第八話 ラベンダーとクッキーは最高だよ


 どれだけ時間が流れただろうか。

 珍しく辛抱強く待つハルシエの前のライナスには、先程までしゃべり倒していた快活さの影も形も見当たらない。

 ジークも言葉を発することなく待っていると、ライナスは少しずつ視線を落とし、ぽつりと零した。



「わかりません」



 ようやく零れ出た一言に、ジークは眉をひそめる。

 だが、続きがあった。


「僕も、よくわからないんです。ここにも、何を相談すれば良いのか、わからないのに、……それでも何かを相談したくて、来ました」


 溌溂はつらつとしていた声は鳴りをひそめ、赤みがかった琥珀色の瞳は迷子の様だ。

 ジーク達よりも年は上の様だが、不安そうに顔を歪めるその姿は、ひどく幼く映った。


「……カロリナ嬢と出会ったのは、三年前です。本当にひょんなところから知り合って……趣味が読書ということで、意気投合して、仲良くなりました」

「読書が趣味なんだ?」

「はい、僕は。……偶然会うことも多くて、……というより、趣味が読書のせいか、行動パターンが似ていたらしくて。いつも会って話すだけじゃ足りなくて、だから手紙のやり取りもする様になって」

「へえ。文通か。なかなか可愛いことしてんじゃん」

「ははっ、はい。……彼女は出会った時からとても可愛かったんですけど、でもそれだけじゃなくて。語る表情や感情を宿す声、彼女の真っ直ぐに突き進む情熱。それら全てに惹かれていって……、……はい。好きになりました」

「わあ。小説よりも小説らしい青春。ボーイミーツガール」

「お前本当に黙れ」


 決して茶化しているわけではない。

 茶化しているわけではないが、茶化している様なハルシエの感想に、ジークがばこん、と裏拳で脳天を叩く。僕の記憶が飛び出していく、と意味不明な抗議には無視をした。


「実は、彼女のお父上は僕の直属の上司なんです。その縁もあって、家族ぐるみの付き合いなんです」

「へえ。確かに同じ部署だとは認識してたが、想像以上に仲良かったんだな」

「はい! サリヤ様は……あ、彼女のお父上の名前なんですが、彼は本当に素晴らしい方なんです。どれだけ忙しくても民から寄せられた意見に目を通し、公平に処理し、直接おもむいて話を聞いて……、とにかく誠実な方なんです。僕もそのお手伝いをさせていただいていますが、将来は父や彼の様になりたいと日々邁進まいしんしています」


 とん、と胸を拳で叩く表情は誇らしげだ。心の底から尊敬しているのが伝わってくる。

 良い関係を築いている風に聞こえて、ますますカロリナの話と噛み合わなくなってきた。

 どういうことか。ジークが眉根を寄せていると。



「でも、……三ヶ月前、でしょうか。急にサリヤ様の態度がそっけなくなってしまって」



 顔を曇らせ、ライナスが首を振る。よく見ると、目の下にクマが出来ていた。明るさでごまかされていたと、ジークは今更ながらに気付く。


「今までは、娘はやらん、はっはっはご冗談をお義父さん、お義父さんなんて地獄の果てでも呼ばせんわ! はっはっはご冗談をお義父さん、なんて軽いやり取りをしていたんですが」

「……割と本音に聞こえなくもねえけど」

「でも、それすら無くなってしまって。色々と戸惑いながらも話しかけていたんですが、つい先日、とうとう言われてしまいました」


 一旦言葉を切り、泣き笑いの様にライナスが言う。



「……もう、娘に関わらないでくれ、と、……」



 仕事中でも、ふとした息抜きに雑談をして笑い合っていた。

 それが、ぷっつりと途切れた。事務的な会話しか出来なくなった。周囲も急激な温度差に戸惑う日々だった。みんな慰めてくれ、書店でもお菓子をもらって励まされたがよけいに空しくなるだけだった。

