第十九話 追いかけっこもかくれんぼも楽しいよね


「何故、カロリナに会えないのだ!」


 月が微笑み、夜もひそやかに更けた頃。

 ディスパーダ子爵の屋敷のエントランスでは、トバイアスが殴り込む様に怒鳴っていた。

 対面する子爵は、ずっと頭を下げている。今すぐその頭を殴り飛ばしてやりたいが、カロリナの居場所を突き止めるまでは生かす必要がある。ますます不愉快になって奥歯を噛み締めた。


 トバイアスは、強欲だった。生まれた時から、欲しいものは全て手に入れてきた。


 それが例え既に結婚した女でも。この世に二つとない宝石でも。騙されやすそうな爵位持ちの人間でも。

 全て、全て、思うがままに手に入れてきた。



 どうしても手に入らないのならば、壊す。殺す。



 そうすれば、手に入れられなかったという事実は無くなる。最初から無いのだから、手に入るはずがない。

 そうして、トバイアスは齢六十になるまで、富を膨らませてきた。女もあまりあるほど使い捨ててきた。

 何故、一ヵ所に留まらないのか。何故、爵位が欲しくないのか。

 問われたこともあるが、一笑に付すほどの愚問でしかない。

 各国を転々としてきたのは、容易たやすく捕まらないためだ。爵位を無駄に手に入れないのは、自由に動くためにはかせだからだ。


 平民ほど、紛れやすい地位は無い。


 権力は持てないが、身軽だ。権力など、金で奪い取った駒を使えば良い。

 それに、金があれば、たいていの人間はへつらう。みんな、金に目が無い。どれだけ聖人ぶっていても、実際に目の前に金塊を山と積み上げれば目の色が変わる。

 落ちた善人は数知れず。笑いが止まらない。



 金は実に良い。分かりやすい。人を御するのに絶大的な力を誇る。



 女も最高だ。あれほど欲を満たす道具は無い。

 少女だろうが人妻だろうが、トバイアスに相応しければ何も問題はない。

 皆が見初みそめる、まだ蕾が花開く前の少女を手折たおるのも楽しかった。低級な男達の目にさらされては穢れてしまうと家に囲い、枯れるまで存分に可愛がったものだ。

 人妻も同じだ。世の中には、あんな平凡な男性にはもったいないと思う人妻の何と多いことか。

 当然、根こそぎ手に入れた。素直に献上しない夫は殺した。借金まみれにしておけば、大体はそのトラブルだと処理してくれる。無能な役人ばかりで笑いが止まらない。


 彼女達は、トバイアスの目に留まって幸運だ。


 生まれ持ったその美貌は、『有効活用』されなければならない。

 そうでなければ、この世に生まれた意味もないのだ。感謝にむせび泣く彼女達の姿は、いつもトバイアスをあふれるほどに満たした。



 そんな中で出会ったカロリナもまた、トバイアスに相応しい女性だった。



 くるくる変わる可愛らしい表情に、発育の良い体つき。溌溂はつらつとした声が悲鳴と快楽に歪んでいく過程は、とても楽しいひとときとなるだろう。


 それにはまず、彼女の家を掌握しなければならない。


 彼女の隣にいる男も邪魔だ。

 のんきな顔をして、しつこく彼女にまとわりつくとは無礼に過ぎる。どこにでもいる平々凡々な一般人など、彼女には相応しくない。きっちり消さなければならないだろう。


 都合の良いことに、彼女の父親は今、新しい事業を立ち上げようとしていた。


 まさか、小説を書く娘のために出版社を作ろうなどとは、親馬鹿に過ぎるが扱いやすい。

 当然機会は逃さなかった。子飼いに近付かせ、好条件で契約を交わさせ――落とす。簡単に上手くいった時は天に昇るほど飛び上がった。

 男にも、好々爺を装って毒入りのクッキーを渡した。一ヶ月以上かかる遅効性のものだが、体内から排出されることもない特別性だ。ゆっくりと、だが確実に、あの男を殺してくれるだろう。


