第三話 ストレートは最高だね


 入ってきた時は緊張でがちがちだったカロリナも、紅茶を飲み、言葉を交わすことで少しだけほぐれたらしい。

 ぽつり、ぽつりと、ストーカーもといライナスのことを語り始めた。


「最初は偶然お店の前で会う、とかそういう感じだったんです」

「ボーイミーツガール」

「え?」

「ハルシエ、お前黙ってろ。続けてくれ」

「は、はい。お店は、書店だったんですけど……その時は、お互い読書が趣味で、二人とも色んな本を読んでいるのが分かって。それで、お話が弾んで、尽きなくて。悪い印象は抱いていなかったんです」


 でも、と。カロリナは視線を下に向けてうつむく。


「だんだん、その……『偶然』、が多くなってきて」

「多く、か」

「はい。……飲食店の前とか、アクセサリー店とか、店の種類を問わずに声をかけられることが多くなってきて」

「おお、偶然だな、って感じでか?」

「……、はい。あまりに偶然が多くなってきたので、恐くなってしまって。なのでなるべく外に出る機会を避ける様になってきたんですが、今度は手紙が届くようになって」

「ほお」

「最近外で会えないね、とか。風邪をひいているのか、とか。本の貸し借りをしたいな、とか。どうしてまだ外に出ないの、とか。家に行こうか、とか。……その、本当に色々、と」

「……確かにストーカーじみてんな」

「……。はい。父に相談したのですが、何故か具体的に動こうとしてくれないんです」

「へえ。爵位的には一応上なんだから、動いてもよさそうだけどな」


 動けない理由があるのか。


 ジークが目を細めて思案するのを、ハルシエがちらりと横目で見る。

 だが、特に興味が無くなったのか、カロリナの方へとまた向き直った。――ものぐさ故に、当然視線だけしか動いていない。



「ねえ。ところでカロリナ嬢って、本が好きなの?」

「え? は、はい」



 唐突過ぎるハルシエの話題転換に、カロリナは面食らいながらも頷く。

 きちんと応対するあたり、彼女はなかなか苦労性っぽいなと思いながら、ジークも今度は彼に好きにしゃべらせた。


「好きなジャンルは?」

「え? えっと、……恋愛小説とか、ミステリーとか、……詩集なんかも好きですけど、……」

「ラブロマンス最高」

「は、はい?」

「ロマンスって面白いよね。結末は冒頭で大体想像つくんだけど、登場人物の動きとか心理が、そうきたかーって感じで。読んでて面白いよ」

「は、はあ。……ハルシエ様も恋愛小説って読まれるんですね」

「読むよ。面白ければ何でも。今読んでるのは、アキノーラっていう人が書いた本なんだけど」

「え? え、……え、ええっ⁉」


 両手を口に当てて飛び上がるカロリナに、ジークはちらっとハルシエが軽く掲げた書物を見やる。

 なかなか格式ばった装丁ではあるが、華やかな薔薇でも散っていそうな色合いは如実に恋愛ものだと訴えてきた。男性が手に取るのは少し勇気がいるかもしれない。

 表紙は見えなかったが、ハルシエの書物を確認したカロリナは、赤く染まった頬に手を当てて泡を食っていた。


「そ、それって……、えっと、あの、……は、は、ハルシエ様が読むには、その、えーと……」

「なかなか刺激的だよね。最近主に女性界隈で流行ってるロマンスものって、僕としては新鮮だから。ジークも読む?」

「えっ⁉」

「は? あー……面白ければ?」

「い、いえ、ちょ、ちょっと、……え、……」

「書くのも面白いよね」

「っ! か、書く、んですか⁉」

「ううん。僕は書かないよ」

「???」


 独特でマイペースな会話に、カロリナは目を白黒させるどころか、頭のてっぺんから湯気をぷすんぷすん噴き出し始めた。

 まあ、ハルシエの思考回路を理解するのは難しいだろう。ジークは面白おかしく見守る。同情はしない。


「カロリナ嬢は、ストーカーを何とかしたいんだよね?」

「……。はい」

「そう」


 短く頷いて、ハルシエはぱちんと指を鳴らす。

 途端、ふわりとキッチンのポットやカップが舞う様に宙に浮き始めた。ポットとカップに流れる様にお湯が入っていき、茶葉が躍る様に舞うその光景は、さながら楽しい小道具のパーティの様だ。

