第十六話 紙一重の恋心


 数秒ほど、ゆっくりとジークはスティーブに言われた意味を噛み砕く。

 階段から突き落とした。それは、『お茶会』の話題を通して、観念したセドリックから白状させた内容だ。

 ブレットは、階段から落ちたのだ、と。


「……嫌がらせか?」

「ち、……がわない、……のかもしれません」


 否定しかけて、自嘲気味に受け入れる。

 事情がありそうだ。ブレットは少なくともスティーブを疑ってはいたが、けてはいなかった。彼ならば突き落とした相手くらい分かっていただろう。


「……ボクは、セドリックが好きでした。幼い頃から努力家で、常に前を見据えていて。冷たい印象を与える顔立ちから誤解されがちですが、それでも困っている人に手を差し伸べることを止めない、意外と情に厚くて優しい彼のことが、好きでした」


 目を伏せて語るその声は、柔らかな愛しさにあふれていた。

 まだ好きなんだな、と悟ってしまうほどに。


「彼を思う気持ちはブレットにも負けない。だってずっと好きだった。愛していた。だから、……卒業前に告白したんです。……、……結果はわかっていたけれど、それでも諦められなかったから」


 セドリックは全く気付いていなかった。

 だから、告白した時にひどく驚かれたとさみしそうに彼は語った。しばらく挙動不審になって、あわあわして、何故かその場でこけたりして、スティーブの方が慌てたらしい。


「セドリックは、どこまでも誠実でした。ありがとう。でも応えられない。……自分は、ブレットが好きなんだと」


 スティーブが諦められなかった様に、セドリックも諦められなかった。

 そして、皮肉にもスティーブの告白がセドリックに告白を決意させた。


「絶望しました。……二人が結ばれたと聞いて、更に」

「……」

「しばらくは泣き明かしましたよ。セドリックを見かけるのも恐くて、逃げました。騎士団に入ってしばらくは、見かけるたびに逃げていたんです」


 それだけ本気だったということだ。

 逃げることしか出来なかったのは、酷い言葉を投げかけそうだったから。八つ当たりをしてみじめになるのが嫌だったから。



 何より、好きな人の幸せを願えない自分が、醜くて嫌いだったから。



 ぐちゃぐちゃな思いを抱えて、けれどどうにも出来なくて、呼吸さえしたくなくなる日々を過ごして。

 だけど。


「……セドリックは、あまりにも優しいから」


 連日の精神的な疲労と寝不足のせいで、具合が悪くなっていたスティーブを、セドリックは見捨てなかった。嫌われるのを覚悟で声をかけ、手を差し出し、必死になってくれたから。

 だから、――もう一度、友人に。

 頑張って友人になろうと、決めたのだ。


「気持ちの整理がついたら、友人に戻って欲しいと告げました。……セドリックは、泣きそうな顔で喜んでくれました」

「……」

「この人を好きで良かったと思いました。……醜い心は消せないけれど、それでも、今では彼の幸せを願える様にはなったんです」


 けれど。



 駄目だった。



「……彼らが婚約する前、セドリックが報告してくれたんです。自分達は、もう少ししたら婚約するのだと」



 目の前が一瞬真っ暗になった。

 同時に思い知らされる。

 まだ、自分は彼が好きなままなのだ、と。


「どんな顔をしていたのかわかりません。お祝いを言ったことは覚えています。笑えたとも思います。でも、……きっと、酷い顔をしていたんでしょう。ブレットが、……追いかけてくるくらいには」


 ブレットもセドリックとスティーブの経緯いきさつは知っていた。スティーブに引け目を感じていたのはスティーブも気付いていた。

 それでもブレットは、普段通りに振る舞ってくれていた。それがどれだけ難しいことか、スティーブにだってよく分かっていた。

 けれど。

 それでも。


「中央広場に近い公園で、階段を駆け上がっている時に呼び止められて。近付いてきて。ブレットが何かを話してくるのが聞こえました。でも、よく覚えていないんです」


 聞きたくなかった。

 謝罪も。言い訳も。安っぽい慰めも。心配も。

 どんな言葉も、あの時は何も、聞きたくなかった。

 だから。



「だから、……だからっ。ボク、……思わずっ。……伸ばされた手を、振り払、ちゃ、……って……、――っ」



 気付いた時にはもう、ブレットは宙に浮いていた。

 慌ててスティーブも手を伸ばしたが、不安定な足場で、ブレットの方が体もがっしりと重い。何とか腕をつかんだは良かったが、一緒に転げ落ちてしまった。

 悪いのはスティーブだ。伸ばされた手を払って、結果的に突き飛ばす形になってしまったのは、スティーブだ。

 全部スティーブのせいだ。スティーブが弱かったせいだ。

 それなのに。


「ぶ、ブレット……、……ぼ、ボクのこと、抱えて、した、じきに……な、……って……」

「――」

「ボクが、悪い、のに……っ。ボクが、突き飛ばしたせい、なのに……! お前のせいじゃ、ないってっ。だからお前は悪くないって……っ!」

「……」

「そんなの違う! 追いかけてきたセドリック、泣きそうになってた! なのに、彼までボクを責めない! いっそ、何て酷い奴だって、罵ってくれれば、良かった、のに……っ!」


 二人は、ただの事故だと言う。

 ブレットが足を滑らせただけだと。

 そんなの絶対違うのに。


「ボクは、……憎かった。悔しかったっ。だって腹が立ったから! ブレットのことも、セドリックのこともっ! 苦しくてっ。気が狂いそうになってっ。ボクを受け入れてくれないセドリックも、そんなセドリックを簡単に連れ去ってしまうブレットのことも! ずっと! ずっとずっと! ……ずっと! 憎かった!」


 でも、違う。

 本当は、違う。


「でも、……でも……っ」


 本当は。

 ――本当は。



「そんなボクを受け入れてくれる彼らが……、……お人好し過ぎる彼らのことが、……どうしようもなく、……好きで……っ!」



 両手で顔を覆ってスティーブが泣きじゃくる。聞いているだけで胸が痛くなる様な告白だった。


「そ、それから、なんです。……ブレットが、嫌がらせ、受ける様になったの……っ」

「――」

「毒入りの飲み物が彼の荷物に紛れ込んでいたり、ラブレターを装って倉庫に閉じ込められたり、襲われたり……っ」

「……それは確かか?」


 引きつる様な嗚咽おえつの合間に、スティーブはしっかりと頷いた。

 どれだけの罪悪感と不安を抱えていたのか。キッカケかもしれないと思ったならば、よけいに潰されそうになっただろう。


「ぼ、ボクのせいで、ブレットが、酷い目に遭って。それなのに、婚約したら、今度は、セドリックが……っ。も、もっと酷いこと、されてっ。最近は、セドリックの持ち物が壊されたり、彼の剣の柄が外されて、危うく酷い怪我を負いそうになったりっ」

「……」

「それなのに、二人はボクじゃないって信じてくれる。……本当は疑っているかもしれないけれど、避けたりしないっ。……それが、また、苦しくて……っ」


 泣きじゃくりながら、それでもスティーブは真っ直ぐにジークとハルシエを見つめてくる。

 ハルシエもいつの間にか本から視線を外し、彼のことを眺めていた。



「お、お願いします……っ。何でもします。だから、……だから、……セドリックとブレットのことを、助けて下さい……!」



 お願いします、と。

 何度も土下座をして、スティーブはひたすらに懇願してきた。


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