第四話 書物は面白ければ何でも良いよね
カロリナが帰ってしばらく扉の近くに待機していたジークは、ふっと力を抜いてハルシエに歩み寄る。
どかりとソファに座ったジークに、ハルシエは本から顔を上げずに問うた。
「大丈夫そう?」
「紅茶飲んだんだから心配はないだろ」
「誰か来てたでしょ」
「心配ない。正しく見失ったみたいだぞ」
「そう」
ジークの言葉にひとつ頷き、ハルシエは再び書物に没頭する。マイペースだな、と笑いながらジークも淹れてもらった紅茶を口にした。――相変わらずハルシエが淹れる紅茶は、別世界に飛ぶほど美味い。何故ジークが淹れるミルクティーが好きだと彼が
カロリナがこの家に足を踏み入れてから、二人ほど外に気配を感じた。
最初はカロリナの従者かと思ったが、壁に耳を当てる様な探りを感じたので、ジークが適当に威圧をかけて追い払っておいたのは彼女には内緒だ。
しかし、よく彼女一人をこの家に放り込んだと感心する。普通は従者が一人か二人、護衛としてこの家に入るか、外で待機しているものだ。いくらハルシエが誉れ高き公爵の子息で、ジークが騎士団の副団長だとしても、男二人の前に女性を放り込むなどありえない。カロリナの家の常識は狂っているのだろうか。
「父上が言ったんでしょ。僕の態度が酷いから、従者がいたら怒って相談にもならないだろうって」
心を読んだ様に、ハルシエが答えを放り込んでくる。なるほど、と納得せざるを得ない。
ハルシエは、相手の家柄や名前すら知らないし覚えない。聞いたそばからよく忘れる。会話はあちこちに飛んでいる様に聞こえるし、真剣に話を聞いてくれているのかと疑いたくなるだろう。
ハルシエへの相手の態度は、綺麗に真っ二つに分かれるのだ。面白がるか、無礼だと憤慨するか。
ハルシエの父は、それを十二分に知り尽くしているため、カロリナに助言したのだろう。ハルシエと話をするなら、従者は傍にいない方が良いと。
令嬢としてそれもどうかと思うのだが、ジークは大体ハルシエの傍にいる。騎士団副団長の肩書は伊達ではない、ということだ。上手く利用されている。
「ところで、ハルシエ。さっき、カロリナ嬢が刺激的だって言ってたが、ティーンズ的な何かなのか?」
「ん? ああ。ジークも読む?」
「いや、内容による」
終始あはーんうふーんな感じの話なら、興味の
故に問いかけてみたのだが、真実は斜め上をいっていた。
「これ、僕とジークをモデルにしたBL本だよ」
ぶっふー。
盛大に紅茶を噴き出すジークに、ハルシエは魔法で綺麗に防御する。本が濡れるじゃない、と淡々と注意する彼は、相変わらずマイペースだ。
「は、お、おま、……は?」
「だから、僕とジークをモデルにしたBえ」
「何でだよ! いや、むしろ何で平然とそれを読んでるんだ⁉」
「え? どんな風に書かれているのか興味があったから」
平然と言ってのけるハルシエの顔に、嘘はまるで見当たらない。本気で好奇心から手を付けたのがよく伝わってくる。
BL。
それは、すなわちボーイズラブ。男性同士の絆や恋愛を深く深く描写する流行りのジャンルである。
恋愛は自由だと思うジークでも、流石に自分を題材にした物語を目にするのはかなり勇気がいる。何故お前は平気なんだと、小一時間くらい問い
「ちなみに、
「はあっ⁉」
「僕達すっごいラッブラブ。ジークの溺愛とかとても細かく書かれてて笑っちゃったよ」
「で、……おい。ちょっと。おい」
溺愛。
世間からはそう見られているのかと、何だか頭が痛くなってきた。ハルシエのあっけらかんとしたその精神が切実に羨ましい。
「まあ、ジークはよく世話を焼いてくれるから。溺愛に思われても仕方がないよね」
「そうだよな。お前が食事も取らず、ところ構わず床で地面で城内で寝転がり、放っておけば風呂に入るのも忘れ、下手すればそこらへんで行き倒れているからだよな。断じて俺のせいじゃない。お前のせいだ」
「それに、誰からも物をもらわないのに、家族以外で唯一ジークからは受け取るし」
「そうだなー。お前が女の子からの贈り物から全力で逃げ出すから、俺がどんだけなだめてフォローしたんだかなー」
「まあ、諦めて。愛しき人よ」
「やめろ。世間にこれ以上疑惑を広めるのをやめろ」
「この言葉、この本に書いてあったんだよね」
だったら尚更やめろよ。
わなわなと火山の噴火一歩手前の如く震え出すジークに、ハルシエは冷めたまま大問題の書物を寝転がりながら読み続け。
「大丈夫だよ。これ、
「――」
「物語としてはよく出来てるけどね」
さらっとした痛烈な感想に、ジークは一瞬時を止め。
――こいつはこういう奴だよな。
先ほどまで慌てていた己が馬鹿らしくなるのだった。
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