第十七話 保存、布教、読書用
「ハルシエ」
ソファに腰かけていた隣のジークが、本を読んでいたハルシエの名を呼ぶ。
少しだけ上目遣いで見上げれば、いつも深い夜空の様だと褒めてくれる髪に手を伸ばされる。そのまま
好きに
ふっと、間近に影が降りる。
何だろうとハルシエがそっと目を開けると、思いのほか近くにジークの顔があった。
透き通る青空を映す
けれど、衝撃は襲ってこない。ジークがハルシエの背中に手を回して支えたからだ。
頬に触れる彼の吐息が、熱い。
つられて、ハルシエの頬も熱を持ち始めた気がした。とくとくと、胸が勝手にリズムを刻む。
至近距離で絡み合う視線が、くすぐったい。熱を
言葉は無い。
けれど、顔に伸ばされるジークの手付きは、何より雄弁に物語っていた。
そのまま、至近距離だったはずの彼の顔が、更に近付いてくる。
ハルシエが
どちらのものか分からないほどに触れる吐息を感じながら、ハルシエは目を閉じた――。
「……。なあ。これ、必要か?」
足を組んで軽く目を通した本の内容に、ジークは頬杖を突きながら疑問符を飛ばす。
「え。必要でしょ。BLだよ」
「そういうもんか? ……一巻目は
「無いじゃない。いたしてないよ。BLだけど」
「でも、キスシーンはあるんだな……しかも、かなり濃厚なやつ」
「あるに決まってるじゃない。BLだよ」
「BLって言えば全部許されると思ってねえか、お前」
「それがBLだよ」
「BLを偏った免罪符にするんじゃねえ。BLに謝れ」
「僕が読んでるBLは例外なくいたしてるよ」
「……」
「今度貸してあげる。面白いよ」
かなりの暴論を掲げるハルシエに、ジークは溜息しか出ない。
おまけに隣から覗き込まれたこの体勢に、更に居た堪れない。これも本の中に書かれている仕草だ。いつも普通にしている仕草だ。本の中の世界は馬鹿に出来ないと天井を仰ぐ。
結局ジークは好奇心に負け、自分達の物語を読むことにした。ここはクライマックス間近で、お互いに気持ちを自覚する場面だ。曰く、ライナスが熱烈に語っていたシーンの一つである。
彼が熱弁を振るうだけあって、物語としてはかなり面白かった。事実とは全く異なる部分も多いが、表面の軽快なやり取りは、確かに自分達と言えなくもない。
「しっかし、これ、親父さんも父さんも読んでるんだよな?」
「うちは家族全員、一人三冊」
「はっ⁉」
「保存、布教、読書用」
「……お前らの感覚、ほんとにわかんねえわ」
一体誰に布教するというのか。まさか、部下か。同級生か。社交場の話のタネか。
同級生同士なら冗談ですむが、社交場ではそうはいかない。両親が自分達の閨の話を持ち出していないことを心の底から願う。今度パーティに出席したら、どんな顔をすれば良いのか。
「堂々とすれば良いんじゃない」
「……お前は出ないだろうがっ」
「うん。ジーク、グッドラック」
完璧に無責任なハルシエに、立ててきた親指を握って
まあ、ハルシエの家族としては単純に、彼が書物の中に出ていれば嬉しいということなのかもしれない。いっそ清々しい。
しかし。
「……何で、許可したんだろうなあ」
ジークとハルシエが真実恋人なり夫婦なりであれば全く構わないが、事実は違う。世間にそういう関係だと見られるリスクがあるのに、何故二人の父親は許可したのか。
確かに面白いもの好きな人達ではあるが、意図が無いとは思えない。冷静に考えると裏がありそうだ。
「まあ、虫よけってことで」
「……どっちも神の加護授かってるもんなあ」
「僕は二度と他人に利用されたくないしね」
「――俺が許すかよ」
少し低い声になってしまった。気付いたが、ジークは素知らぬ顔をする。
ハルシエも特に反応していなかったが、気配が緩んでいた。だから、良しとする。
「まあ、父上達はどうでもいいとして」
「ぞんざいだな」
「詐欺師だからね」
「根に持ってんなあ」
「僕はジークとぐうたらしているだけで幸せなのに。相談なんて、邪魔以外の何物でも無いよ」
無表情で膨れるハルシエに、ジークはぽんぽんと頭を撫でる。
気持ち良さそうにハルシエは目を閉じたが、飛び出た言葉はその穏やかな表情とは真逆だった。
「邪魔をするなら、全部消さなきゃね」
過激な発言に、ジークは笑うしかない。ハルシエの思考回路はいつもぐうたらが基準だ。
「そうだな。追加報告次第か」
「そろそろ動きはありそうなんだけど」
「へえ。焦れて?」
「そう。だって、カロリナ嬢にもライナス殿にも接触出来ないんだから」
「確かに焦れるだろうなあ」
「うん。それに、そろそろ僕も」
――八つ当たり、したいんだよね。
淡々と言ってのけるハルシエの横顔は、ぞっとするほど美しい。
表情は変わらない。むしろ、どこに感情を置き去りにしたのかと疑いたくなるほど無を保っている。
それなのに、心の底から相手を軽蔑する瞳は、底冷えするほどに微笑んでいた。瞳だけで
これは、相当お怒りの様だ。黒幕の命は無いだろう。
「まあ、二人の時間が結構削られたからなあ」
「そうでしょ。極刑だよ」
「お前に害が無いならやっても良いぞ」
「ジークが守ってくれるんでしょ」
「俺の瞳にかけてな」
「瞳はいらないよ」
一度本を膝に置き、ハルシエが間近から覗き込んでくる。
さっきの物語と逆だな。ジークはとりとめもないことを思う。
彼の吸い込まれるほど深い夜空の瞳は、どんな空よりも澄み渡っている。
「例え裏切ったとしても離してあげない」
「それは光栄だな、俺の
手を取って
この言葉の意味を他人が本当の意味で理解するのは、一生ないだろうなとジークは思った。
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