第十三話 これが罪だと言うのなら


 何故、こんなことになってしまったのだろう。

 やはり、あの時からだろうか。


「……ブレット! ブレット! しっかりして下さい!」


 階段の下で、激痛に顔をゆがめる彼の姿に泣きたくなった。

 そのそばで、彼の恋人が泣きそうになりながら必死に名を呼んで応急処置をしている。

 こんなはずではなかった。

 こんなつもりではなかった。


 だって、追ってくるから。


 もう何も聞きたくなかったのに、追ってきたから。

 だから、ただ、言いたいことをぶつけただけだった。

 本当はそれだけで終わるはずだったのだ。

 それなのに。



 どうして彼は、自分をかばったりなんてしたのだろう。











「スティーブ!」


 模擬戦を終えて宿舎に帰る廊下で、スティーブは友人に呼び止められる。

 正直、模擬戦でのダメージがひどすぎて振り向くのも億劫おっくうだったが、それは相手も同じだろう。あの模擬戦で無事な騎士は、誰一人としていない。


「マイルズ。……お疲れ」

「……はあ。副団長、相変わらず鬼畜でしたね。友人のブレット殿達にも同じでしたし。勝てる気しないですよね」

「そうだね。……勝てるわけがない」


 彼の強さは、単純な剣の技術だけではない。

 心根からして異なる。あれほどまでに一貫した信念を抱く姿は、いっそ清々しかった。


「副団長がハルシエ様命っていうことは知っていましたけどね。あれは狂気ですよ、狂気」

「副団長はそう言われても、だからどうした、って言いそうだね」

「はあ。正直、あそこまで自分の思いを貫けるって逆に羨ましいですね。……副団長はなるべくして副団長になって、ハルシエ様の護衛やってるんだなって思いましたもん」

「そうだね」



〝何かを犠牲にしてでも手に入れたいなら、何としてでも手に入れる。それが犠牲にした奴らへの礼儀だろ?〟



 一切の迷いもなく言い切っていた。それこそが彼の――彼らの強みだ。

 かなわない。

 もし、彼らが相手を他に取られそうになったらどうしただろうか。

 諦めたか。それとも奪ったか。

 そんな陳腐ちんぷな答え、彼らが口にするはずもないだろう。

 同じ次元で語ることほど愚かなものは無い。そんな風に切り捨てられそうだ。


「……それで、スティーブ。あれから、その……」


 マイルズが、声をひそめて言葉を濁す。

 もう数えるのも馬鹿らしくなるほどに交わしたやり取りだ。苦笑して、緩く首を振る。


「大丈夫だよ。言っただろう? セドリックのことは誤解だって。……ボクは何もされてないんだ」

「わかってはいるんですが、……他はそうは思いませんよね」


 騎士団がここまで腑抜ふぬけになった理由。

 決まっている。セドリックにあらぬ疑いがかけられているからだ。スティーブがセドリックにもてあそばれ、奴隷扱いをされた挙句あげく捨てられたと。


 最初はただの興味本位の中傷だと思っていた。


 それなのに、どんどんどんどん尾ひれ背びれが膨れ上がっていき、今では何故か勝手にスティーブの非公式本が出回っているという。

 いくら否定しても勝手に解釈され、スティーブは健気な人物だと吹聴ふいちょうする者達がいる。

 最近は王宮にまで噂が流れ始めたと聞いた。このままだと本気でセドリックの身が危ない。


「……どうすればいいんだろう」

「うーん。正直、張本人であるスティーブが言っても効果は無いんですよね」

「張本人じゃないよ」

「わかってますよ。でも、世間はそう思わない」

「……マイルズが信じてくれるのだけが救いだよ」

「私達は友達でしょう。友なら信じるのは当然です」


 ね、と軽くウィンクするマイルズは、なかなか動作が軽薄に見えて真面目だ。授業は熱心に聞いて好成績を維持しているし、騎士として訓練を欠かすこともない。

 だが、それでも副団長のお眼鏡にはまるで敵わなかった。


「……この状態が続くと、本当に全員騎士をやめさせられそうだね」