 最近は、カロリナの怯える表情もたまらない楽しみの一つだった。


 外で声をかけた時の怯えようは、確実に手に入れた時の楽しみを一層膨らませた。懸命に逃げようとすればするほど、こちらには余裕が生まれる。逃げられない絶望を教え込むのは、またとない喜びとなるだろう。

 劣情に陥落し、自ら衣服を脱ぎ捨て、トバイアス様、と恍惚こうこつと見上げてくる瞬間を想像して、欲が止まらなくなる。


 これで、準備は整った。


 さあ、仕上げといこう。

 そう思った時に。



 ぱったりと、カロリナと出会えなくなった。



 最初は上手く逃げられているのだと思った。無駄なことをと、余裕綽々よゆうしゃくしゃくで構えていた。

 だが、一日、二日と経ってくるうちに変だと感じる様になった。

 いつだって、彼女の姿を捉えられない日は無かった。駒によって常に行動を把握させていた。すぐに見つかるだろうと高をくくっていた。


 それなのに、五日経った今、一度も彼女の姿を見つけることが出来ない。


 それどころか気配すら感じないのだ。

 思えば、カロリナがハルシエの家を訪ねたという報告があった時からだ。あの日も、何故かいきなりカロリナを追えなくなったと、駒から報告を受けていた。

 あの時は、ただの怠慢だと処罰するだけにしてしまったが。



 ハルシエ・アウトライト。



 魔法神の加護を受けた、特殊な魔法を使う魔法使い。

 見る者の目を一瞬で奪うほどに麗しい、中世的な妖艶さをまとわせる青年。気だるげな視線に絡め取られたいと願う者は、数多く。トバイアスもあわよくば手に入れようと画策していた対象だ。

 しかし、彼はかなり異様な噂を持つ。

 彼によこしまに触れる者は、非業の死を遂げる。その気になれば、国の一つも滅ぼせる力を持つ。

 王さえ彼には頭を垂れるという噂までささやかれる、冗談の様な存在。

 まさか。



 ――まさか。



「……子爵。これは、わしへの反逆ととらえて構わないですな? カロリナを渡す気はない、と」

「……トバイアス殿。決して、そのような」

「その落ち着き払った態度が気に食わんのだ! だいたい、貴様はわしにどれだけの借金をしているかわかっているのかね! わしが支払わなかったら、一族もろとも奴隷落ちだったのだぞ!」

「は……その点は、深く感謝しております」


 頭を深々と下げるカロリナの父親の顔は、見えない。

 だが、つい最近まで青ざめ、震え、必死に頭を下げていた彼は、今では落ち着き払った態度を崩さない。顔色が良くなったわけではないが、少し余裕を取り戻した様に思える。

 何故だ。


 何故だ。何故だ。何故だ。


 今まで、こんな風につまずくことなど無かった。

 しかも、つい先日は、簡単に乗っ取れるはずだった店も潰し損ねた。妻を逃したどころか、夫の始末さえも出来なかった。

 それどころか、これは詐欺だと訴えられた。騎士団から派遣されてきた弁護士が、子飼いの問屋のところへ訪ねてきたという。事情聴取を受けているだけだが、捕まるのは時間の問題だった。

 計画が、狂っていく。



 たった五日。異変のあった、このたった五日。



 それだけで、トバイアスは今、築いてきた財力が、裏の地位が、足元から揺らいでいる。

 これはまずい。長年の勘が告げている。

 もう逃げるしかない。結論付けた。

 カロリナを手に入れられないのは惜しかった。だが、年月を置いて、殺せば良い。そうすれば、手に入れられなかったことにはならない。全て無かったことになる。

 目の前には、未だ冷静に頭を下げ続ける子爵がいる。腹立たしい。最後に一発殴ってやろうか。

 ぐっと歯噛みしながら、物凄い勢いで計算していると。



「やあ。カロリナ嬢との追いかけっこは楽しかった?」

「いや、かくれんぼじゃね?」

「――――――――」



 今。

 一番聞きたくなかった声が、トバイアスの背後から投げかけられた。


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