第二十二話 幸せを守ってくれるので


「失礼します」


 ハルシエは淡々と、屋敷の一角である当主の部屋に足を踏み入れる。

 ここは、ハルシエの実家だ。つまり、ハルシエの父がいる場所である。


「おお、ハルシエ。珍しいな。ジークはどうした」

「置いてきました」

「……慌てないか?」

「メモは置いてきたので。迎えには来るかもしれませんが」


 大して面白くなさそうに話すハルシエに、父は少しだけ顔を改める。

 ハルシエは、用事が無ければもう家には帰ってこない。興味が既に城下の一軒家にあるからだ。


「先の相談、ご苦労だった。ライナス殿もカロリナ嬢も、後日そちらにお礼を言いに行くと言っていたぞ」

「来なくて良いです。面倒なので」

「まあ、そう言うな。特にカロリナ嬢には、お前達の本を出版してもらったという恩もあるからな」


 父の言葉に、ハルシエは嘆息するしかない。

 そう。ハルシエとジークのBL本は、二人の父がカロリナに依頼したものだった。

 元々、カロリナが物語を書くのが好きなことを父が知り、自費出版で出してみないかと提案したのだ。



 目的は、ただ一つ。虫よけだ。



 ハルシエとジークは、まれに見る神に愛されし力の持ち主。下心ある求婚や友人の申し込みはもちろん、媚薬、仲違いをさせて家ごと自滅を狙う輩など様々な謀略が渦巻いていた。

