第十一話 表紙はもちろん見比べるよね


 ハルシエに誘導されて向かった書店は、なかなか古風なレンガ造りだった。

 恐らく、元は普通の二階建ての家屋だったはずだ。一見すると他の住宅に埋没していて通り過ぎてしまうし、実際場所が商店街ではなく、住宅街の入り口付近だった。


「へえ、ここが」

「時間帯少ない時を見計らったからね」

「……お前、駄々こねてなかったか?」

「気のせいだよ」


 いけしゃあしゃあと言ってのける。ハルシエの思考回路は相変わらずだ。ジークとしては慣れたものである。

 木製の扉を開ければ、からんからんと、ひそやかに備え付けられていたベルが鳴った。いらっしゃいませ、と遠くの方から声がする。しゃがれた男性の声だ。


「いらっしゃいませ。……おや、あなた様は……もしかしてハルシエ様では?」

「……」


 黙りこくってしまった。

 どうした、とジークは焦るが、杖をついて歩いてきた白髪の老齢の男性に一瞬口をつぐむ。


「あー……、……貴方がこの店の店主か?」

「ええ。三ヶ月ほど前に、前任から引き継ぎましてな。トバイアスと申します。あなた様は、ジークリート副団長とお見受けしますが」

「よく知ってんな」

「有名ですから」


 ほほほ、と好々爺の笑みを浮かべるトバイアスに、ジークは肩をすくめる。気のせいか、と一瞬感じた違和感をとりあえず脇に置く。

 そして、まるっきり無口になってしまったハルシエの背中を軽く叩いた。


「おい。用事は果たせよ」

「……前の店主に用事があったんだけど」


 平坦過ぎる声音に、ジークは内心頭を抱える。これは、しばらく時間が必要かもしれない。全く見知らぬ人間で警戒心をばりばり抱いている。

 故に、ジークは周囲をぐるりと見渡して――うぐっと唸った。

 視線の先にあった書物は、大量に台に積み重ねられていた。心なしか、薔薇色の空気まで見える。目が痛い。



「……これか。俺達の、……本」



 ばん、ばん、ばんっ!



 そんな効果音が聞こえてきそうなほど、ジークの目に本の表紙が殴り込んできた。

 シリーズが七冊あるというだけあって、かなり幅を利かせている。記念すべき第一冊目は、ハルシエとジークが頬を添えて見つめ合っている絵が表紙に描かれていた。実物より綺麗に描かれていないかと、乾いた感想しか出てこない。

 しかも、巻を重ねるごとに二人の密着度はグレードアップしていた。下手すればもう、キス寸前だ。というか、キスしてるだろこれ、という表紙まである。

 極めつけは最新刊だ。ジークのハルシエへの触れ方がかなりきわどい。完全に服の中に手を突っ込んでいるし、耳たぶに唇を寄せている。挙句あげくの果てには、ジークが流し目で周りを牽制していそうな色気をかもし出していた。流石はねやまでぶち込んである内容だ。


「おお。ジークリート殿も、興味がおありですかな? ご自分達のことですからな」

「あー、いや、……気持ちだけ、あー、……俺はしっかり現実を生きていこうと思っている」

「そうでしたか。ハルシエ様は、ご家族と歓談しながら、表紙を見比べて買っていかれるほど熱心とお聞きしておりますが」

「……ハルシエ?」

「だって、買うからには一番綺麗な本が良いでしょ。傷がついてたら悲しいよね」



 いつも、顔に開きっぱなしの本を乗せている奴が言うことじゃない。



 盛大に突っ込んだ。目だけで。案の定ハルシエにはスルーされた。解せない。

 しかし、ようやくハルシエが口を開いてくれた。この勢いのまま、用事を果たしてもらいたい。感覚が麻痺して読んでしまいそうだ。

 そう願ったのに。



「ああ、そうですそうです。実はただいま、変わったばかりの店主として、今後ともよろしくお願いしますとクッキーをお渡ししておるのですよ」



 おもむろに店主がレジ台の下から袋を取り出してきた。タイミング! とジークは心の中だけで拳を振るう。

 しかし、思いのほか可愛いラッピングだ。リボンまで巻いてある。ハルシエがライナスに渡した殺風景な袋とは雲泥の差だ。


「……へえ」

「貴族様にお渡しするのは無礼かとは思いますが、いかがでしょうか。美味しいと評判ではあるのですよ」

「やめとく。ハルシエは、人から物を受け取らないんだ」


 軽く拒否すれば、そうでしたか、とすぐに引っ込んだ。しつこくなくて良かった。内心胸を撫で下ろす。


「ジークはもらっておけば」

「は」

「ジークの分だけ、渡して」


 ハルシエの突然の命令に、店主はぱちくりと目を瞬かせた。

 だが、その合間にジークはひょいっと店主の手から袋を奪う。ハルシエがもらっておけと言うのならもらう一択だ。


「……前任者が良かったけど、じゃあトバイアス殿で」

「え、ええ。何でも聞いてくだされ」

「アキノーラはここ四ヶ月新刊出してないんだけど、病気か何か?」

「……、……いえ。そこは何とも。わしは、しがない一書店の店長でしかありませんので」

「そう」


 くるんときびすを返すハルシエに、ジークはもう用事は終わったと悟った。

 邪魔したな、とジークが片手を上げて辞そうとしたその時。


「……わしも、趣味で本を書いておるのですが」


 いきなり趣味の話をぶっ込まれた。

 ハルシエの足は止まらなさそうだったが、ジークの足は止まった。

 彼の声は、出迎えてもらった時と変わらない。柔らかな笑顔もそのままだ。

 しかし、たった今。その声の奥にある、ひそむ様な感触が、どうもざわざわとして落ち着かなかった。



「ハルシエ様のことは前々から存じ上げておりましたが、いや、実際お会いしてますます胸が高鳴りました」

「……」

「いつか、ハルシエ様のその聡明で繊細なお姿を、書として記す許可をいただけませんでしょうか?」



 からん、と扉の呼び鈴が鳴る。ハルシエが開けたのだ。

 トバイアスの視線は変わらない。声色にも変化が無い。

 それなのに、ハルシエを見つめる熱だけが、言いようもないほど不快だった。ねっとりとした、薄暗いねばつきさえ見えてくる。

 どくどくと、いやに心臓が大きく脈打つのが耳元で聞こえる。

 ハルシエの横顔は、扉から入る日差しの逆行でよく見えない。

 だが、何となく、ジークは体を使ってトバイアスの視線をさえぎった。


「僕に権利は無いから。父に許可を取って」


 たったそれだけを告げて、ハルシエはするりと猫の様に外に出る。

 ジークもそれを追って、固く扉を閉めた。

 ばたん、とかなり大きな音がしたのは、相手を視界からも記憶からも追い出したかったからかもしれない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る