第十三話 ハルシエが食べるものは


 ハルシエは、昔から悪人に目を付けられやすかった。

 それは、ひとえにハルシエが持つ魔法の特殊性にある。


 この世界には、騎士神と魔法神という二柱の神様がいる。


 互いに無いものを補い合い、共に世界を治める彼らはたいそう仲が良いとされ、騎士と魔法使いの関係も悪くはない。



 特に身体に秀でた者には、騎士神の加護が。特に魔法に秀でた者には、魔法神の加護が。



 古来よりそう伝わってきたために、身体能力にずば抜けた者や、誰の追随も許さぬ魔法の力を持つ者は、特に尊敬される傾向にある。ジークも、代々騎士を輩出する家の中でも能力は段違いで、おもねる人間は絶えなかった。

 そして、ハルシエの持つ魔法には、他にはない特殊性があった。


 彼が作る菓子や紅茶には、彼が願う加護が宿るというものだ。


 それは体に回った毒を抜くものであったり、悪意から身を守る防御壁だったり、様々だ。攻撃も出来るが、主に身を守るものに特化していた。

 家族は最初、その能力を隠そうとした。

 しかし、たまたまその力の発現に立ち会ってしまった親戚の一人が吹聴したせいで、瞬く間に世間に知られることとなった。



 それが、ハルシエの悪夢の始まりである。



 最初の拉致監禁が発生したのは、彼がたった四歳の時だ。

 しかも、犯人は世間に吹聴した親戚だった。彼を地下に閉じ込め、己の欲望のために無理矢理加護を使わせようと暴力を振るい続けたという。

 ジークは助けられた後の彼しか見ていないが、体中に巻かれた痛々しい包帯は幼心にショックを受けたのを覚えている。

 その後も、たびたび誘拐事件が発生した。中には彼から血を抜き取って観察したり、彼が魔法の加護を与えるのはどの様な時かと、あらゆる苦痛を与えて人為的に魔法や魔力を引き出す実験をしたという。

 幼い頃から淡々としていたハルシエだが、昔はそれでもまだ、笑う方だった。


 ジークと遊んで、両親の話をして、楽しいね、と笑う彼の笑顔が好きだった。


 それが、いつしか笑わなくなり、誰に対しても無になっていったのは当然の帰結だっただろう。ジークもあの頃は彼を笑わせようと、くだらない話をして必死になっていたのを覚えている。

 だが、ハルシエの災難はそれだけではなかった。



 ハルシエを危険視した人間達による、暗殺である。



 何度か拉致をされた後、屋敷のガードは非常に固くなった。毒殺する隙も無かったし、知らない者が忍び込めば、たちまち捕縛される。毒見も徹底していたし、常に誰かが傍にいた。

 だから。


 毒殺を狙う場所は、もっぱら外の飲食店だった。


 買収されたレストランやカフェのオーナー、シェフ、従業員――はたまた、引き込まれた家の使用人。

 使用人の場合は、決して屋敷では事を起こさない。そして、自らも死ぬ覚悟で毒見をし、ハルシエに食べさせたり飲ませたりした。弱みを握られた人間は、追い込まれて命すら捨てる覚悟だったのだ。


 そうして何度も死の淵に立たされたハルシエは、六歳の頃に一時期ぱったりと食事をしなくなった。


 何も食べない。水すら飲まない。

 ただただ無気力に、彼はベッドに寝転がっていた。まるでいつ死ぬのかと待っているかの様な姿だった。

 両親が色々工夫して作ってもそれすら食べず、どれだけ家族に泣かれても絶対に飲まない。

 ただ、一言。



「つかれた」



 それだけを残して、一日眠る。

 見舞いに来たジークは、泣き崩れて憔悴しょうすいしきった彼の両親や弟の姿に呆然とした。

 そして。



 早く死にたいと願うハルシエに、絶望した。



 ハルシエが、ジークの前から消える。

 笑わなくなる。

 嫌だ。

 そんなのは嫌だ。



 ――これが、『俺の罪』だというのならば。



 だから、作った。

 がむしゃらに作った。

 それまで一度も料理を作ったことが無かったのに、自分の家のシェフに作り方を教わり、何度も失敗し、何度も火傷し、何度も手を切り、作った。

 正直、今でもあの時の一品には納得がいっていない。全然上手じゃなかった。美味しくは無かっただろう。

 だけど。


「ハルシエ!」


 ベッドで漫然まんぜんと寝転がるハルシエの目の前に、ジークは皿を突き出した。

 耳を取って四つに切った食パンを、甘い卵液に浸して焼いただけの料理だった。料理とも言えなかったかもしれない。

 あちこち形がいびつで、色が綺麗なのも表だけ。ひっくり返せば、真っ黒焦げの醜さが姿を現す。

 そんな料理とも言えない料理に、ハルシエは微かに――本当に微かにだが、目を見開いた。


「……。もしかしてそれ、ふれんちとーすと?」

「そうだよ」

「ジークがつくったの?」

「そうだよ」

「手がばんそうこうだらけだけど」

「悪かったな! ほうちょうで食パン切るだけのかんたんなおしごとができないおとしごろなんだよ!」


 やけくそ気味に叫べば、ハルシエはまじまじとジークを見つめ。



「たべなきゃ、だめ?」



 残酷な問いを返してきた。

 ぐっと詰まったが、だからこそ力強く言い返す。


「だめだ」

「どうして」

「食べなかったら、おれももう食べない」

「たべない?」

「そう。おまえが死んだら、おれもあとを追ってやるからな」


 本気で言えば、ハルシエも黙った。じっと見つめてくる夜空を深くした瞳は、嘘ではないかと探る様な色を宿している。

 だが、嘘などどこにも無いのだから、堂々と凝視してやった。むしろ穴を開けてやると強く見つめると、ハルシエはどこか困った様に首をかしげた。寝ながら器用である。


「ジークがしぬの、やだな」

「おれもおまえが死ぬの、いやだよ」

「そっか。……でも、たべるのこわい」

「おれは食べるのすきだよ」


 刹那の沈黙。


「そうなの?」

「そうだよ」

「……。ぼくも、むかしはすきだった気がする」

「そうだろ」

「でも、こわい」

「おれは、おまえと食べるの、すきだよ」


 また、沈黙。

 そして。


「そうなの?」

「そうだよ。……だから、これ、いっしょに食べてくれ」


 再びの沈黙。

 だが、今度の沈黙は、笑うような空気を感じた。


「それ、まずそうだよ」

「わるかったな! たまごのカラで手を切ったのは、おれだよ!」

「そうなんだ」

「そうだよ! フライパン、まちがってあついのさわってやけどするし!」

「そうなんだ」

「そうだよ! せっかくまんしんそういで作ったんだから、食べろ!」

「そうなんだ。まんしんそうい」


 のろのろと起き上がって、ハルシエは一言。



「じゃあ、しかたがないね」

「しかたがないって、なんだよ!」

「ジークのつくったものだけは、たべてあげる」

「――」



 めったに見られない満面の笑みで、ハルシエは久しぶりに食べ物に手を触れた。



 何故だろうか。

 今更ながらに、ジークはあの時の夢を見る。


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