 初めて見る賑やかで不思議な光景に、カロリナはわっと目を輝かせて両手を合わせた。


「す、すごいです! え? これって」

「ハルシエの紅茶の入れ方。もうすぐ来るぜ」


 ジークが言うと同時に、ふわふわっとティーカップとソーサラーが三人分テーブルの上へと舞い降りる。上品に一礼する様に、かちゃっと、小さく音が微笑んだ。

 どうぞ、と勧める――はずもなく、ハルシエはさっさと己の分を手に取り、そのままこくりと紅茶で喉を潤す。うん、と一つ無表情に頷く横顔は、ジークにしか分からない微笑をたたえていた。


「さっきのルフナのストレートだ。カロリナ嬢も飲んでみてくれ。こいつの紅茶は美味いぞ」

「は、はい」


 澄み切った赤い琥珀色の水面はとても綺麗で、ほうっと思わずカロリナは溜息を吐いた。

 そのまま、まじまじと見つめる横顔は、どこか切なそうだ。


「カロリナ嬢?」

「え? あ、すみません! その、……赤みがかった琥珀色が綺麗だなって思って」

「あー、まあな。紅茶は色も綺麗だよな」

「は、はい! ……で、では、いただきます!」


 焦った様に気合を入れ、彼女が大切そうに口にした途端。



「――えっ」



 ぶわっと強烈に、何かが舞い上がるかの様に彼女の目が見開かれた。



 それは、かつてジークが初めてハルシエの紅茶を飲んだ時と同じ感覚なのだろう。

 彼の紅茶は――目の前に鮮烈でどこまでも遥かなる風を連れてくる。


「す、すごいです……っ」

「そう?」

「は、はい! 太陽を連想させる様に強いコクなのに、それを追いかける様にさらりとした風の清々しさが口の中に広がって……」

「おー。いきなり詩人だなあ」

「しかも、この渋み……。私、渋いのは苦手な方なんですけど、これは好みです。大地を思わせるほどの濃い香りに、黒糖の様な甘さが溶け合って……すごい」

「そう? 良かった」

「ふわああ……何だか、体に活力が満ちていくみたいに、ぽかぽかしてきました……っ」


 穴が開きそうなほど紅茶を凝視してしつつ、こくん、こくんとカロリナが飲み進めていく。

 かなりお気に召した様だ。ジークとしてはもう当たり前のことだが、どことなく誇らしくなる。


「ごちそうさまでした。とてもすごいものを飲ませていただきました」

「ははっ。最初に飲んだ奴はみんな、味の感想よりもそっちを言うな」

「え! あ、……あ、味は……美味しいんですけど、それよりも、その、……口に広がる感覚がすごくて」


 すごいすごいと語彙力が尽きてしまったのか、カロリナの顔がだんだんと赤くなっていく。

 だが、ハルシエは我関せずだ。大して表情を変えずにマイペースに飲み干していく。

 これはもうお開きだな、と彼の様子を見てジークが軽く切り上げた。


「……あー。……ストーカーについては了解した。俺達の方で色々考えておくから、今日は一度家に戻ってくれないか?」

「え? あ、はい。……って、もうこんな時間」

「そういや、護衛は? 送ってくか?」

「い、いえ! 大丈夫です。……ああ、やっぱり馬車が迎えに来ている。長い時間、ありがとうございました! よろしくお願いします」


 ぺこり、と頭を下げ、カロリナが辞する。従者の気配はジークも感じていなかったが、一人で乗り込んできたことを思うとなかなか豪胆な女性だ。それだけ切羽詰まっていたのかもしれない。

 ぱたん、と扉が閉められた音によって、室内はようやくハルシエが望む平和に満たされたのだった。


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