第二十話 僕の言葉だけ
カロリナの父親に詰め寄るのは、予想通りトバイアスだった。
夜更けに彼が子爵邸に入っていくのを確認し、ジークはハルシエやライナスと共に堂々と玄関から入った。バリエルや影も、既に各々動いている。事前に子爵には許可を取ってあるし、断じて不法侵入ではない。
ハルシエの魔法の紅茶で姿を認識しづらくしているが、子爵にはちゃんと見える様にしてある。彼と話したのは短い時間だったが、どこか泣きそうに安堵した表情は、娘を案じるただの父親だった。
ハルシエが言葉を発したと同時に、紅茶の効果が切れる。
いきなり背後から声がして、トバイアスはさぞかし驚いた様だ。振り返った表情は、幽霊でも見る様な目つきと共に青ざめていた。
「は、……ハルシエ、さま」
「と、ジークだよ。カロリナ嬢を見つけられなくて残念だったね。ラブロマンスの主役じゃないから仕方がないね」
「お前、ラブロマンス好きすぎるだろ」
「物語の主役はね、どんな壁が立ち
「っ、は、はい!」
ハルシエに背中を押され、二人の後ろに隠れていたライナスが飛び出す。子爵に頭を下げ、階段を駆け上がっていった。子爵は彼までいたことに驚きを隠せなかった様だが、それでも黙って通した。
そうして二階の奥から、「カロリナ!」「ら、ライナス……⁉ どうして」と甘く叫ぶ二人の声が聞こえてくる。トバイアスの顔が、瞬時に赤く染まった。
「おい! 子爵! やはり隠していたのではないか!」
「とんでもない。先程、トバイアス殿は、カロリナを素通りしていましたよ」
「はあ⁉ な、そんな、わけ」
「俺達のことも全然見えてなかっただろ。ハルシエなんか、さっきからお前の目の前で本読んでたぜ」
「はあっ⁉」
「ジークは彼の頭から角はやしてたよね。子供だよね」
「いやあ、子爵が笑わないかなあと。ついでにそれでもっとこいつを怒らせられないかなあ、と」
「……ジークリート殿のせいで、私はずっと頭を上げられませんでしたよ」
少々非難がましく言う子爵は、しかし笑いをこらえている。どうやら想定以上に彼のお気に召したらしい。
「兄上。トバイアスのところからかすめ取……頂戴した契約書と子爵のを照らし合わせたところ、一部
「そう。じゃあ、後はよろしくね」
「はい。――捕まえろ」
「ひいっ⁉」
二階からまたも出現した新しい集団に、トバイアスは発狂寸前だ。これだけ隠れていた人物がいたとなると、己の目が腐ったのかと疑心暗鬼になるだろう。
袋のねずみだ。もう逃げられない。
だが、今まで成功し続けていた彼には信じられなかった様だ。
「……ハルシエ様っ!」
がちゃっと、懐から素早く銃を取り出す。
銃口が狙いをつける先は、ハルシエだ。
しかし、ジークが滑り込むもうとするのを、ハルシエは手を上げて止めた。
「何。殺したいの?」
「ええ。手に入らないならいっそ」
「迷惑だよ」
「ハルシエ様……貴方は、とても見目麗しい。……その流れる衣服の下にあるのは、さぞかし
舌なめずりする様な声と視線に、ジークは鳥肌が立つ。今まで
だが、ハルシエはどこまでもハルシエである。
「そうなの? ジーク」
「俺に聞くなよ」
「だって、僕達やることやってるんでしょ」
「BL本を現実にするなよ」
「実際、裸は見慣れてるよね」
「お前のお世話係だからな」
大して気にも留めずに会話するハルシエに、トバイアスはひくっと片頬をつらせる。
ハルシエに精神攻撃をしても無駄だ。彼は、興味のない人間から何を言われても、驚くほど響かない。
「銃ごときじゃ、僕は殺せないけど。やりたければやってみれば良いんじゃない」
「……わしは、手に入れたいものは全て手に入れてきた。これまでも、……これからもっ。……ハルシエ様。貴方はもう少し、体も自分も大事にした方がいい」
「誰よりも大事にしてるよ」
「いいえっ。……そんな、強欲にまみれた男を傍に置いているではないですか!」
「ごうよく」
「そうです! 危険極まりない! そいつは、
「せいよく」
「わしが貴方を大事にせず、誰が貴方を大事にするのか!」
「ジークが大事にしてくれるよ」
「はっ! それこそが間違いだ! そいつは、……そいつは! 騎士の皮をかぶっただけの、野蛮で残忍な化け物だ!」
散々な言われようだ。野蛮というのは間違いではないけど、とジークは達観する。
だが、その瞬間。
きん、っと。隣から斬れる様な殺気が吹き荒れた。
げ、とジークが
「副団長という立派な肩書だが、みんな騙されている! 噂で聞いたぞ。貴様は笑いながら人を斬っている鬼畜だと!」
「あー、……あー……」
「犯罪者が相手とはいえ、笑いながら人を斬るなど言語道断! 戦闘狂どころか殺人狂ではないか!」
「……」
「騎士などおこがましい! 立場を変えればただの殺戮者だ! 汚らわしい奴め!」
「――」
ぴく、とジークの人差し指が動く。
合わせて、ハルシエの殺意が深まった。
「人を斬ることに躊躇いがない。迷いもない。心が痛むことすらないとは、騎士失格だ! そんな危険極まりない輩が、ハルシエ様に
自分を棚に上げてのご高説は、ジークとしては白けるしかない。何故こんなに偉そうなのか。パニックから
もう斬って良いか。隣もやばいし良いか。さっきから、殺意の塊が酷い。凍えるを通り越して死にそうだ。
どうやって捕獲するかと、ジークが腰の剣の柄に手をかけた時。
「ジークは、騎士だよ。立派なね」
ハルシエがつまらなそうに、淡々と。
けれど、絶対零度さえも
「だって、君みたいに生きる価値のない人を、消してるだけだから」
言い終わると同時に、トバイアスが視界から消えた。
ジークの目でさえ追えない早業と微かな夜の残り香は、紛れもなくハルシエが魔法を行使した証。
二階で、不快な音と絶叫が派手に転がる。何かが折れる音に、ハルシエは興味を示さない。
「バリエル。始末しておいて」
「はい」
「息をしていることさえ後悔させてね」
「望みのままに」
空恐ろしい会話をする兄弟に、未だ何が起こったか理解出来ない子爵はひたすら呆然としていた。
しかし、フォローはまるでない。もう終わったとばかりにハルシエは
「ハルシエ」
「君が笑ってたことなんて一度もないのにね」
「いや、……騎士達と訓練してる時は、笑顔で楽しそうだって言われるぞ」
「訓練でしょ。みんな笑ってるよ。この国の騎士団、訓練大好き過ぎるし」
「まあ、……そうか」
ハルシエに指摘され、ジークは半笑いするしかない。
だが、トバイアスの言ったことは当たっている気もする。
ジークは、人を斬っても何も感じない。恐怖もない。後悔すらしない。
それは、ただの殺戮人形と何が違うのか。考えたことは一度や二度ではない。
けれど。
「ジークは、守るためにしか斬らないじゃない」
「――」
「あんな犯罪者の言葉なんて聞かないでよ」
「……」
「僕の言葉だけ聞いて」
ハルシエは、全て肯定してくれる。
ジークが彼の全てを肯定するのと同じ。
だから。
「ああ」
それが真実なのだ。
ハルシエの瞳によく似た夜空を見上げ、肩の力を抜いた。
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