第一話 留守です


 ハルシエの家族や親友は、呼び鈴など鳴らさない。

 勝手知ったる顔でノックすらせずにずかずか乗り込んでくるのが通常だ。

 つまり、呼び鈴を鳴らす人間はそれ以外の人間ということである。

 そうなれば、ハルシエが取る行動はただ一つ。



「留守です」



 本を顔の上に乗せ、ハルシエは寝ることに決めた。実に流れる様な行動であった。


「……おい」

「留守です」

「留守です、ってわざわざ言う家主がいるか!」


 ぴんぽんぴんぽーん。


 そんなやり取りの間にも鳴り続ける呼び鈴。次第には、ぴんぽんぴんぽぴぴぴぴんぽんぴぴぴぴぴぴぴぴぴんぽぽぽぴんぴぴぴぴぴぴんぽん、と素晴らしい連打を繰り出してきた。諦める気は毛頭ないのは明らかだ。

 しかし。


「留守です」


 ハルシエは、鋼の心臓だった。

 鳴り響く呼び鈴にノイローゼになることもなく、ましてや罪悪感すら微塵も感じることもなく、どこまでも我が道を行く人間である。

 なので。



「はいはい。どちらさまですか」



 代わりにジークが扉を開けて対応した。ハルシエはそれを見て、完全に狸寝入りに入った。


「こ、こここ、ここは、ハルシエ様のお宅でよろしいでしょうか」


 玄関の前に立っていたのは、一人のうら若き女性だった。

 栗色のカールの髪を背に流し、瑠璃色の瞳で上目遣いに見上げてくる仕草はそれなりにぐっと来る。大体の世の男性ならば、どきっと邪な感情がなくとも胸が少しだけ高鳴っていたかもしれない。

 だが、ここにいる人間達は、どこまでも世のときめきからはかけ離れていた。


「寝てます」

「寝てます、って言って寝てる人間はいねえよ」

「寝てます」

「そんな人間がここにいます、みたいな言い方するんじゃねえ!」


 ハルシエは引き続き狸寝入りを決め込み、ジークは女性をほっぽって叱りつける。

 いきなり漫才を始めた二人に女性はしばし呆けていたが、はっと我に返って前のめりになった。


「あ、あの! ハルシエ様、ですよね!」

「バリエルです」

「平然と嘘ついたぞこいつ」

「あと寝てます」

「絶対寝てねえ」

「あと、バリエルです」

「可愛い弟を勝手に緊急避難措置扱いするんじゃねえ!」


 ジークがいちいちご丁寧に突っ込んでくれているおかげで、完全に漫才空間である。

 女性はまたも置いてけぼりにされたが、めげなかった。



「あ、あの! アウトライト公爵閣下が! ここに来れば全て解決するよって仰って下さいまして!」

「……チ、 チチ ウエ、 ド ウ シ テ 」



 必殺の一撃を入れられ、ハルシエは顔に本をかぶせたまま死んだ。腕はだらりとソファから落ち、完全無欠の死体になっている。

 全てを悟ったジークは、呆れ気味に突っ込んだ。


「お前なあ。ニートになるなんて、あの親父さんが許してくれるはずないだろうが」

「僕はニート。ハルシエ・ニートです」

「ほぼニートになる代わりに、相談ごとがあったらここに寄越すって、最初に言ってたぞ」

「記憶にございません」

「寝てたからな。契約書交わしてたぞ。寝てるお前の指で押印してたぞ」

「偽造です」

「父親を詐欺師扱いすんなよ……」


 右腕だけばたっばたっと動かすさまは、どこか不気味だ。ゆったりしているために、よけいに何の生き物かと問いたくなる。いや、問いたくない。

 そんな絶望的な状況確認をハルシエがしている間にも、時間は残酷に過ぎ去っていく。


「あの、……それで、ハルシエ様ですよね?」

「アウトライト公爵です」

「……こいつ、遂に父親を詐称し始めたぞ」

「夜空を思わせる艶やかな黒髪に、だらりとしながらも何故か品が漂う、おかしい、せぬ、何故ぐうたらしているだけなのに眩しく見える時があるのだ、などとこの世の、いえ、この王都の全員が首をかしげるほどに顔だけは眉目秀麗という素晴らしい魔術師ハルシエ様にお願いがございまして」

「……。このレディも、なかなか良い勝負だな」


 相手が相手なら大激怒して打ち首になりそうな無礼千万な評価をする女性に、ジークは若干引いた。ハルシエの周りはこんなのばっかりだな、と思わなくもないのは本人の日頃の行いのせいだろう。

 しかし。



「……お願いします! どうか、にっくきストーカーを追い払ってください!」



 ――あ。これ、断れないやつだ。



 そんな心の溜息が、ハルシエとジークの間で綺麗に重なったのは、公爵のとても良い笑顔が同時に浮かんだためだろうか。


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