「ええ? まさか」

「あれは本気だよ。副団長ははったりは言わない。やると言ったらやる」


 学院時代からそうだった。嘘だろ、と思うことも本当にやってのけたし、逆に己に――否、ハルシエにあだなす者は全て排除してきた。

 彼はそういう意味では信頼出来る。

 だからこそ、模擬戦の時に堂々と言い放った信念は真実だと思えた。


「一度、相談してみようかな」

「え。……いや、さすがにやめておいた方がいいんじゃないですか」

「前もそう言ってたね。どうして?」

「あの二人、自分達の平穏を壊されることを何よりも嫌うじゃないですか」

「ああ、……うん。そうだね」


 確かに、あの二人が何より望むのは二人きりの平和。

 それをおびやかすことがあれば有言実行。真実、国ごと滅ぼすだろう。

 しかし、副団長にとってセドリックは友人だ。もしかしたらすでに何か聞いているかもしれない。

 それに、スティーブが話すことで気付いてくれることもあるかもしれない。試す価値はありそうだ。

 けれど、マイルズの心配も理解できる。

 スティーブは、あの二人にはよく思われていないだろう。セドリックの友人であるのならば、尚更なおさら


「……せめて、アキノーラという人に、本の執筆を依頼出来たら」

「ああ、前から言っていたモデルフィクションですか? でも、あれだって、嘘だ言いがかりだ八百長やおちょうだと言われたら終わりですよ」

「……そんなに効果が無いかな?」

「無いとは言いませんが……けれど、こういう状況ですからね。また、健気だとか、いい様に操られているとか言われる可能性の方が高いと思いますよ。そもそも、アキノーラが誰かもわからないのに、どうやって依頼を?」

「そうなんだよね……。……ねえ。だったら、やっぱり副団長達に」

「やめた方が良いですよ。模擬戦の二人を見たら、命が惜しすぎます」

「……。……うん」

「……来月までに何とかして、火消しを地道に試みましょう。人の噂も75日って言うじゃないですか」

「……、……うん」


 ぽんっと背中を叩かれ、スティーブは目を伏せる。いつの間にか周りに集まり始めていた友人達も、あれは無理だよなー、相談とか絶対怒られる、と同調している。

 あの二人は、互いにしか興味が無い。

 だが、それでも『受けると決めた相談』は完遂かんすいするという噂もあった。

 彼は騎士団の不甲斐なさに激怒していた。そんな不甲斐ない一人の、しかも友人を傷付ける元凶であるスティーブの話は、聞いてくれないだろうか。

 しかし。



〝……私は、スティーブを信じます〟


〝これは事故だろ。気にするな!〟



 ――このままでは、いけない。



 歯車が狂ったのは、あの日からの様な気がする。

 ならば、これはスティーブの罪なのだ。

 薄暗くざわつくもやを胸に抱えてうつむくスティーブを、マイルズは気遣きづかわし気に見つめてくる。


「……スティーブ」

「ああ、ごめんね。……とりあえず」

「――しっかし、ハルシエ様。近くで見たけど、すっごい美人だったな」

「――」


 近くから飛んできた雑談に、スティーブがぴしっと固まる。隣のマイルズも固まっていた。


「しっかも噂通り、色気が凄いのなんの」

「いや、噂よりもずっと色香が漂ってたぜ。こっちを見た時の瞳もやばかったなあ」

「憂いを帯びた眼差しとかたまらなかったー。いいなあ、副団長」


 あれは眠いだけだと、ジークが聞いていたら背後から斬られそうな会話に、スティーブはどんどん冷や汗が止まらなくなる。マイルズもだらだら汗をかいていた。

 とりあえず、やはり。



「……副団長の逆鱗にだけは触れたくないね」

「同感です」



 新人である彼らの遠くない成れの果てを想像しながら、スティーブはマイルズと共に頷き合った。

 近いうちに、危険因子のこの会話は副団長の耳に入るだろうと予感しながら。


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