 そして、ひどく混乱していたライナスを更に叩き落としたのは、カロリナだった。


「偶然街中で会った時、声をかけたんです。最近調子はどうか、って手を上げたら無視されて」

「……」

「最初は聞こえていないのかと思ったんですが、ずっとその調子で。手紙を送っても返事もこなくなり、走り寄っても逃げられて」


 子爵に何か粗相をしてしまったのか。

 彼女に嫌われる様なことをしてしまったのか。

 問い続けても、答えは返ってこなかった。



「意気消沈しているところに、公爵様が声をかけてくださったんです。……相談ごとがあるなら、息子を訪ねてみると良い、と」



 ハルシエの父から働きかけた。

 もう裏があると言っているのと同じだ。やはり厄介そうな案件だとこめかみを押さえた。


「内容は分かった。しかし、……ところどころ、カロリナ嬢が言ってたことと一致はするんだな」

「っ。やっぱり、カロリナ嬢はここに相談に来たんですね。何かあるのなら、……もしかしたらっ。来るんじゃないかと思っていました」

「どうしてだ?」

「それは、……」


 即答せずに視線を逸らし、ライナスは固く口をつぐむ。

 怪しいと言えば怪しいが、歯車が噛み合わない感覚は、ジークに追撃をひるませる。

 だが、ハルシエは違った。


「どうして来ると思ったの?」

「……っ。……、……と、とにかくっ。……カロリナ嬢が何か困っているのなら、力になってあげてください」

「カロリナ嬢は、君に会いたくないって言ってたけど。良いの?」


 ハルシエの繰り出す致命傷に、ライナスが顔面を殴られた様な表情になった。あ、とか、う、とか、言葉にならない声を出す彼に、ハルシエはしかし淡々としている。



「君の相談内容は?」

「……っ」

「無いなら、帰って。僕、本を読みたいから」



 言うが早いが、ジークの隣でころんとハルシエは寝転がった。正確には、寝転がるスペースが中途半端だったため、ジークの膝に寝転がった。おかげで全く身動きが取れない――わけではない。


「おら、ハルシエ。寝るならベッド行け」

「やだ。本読む」

「寝ろ! いや、風呂入れ! 今日は入れる!」

「……はーい」


 渋々といった風にのろのろ起きるハルシエは、亀の如きのろさで床に転がっていく。このまま床を転がりそうだなと観察していたら、本当に転がっていった。客がいようとお構いなしである。



「ああ、そうそう。ライナス殿、はい」



 転がりながら、ハルシエが魔法を使って真っ白な袋を無造作に宙に放り投げる。

 思わずといった風に受け取ったライナスは、手元を見て呆然としていた。


「それ、今日から一人一つずつ、毎日家族で食べる様に」

「……え?」

「家族以外には決して渡さないこと。カロリナ嬢も駄目ね。渡したら、呪われるよ」

「の……⁉ えっ⁉ こ、これは食べなきゃならないものなんですか⁉」

「今のままで良いなら食べなくて良いよ。僕はどっちでも良いし」


 説明がまるで無いまま切り上げられ、ライナスは目を白黒させる。ハルシエに突き放されて困惑していたところに、更なる暴論だ。同情しなくもない。

 だが、今はこれで良いのだろう。ジークも扉を開けて促した。


「今日はどっちにしろもう無理だ。このまま帰れ」

「……、……はい」

「ただ、その中のクッキーは食べとけ」

「え。クッキーなんですか?」

「あ? その袋と色と形からしてそうだろ」

「……」


 小説通りだ。


 毒気を抜かれた様に呟いた後、ライナスが小さく笑う。ジークもにやりと笑った。

 笑う元気があれば充分だ。



「ハルシエは、相談をされないと答えねえぞ」

「……」

「次来る時は、もう少しマシな相談をすることだな」



 ジークも充分突き放した言葉だったが、それでも先程よりはライナスの表情が幾分マシになっている。

 失礼します、と頭を下げて帰る彼の足取りは、とりあえずまともなものだった。


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