第十六話 夜這いだね
「自費出版専門書店の前店主ですが、借金まみれになって、今の店主に乗っ取られた形となっていました」
夕食のハンバーグを食べながら、バリエルが淡泊に報告してきた。
隣のハルシエは大量にハンバーグを頬張ってご満悦中だ。まるで聞いていない。頬をぱんぱんにしたリスになっている。ジークは彼を諦めることにした。
「確か、俺達が助けた平民も、いつの間にか借金させられてたって言ってたな」
「ええ。桁の操作ですね。ほとんどの商品について千円を単位として表示されていたのが、一部のみ千万の単位で表示されていたようでした。単位は右上にカッコで小さく書かれているだけなので、その確認を怠った……というところでしょう」
聞いて、なるほど、と思う。
売買など契約を交わす際の金額の表示の仕方は二種類ある。
普通に「1,000,000」と表示する方法と、「1,000(千円)」と表示する方法だ。契約する人間次第で選べるようになっているのが今の法律で、後者を使う者もそれなりにいる。
今回の場合、通常、「1,000(千円)=1,000,000」と表示されるはずのところを、「1,000(千万)=10,000,000,000」としたということだ。よほど注意深く見ていないと、見落とす人間は出てくるかもしれない。
「……姑息なやり方だな。金額表示に見慣れている商売人ほど騙されるやつか」
「ええ。しかも、最初の方に羅列されている金額は千円単位を表示し、別の場所の金額だけ千万単位を使うという、いやらしいやり方でした」
「おいおい。完全に詐欺じゃねえか」
「ええ。ですが、法曹に訴えてくれなければ、泣き寝入りするしかないのも事実。一応、明示されていると言われたら、依頼人は訴えるのを尻込みするでしょう」
「法に詳しい奴、少ねえからなあ」
「ええ。むしろ、そちらに明るくなく、かつ細かい人間の方が防げるという落とし穴ですね」
後で単位をすり替えている可能性もあるが、それでも見落とした可能性があると思えば、自らの過失を疑う。そうなれば、訴えても取り合ってくれないかもしれないという恐怖も出てくる。
嫌な方法だ。完全に相手を
「しっかし、昨日の夫婦の店はそんなに大きな取引をするのか? 小さな店って言ってたが」
「小さな店なんてとんでもないですよ。最初は知る人ぞ知る、でしたが、今や貴族もお忍びで通うくらい質の良い食品を扱う食料店です。最初は品目も野菜のみだったようですが、果物、肉、魚と年を追うごとに品数が増えていって、経営する夫妻の評判も良い人気店です」
「へえ。それは、……規模が大きそうだな」
「ええ。もっと大きい店にしなよと近隣住民が勧めた……むしろ彼らが自主的に寄付を募って資金を集め、夫妻に渡したという話ですよ」
「おお……。てことは、あの夫婦、よっぽど好かれてんだなあ」
住民達自ら金を集めて渡すなんて、普通はありえない。善意に裏があるのではと疑ってしまうが、バリエルの話ぶりだとそんなことも無さそうだ。
昨日見た感じだと、夫婦仲もとても良さそうだった。ますます陥れた詐欺師に怒りが募る。
「お礼は、店を大きくした後、仕事を怠らずに皆さんにお返しする、と張り切っていたそうです。増築の目途も立ち、従業員の募集もしているようでした」
「ほお。殺到しそうだな」
「ええ。調べましたが、とてもクリーンな店です。商品については、夫婦自ら足を運んで品定めもするそうですが、金銭のやり取りには問屋を通していたということでした」
「……問屋に問題があったと?」
「ええ。最近主人が変わったのは間違いないそうです」
やはりなのか。
書店といい、店といい、元凶が
「黒幕は、裏付けを取ってから報告します」
「同じ人物ってことで良いんだな?」
「ええ。あと、……ディスパーダ子爵の家に、トバイアスが入っていったという目撃証言が出ました」
「……あ?」
何故、自費出版書専門店の店主が、貴族の家に出入りするのだ。
斜め前のハルシエをジークが見ると、ハルシエはちょうど最後のハンバーグの
「夜這いだね」
「お前、ラブロマンス読みすぎだろ」
「ラブロマンスって、そんな話でしたっけ?」
「ジークの頭がラブロマンスだね」
何でだよ。
心の中でだけでなく、声に出しても突っ込んでしまった。そもそも夜這いで貴族の家に平民が入ったら大問題である。
「トバイアスは夜這い人間だということがわかったね」
「夜這いから離れろよ」
「だって、時間帯いつだったの?」
「夜中ですね」
「夜這いしかないよね」
「……。否定できなくなってきた……」
夜中に訪問はますます怪しい。
だが、カロリナの相談内容については有用な証拠である。カロリナは明らかに何かを隠しているということだ。
「ハルシエ。お前、カロリナ嬢に魔除け加護を与えたの、それを見越してか?」
「変な匂いがしたからね」
「……お前の魔法は、まとわりつく悪意の匂いもわかるんだったか」
「ジークの匂いなら良かったんだけど」
「良くねえよ。それ、俺が変態になるじゃねえか」
「変態でしょ?」
「兄上のこと襲ってますもんね」
「それは本の中だろうが! しかもハルシエ絶対同意の上だろ! 本の中では!」
本の中を強調してがなれば、兄弟は揃って顔を見合わせて首を
しかし、悪意の匂いがしたなら、カロリナが狙われているのは決定的だろう。
ハルシエは悪意を持つ者が狙っている人間から、その悪意の匂いを嗅ぎ取る魔法を扱う。魔除けの加護の派生らしい。
カロリナからその匂いを嗅ぎ取ったのなら、ライナス以外の人間が本当の彼女の相談内容だ。
そして、確実にトバイアスが関わっている。
「引き続き、バリエルが調べてくれるんだな」
「ええ。大切な兄上のために」
「バリエル。我が愛しの弟よ」
「あと、籍を入れたらジークお兄様って呼んであげますよ」
「虫よけな。考えとくわ」
それでも良いんじゃないかと投げやりになるあたり、ジークも彼らに毒されている証拠だろう。
単に、面倒な事態になってきた現実逃避かもしれない。
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