 世間にあることないことを吹聴され、問題が起こったらたまったものではない。

 故に、二人のラブラブ本を出版し、世間に認知させ、二人の仲を間違っても引き裂こうという気持ちが起きないほどに見せつけてくれと依頼したのだ。

 あの本は、カロリナの采配によって、かなり効果的に二人の熱愛っぷりを密に描いてある。

 何より。



 二柱の神に愛されし二人が、親密に手を取り合っている。



 仲の良い二柱の神を引き裂くのが恐れ多い様に、二人を引き裂けば天罰が下るだろう。

 そんな印象を嫌というほど世間に植え付けられた。

 こうして、よほどの馬鹿でない限り、ちょっかいを出す者はいなくなった。目論見通りである。


「この本、僕達かなり過激ですよね」

「事実だろう?」

「そうですね。僕もジークも、相手を傷付ける人間は消えて良いと思っています」

「……。トバイアスについては殺さないでくれて助かったぞ。余罪がまだまだあるからな」

「ジークの前で殺すわけないでしょう」


 二度と、ジークに人の死に関わらせたくはない。

 本当は、死にかけの人間を視界に入れさせることもしたくなかった。



「父上。ジークに関係ない相談は持ってこないでください」



 冷たく言い放てば、父は一瞬押し黙る。


「相談は、ジークに害を為すものしか受けないと最初に言ったはずです」

「……。アキノーラの本は役に立っただろう」

「虫よけは充分に効果を発揮しました。ですが、何年も前の話です。書くのは勝手ですが、あちらも充分『元』は取れたでしょう」

「だが、礼はまだ不十分だった。これで、彼女との貸し借りは無しにしたい」

「それでも、今回は貴方を呪います」


 確かにあのBL本のおかげで、大分だいぶ過ごしやすくなった。

 わずらわしい求婚者もないし、ジークとの日々も邪魔されない。

 だが。



「今回の依頼のせいで、ジークはまた、過去を思い出しました」

「……」

「ジークにこれ以上壊れて欲しくないんです」



 あのピクニックの日。ハルシエが、従者に命を奪われそうになった日。



 ジークの心は、壊れた。



 人を殺して、砕け散ったのだ。

 彼はあの時のことを後悔はしてない。恐怖も無い。それは本当なのかもしれない。

 けれど、『人を殺した』という事実は、子供の心には重すぎた。



 あの時のジークの壊れた顔を、ハルシエは一生忘れはしないだろう。



 ハルシエがむざむざと捕まったから。殺されそうになったから。

 だから、ジークは人を殺して壊れた。感情が、砕けてばらばらに飛び散ったのだ。

 ハルシエが保護された後も、ジークは無機質な表情しか浮かべなくなった。


 あれだけ太陽の様に笑っていた彼は、全く笑わなくなってしまったのだ。


 ハルシエと話していても、声だけで笑う。その笑い声も無味乾燥としていて、まるで感情がこもっていない。

 ジークの家族が心配しても、笑っているよと答えるだけだった。

 彼は、感情を置き去りにした。楽しいと、楽しそうに話そうとする声は、弾むどころか聞く者の心を落とすだけだった。


 ハルシエのせいだ。

 ハルシエが殺させて生き延びたせいだ。



 そう思ったら、もう生きる気力がなくなった。



 疲れたのだ。

 自分のせいで、両親も弟も泣く。飲むのも食べるのも恐い。



 ジークまで、壊してしまった。



 だから、死んでも良い。生きる価値もない。そう思った。

 けれど。


 彼は、再び感情を取り戻した。


 ぼろぼろの手で。必死になって。泣きそうな顔で。

 不格好なフレンチトーストを持ってきたジークを見て、ハルシエは気が付いた。



 心が壊れたジークは、まだ人としては壊れていないのだと。



 ハルシエが生きることで、ジークが人として生きるのならば。

 ハルシエがフレンチトーストを食べることで、ジークが笑ってくれるのならば。

 まだ、ハルシエは生きることを許されるのだと苦しくなった。


 ジークは、自分のせいでハルシエが死にそうになったと悔いていた。

 ハルシエは、自分のせいでジークの心が死んだと後悔している。


 そんな二人が、お互いがいることで人になれるのなら、それで良いと思った。

 世話を焼いてくれることで彼の色んな感情がよみがえるのなら、ぐうたらしようと考えた。

 ジークが笑ってくれるのなら、何としてでも生きようと誓った。


 例えこの先ジークが裏切ったとしても、彼が笑って生きられるのならばそれで良いと思っている。


 だが、その日は一生来ないだろう。

 ジークは、大切な青空を生涯捧げると誓ったのだから。


〝ハルシエ。おれはもう、ぜったい。ぜったい、ぜったいっ! だれにも、おまえをきずつけさせたりしない!〟


 破ったら、ジークは己の両目をくり抜けと言ってきた。

 綺麗な夜空のハルシエを、一日の半身を、一生この目で見られなくなることが罰だと言ってのけたのだ。

 ジークは、ハルシエの夜空の瞳が好きなのだ。

 ハルシエが、ジークの青空の瞳を愛しく思っているのと同じ様に。



 二人で、一日を支配する。



 あの日の何気ない言葉は、未だ途切れず続いている。


「――許せ」

「嫌です」

「手が足りなかったのと、バリエルに影との連携を取らせる練習台にしたかったのだ」


 バリエルのため、と言われるとハルシエは弱い。弟にはとことん甘いのだ。

 だが、それとこれとは話が別だ。許す気はない。しばらくは根に持つ。


「それと」


 重々しく父が口を開き。



「これ以上他人行儀で話されるのは辛い。お願い、普通に話して!」

「罰です」

「ハルシエー!」

「これからの態度次第です」


 今回渋々相談を引き受けたのだから、これくらいの嫌みは必要だ。

 すんすん、と大の大人が泣きしきるのを、ハルシエは無感動に見つめる。


「では、僕はこれで」

「まだいよう。ハルシエ成分が足りない」

「帰ります。ジーク成分が足りないので」


 無情に切り捨て、ハルシエは背を向ける。


「――ハルシエ」


 改まった口調に、ハルシエは一応振り向く。

 父は、数秒だけ切なそうに目を細め。



「二人で幸せになれ」

「――」

「これが、情けない親の唯一の願いだ」



 お前達を守れなかった。



 裏にひそんでいる言葉を、正しく読み取る。

 だが、そんな懺悔は必要無い。



「大丈夫だよ。――僕の幸せは、ジークが守ってくれるから」



 そして、ジークの幸せは、ハルシエが守るのだ。


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