んだの。貴方がアカウント消してから、これ飲むたびに思い出して、一緒にいる気がしてよく飲んでた」
「…そうか」
流れる沈黙を一瞥した夜斗は、カーテンの隙間から見えるビルに目を向けた
そこにはかつて夜斗の会社の事務所が入っていたのだが今はもうない
「…ねぇ」
「なんだ」
「なんでアカウント消したの?私から逃げるため?」
「厳密に言えば違うが、大まかに言えばそうだ」
「…っ!厳密に言うと、何…?」
「契約結婚の制度は知っているな。アレのせいで俺は当時とある女性と同棲を始める直前だった。同棲する以上、恋愛関係を求められるものはすべて削除する義務があると判断した」
「え…?あれは、同棲5年間で結婚するってだけの制度のはず…」
「公布された年だけは違う。各学校の3年生男子と1年生女子を一人ずつ選びランダムかつ試験的に同棲させる、という試みがあった。それに選ばれたのが俺だ」
「…でも好きじゃなかったんでしょ?なのに、同棲なんて…」
「選択肢はなかった。だから俺はそいつと、「俺たちはあくまで生活費の折半を目的とした利害関係だ」ということにしたんだ。しかしそれでも、同棲相手に恋人がいるというのは生活に不安定を与えるし、それだけ負担を強いることになる。だから俺はSNSをすべて辞めた。SNSで繋がった人を全て断つために携帯番号ごと全てを変えたんだ」
「…義理堅すぎ」
「よく言われる」
これは実際によく言われていた
というより同棲当初の弥生にも言われたのだ
別に構わない、と弥生が言っても聞かなかった
「頑固ともいうけど」
「それもよく言われる。だからお前から逃げたわけではない、厳密に言うのなら「全ての女から逃げた」ということだ」
「…でも話すくらいしてほしかったもん」
「無理な話だ。お前みたいなのを相手してると情が移る。情が移れば同棲相手に負担をかける恐れがある」
「……で、でも今は?今は同棲してないんでしょ!?」
「お前さっき自分でした説明と年齢考えろ」
しばらく思案していた結が虚空を眺める
「…そんな…嘘、だよね…?」
「俺は今嫁がいる。契約結婚だ」
「そんな…5年、なんて…。もう遅いなんて…」
「だからあえて言うが、お前になびくことはない。他のいい男を探せ、そのほうが幸せになれる。なんなら紹介してやろう、俺の高校時代の後輩が彼女欲しがっていた」
「いらない」
「は?」
「やーくんがいいのに。やーくん以外いらない」
「ガキじゃねぇんだから諦めろ。有名なキャラが言ってるだろ、諦めも肝心だと」
「言ってないと思うけど」
「言ってねぇや」
夜斗は間近で少女の声を聞いて、その子が誰なのかを思い出した
それでいて迷わず助けたのだからこうなることは予想していた
自分を悪くしてでも、前を向かせようとしているのだ
「で、でもやーくんは言ってみればモデルで同棲したんでしょ?結婚するメリットなんてない…はず…」
「気がついたか。結婚するということの本質に」
「好き、なの…?その人のこと」
「ああ。今まで付き合ってきた女には抱かなかった感情を抱き、理屈ではなく愛している」
「………」
黙ってしまった結に目を向ける
何故か背筋が凍るような感覚を得た
何もせずとも心身のスイッチが切り替わる
「なら、その人…消せば…」
(これは…)
夜斗は結の友達とも繋がりがあった
その時に聞いたのが、「暴走」というもの
よく言えば一途、悪く言えば諦めが悪い。ではあるのだがそんな可愛いものではない
「それで俺がお前を好きになるとでも思ってんのか?」
「なるよ。なるまでずっと側にいてあげる。大丈夫私やーくんのためなら何でもできるから。いくらでも養えるほどには稼ぐから」
「無理なものは無理だ。嫁が死んだ時点で、俺は自分を殺す。どんな方法を用いてもだ」
「死なせない。どんな方法を使ってでも」
どんなに話しても並行線だ
そもそも真逆のことを言っているのだからわかり合うのは無理な話なのだが
「契約結婚は離婚時に罰金がある。死別でもだ」
「…え?」
「契約結婚はあくまで少子高齢化対策の政策。5年以内に離婚すれば、詐欺罪が成立し支給される補助金の返済を求められる。仮に嫁が俺を嫌がっても、俺は負担をかけないために意地でも離婚はしない」
「そん、な…。やーくんが嫌いになる、じゃないの…?」
「ならない。5年間溜め込んだ感情が開いたばかりだからそんなこと思うのかもしれんが、少なくとも俺は嫁を手放す予定がない」
「……そっか。じゃあ、仕方無い…よね」
結は俯いた
そしてその姿勢から、ノーモーションで、最速のナイフ投げを夜斗に放つ
「やーくんここで殺せば、ずっと一緒に…」
「理解できぬか…。予想はしていたが」
夜斗は見もせずにそのナイフを回避した
が、銃声と共に前へと倒れ、椅子から落ちる
「え……?」
「公安のものです。契約結婚期間中に、他の異性の部屋かつ密室で二人きりになったとして処罰しました。部屋のクリーニング代金については国から出されますのでご安心ください」
夜斗の背中から溢れる赤い液体が、夜斗の服を汚していく
公安と名乗った男の顔は見えない。結は声を上げるのも忘れて椅子から落ちた
「なん、で…。やーくん…?起きて、起きてよ…」
「遺体はこちらで預かります。おい」
男の背後にいた別の男が巨大な袋を持って部屋に入ってきた
そして夜斗を袋の中に詰めて肩に担ぎヘヤを出ていく
玄関のドアが開かれ、閉まる音で結が動き出した
「なんでやーくんを私から離すんですか…!遺体は、私が処分しますから…!」
「申し訳ありませんが規則ですので。では」
銃を持った男が立ち去ると、入れ替わるように作業着の男たちが入ってきた
床に付着した液体を拭き取り一切の痕跡を消し去る
「待ってよ…やーくんの、血くらい…残してよ…」
項垂れる結に目を向けた作業員だったが、嫌悪するような目に変わった
そしてすぐに目をそらし、部屋をあとにする
「…あはは、終わっちゃった。初恋も、好きな人の命も、好きな人の好きな人の人生も、全部…。私が、私が壊したんだ…」
小さく呟く結に、優しい声をかけるものはもういなかった
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