第七話 ラベンダーが溶かす恋心


「とっっっっっっても! 美味しかったです! ごちそうさまでした!」


 ライナスが両手を合わせて拝み倒す勢いで頭を下げる。

 ジークが用意した食事は見事に全て空となった。ハルシエの食べる勢いも凄まじかったが、ライナスも手が素早かった。美味しい美味しいと目を輝かせながら満面の笑みで食べる姿は、警戒心を溶かすほどに眩しい。


「あの、さつまいもの甘みにたっぷりと染み込んだ豊かな肉汁が、噛むほどにじゅわあっと口の中いっぱいに広がって! それがまた甘辛いタレに絡んで最高でした! ……ああ。思い出したら、よだれが」

「あー、……そこまで喜んでくれると作り甲斐があるけど。ありがとよ」

「はい! まさか、ジークリート殿の手料理が食べられる日が来るなんて思ってもみませんでした。小説の中の出来事みたいです!」


 彼から『小説』という言葉が飛び出すたび、ジークの心臓が小さく跳ねる。

 まさか、本の中でもジークは同じことをしているのだろうか。気が気ではない。


「それで、あの、ジークリート殿。お願いがあるんですが」

「あ? 何だよ」


 両手の指を合わせてもじもじさせる姿はいじらしいが、残念ながらジークには全く響かない。カロリナがやったら響いたかもな、と思ってすぐに、いや響かないかと打ち消した。


「あの、……もし可能でしたら、今のレシピを教えていただけませんか? 僕も作ってみたいんですけど」


 ぎゅっと両の握りこぶしを作って伺ってくるライナスに、ジークは少し考えたが頷いた。


「いいぜ。そんなったもんじゃねえけど」

「ありがとうございます! 本当に美味しかったので! ……いつか、差し入れとして作れたら良いな」


 ぼそっとささやいた言葉はとても微かな音量だったが、ジークはばっちり拾い上げた。

 横にいたハルシエは聞いているのか聞いていないのか分からない無表情で、今は食後の紅茶を楽しんでいる。表情は無だが、かなり上機嫌の様だ。美味しかったのだなと、ジークも大満足である。


「あ、片付けは僕がやりますね」

「あー、いいって。ハルシエの所有物は、一応俺の管轄だから」

「そうなんですね! すごい。やっぱり小説の通りなんだ……」

「……」


 全てBL本を参考にされている気がする。


 中身を知らないジークとしては、かなり落ち着かない。一体何が書かれているのか。激しく不安だ。



「ライナス殿って、僕とジークの小説読んでるんだね」

「はい! 大ファンです!」



 ぶっほー。



 何も飲んでいないのに噴き出してしまい、ジークは思い切りせる。おじいさんになったの? というハルシエの言葉には、軽く拳骨を落としておいた。


「お二人のことは噂ばかりでよく存じ上げませんでしたが、大変素晴らしい小説でした! 特にあの、周りにいくらはやし立てられても全く相手にしていなかったのに、ふっとした瞬間に互いに無自覚に思いに気付いてしまう、あのシーン! 最高に心が揺さぶられましたよ!」

「い、いや、おっ、……ま、て、ま」

「しかも、無自覚っていうところがまた良いんです! 周りの言葉ではなく、お互いの行動で初めて、っていうところも、胸がきゅんっとするポイントです! 駄目だ、あのシーン一つにツボが多すぎる……!」

「お、お、……きゅん……っ」

「その後また色々なエピソードを挟んで、クライマックス直前にはっきりと思いを自覚する場面がまた……! 今思い出しただけでも感無量でした……! もう全てがお互いで完結している世界! 是非ともジークリート殿にも読んでいただきたく」

「わ、わかったわかった! そ、そのうちな! そのうち!」


 語り始めたら止まらない。これは筋金入りだ。正直、聞いているジークの方が小っ恥ずかしくなった。流石はハルシエ曰く、ラブロマンス小説だ。

 しかし、ジークは少し赤くなって息切れしているというのに、ハルシエは至って平然としている。恨めしい。

 おまけに、更に話に乗った。


「あれは僕達とも言いがたいけど、そこまで気に入ったなら、出した甲斐があるよね」

「ありがとうございます! 本当にありがとうございます! 許可ばんざい! とっても尊い小説でした……!」

「確か、アキノーラっていう人が書いたんだよね」

「はい、そうです! 僕、アキノーラさんの大ファンで! 今まで彼女が書いた本は全て買って読んでいます! 背景もさることながら、心理描写が秀逸なんですよね! モデルの人が本当に思っていたかどうかは別にして、心の動きとか、人物達の触れ合いとか、そういう一挙手一投足に心を揺さぶられて、泣きたくなるほど感動するんです!」

「おー……、……」


 今度はアキノーラについてまで語り始めた。

 よほど本が好きなのか、それともアキノーラが書く小説が好きなのか。どちらもなのかと納得せざるを得ない。


「……しかし、すっごい熱狂的だな。そういや、かなり人気作家なんだっけ」

「はい! 最初は細々と書かれていたんですが、お二人のシリーズが出て以降依頼も増え、許可をいただいた方の小説や、オリジナルなどもたくさん書かれて、今やベストセラー作家さんです!」

「ふーん。……それは興味あるな」

「でしょう⁉ ぜひ! ジークリート殿も読んでみてください!」


 ここぞとばかりに熱烈に語るライナスに、ジークは押されながらも好奇心が湧いてくる。自分達の話はともかく、他の話は読んでみても良いかもしれない。


「そうそう。食後の紅茶、ライナス殿も飲むよね」

「え? は、はい! 良ければ、ぜひ」

「じゃあ、これどうぞ」


 すすーっとどこからともなく、紅茶のカップとソーサラーが飛んでくる。

 音もなく舞い降りてくるカップに、ライナスはまたもや目をきらきらと輝かせた。


「わわわ、すごい! これ、魔法ですか?」

「うん。動くの面倒だから。こういう時は魔法って便利だよね」

「はい! ……」


 瑠璃色の紅茶を目にして、一瞬だけぴたりとライナスの表情が止まった。

 だが、すぐにふわりと笑みを浮かべて、懐かしむ様に目を細める。



「……この紅茶の色、彼女の瞳に似ているな」



 愛しそうに、慈しむ様に眺めて、ライナスはそっとカップを手に取る。まるで壊れ物を扱う様な手付きに、見ているジークがどきりとした。


「美味しいです。……これ、ラベンダーですね。とても爽やかな香りが胸にまで満ちていきます」

「うん。ラベンダーティー。君に必要だろうと思って」

「え?」


 きょとんと目を瞬かせるライナスに、ハルシエは事も無げに爆弾を放り込んだ。



「君、本当は何を相談しに来たの?」

「――」

「いつになったら本題に入るのかなってずっと待ってたんだけど。そろそろ大丈夫じゃない?」



 頬杖を突きながら首を傾げるハルシエに、ライナスがこくりと小さく喉を鳴らしたのがジークの元まで聞こえてきた。


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