第十八話 この熱には名前を付けない


「観察魔と自称弟子。それぞれあの本手に入れたって」


 スティーブが家を出て、しばらくした後。

 ソファに寝転がったまま、ハルシエが手にした便箋びんせんをジークに渡してくる。

 受け取って、ジークもざっと二人の手紙に目を通した。依頼してから一日しか経っていない。本気で優秀だと舌を巻く。


「よくやったな。明日来てくれるのもちょうどいいな。手間がはぶけた」

「うん。前から仕込んではいたのかもね。あの二人が本の存在を知って動かないはずがないし」


 非公式で、しかも人をおとしめる様な内容の本など、カロリナにとっては侮辱以外の何物でもないだろう。


 そんなカロリナを愛するライナスもまた、書物を悪用する人間が許せない様だ。元気な声が聞こえてきそうな文面からは、憤慨ふんがいの色も見え隠れしている。


「スティーブには、朝から実家に顔を出すって名目で来てもらうんだったな」

「宿舎暮らしは世知辛い」

「……お前は我慢出来そうにないな。学院時代もしょっちゅう抜け出してたし」

「学年トップと万年二位も実家暮らし」

「……ま、王都に家がある奴らはほぼ全員実家だしなあ」


 騎士団の宿舎は、基本的に王都郊外の出身者が利用している。希望すれば王都に住まう者でも利用出来るが、今のところは少数派だ。地方出身者もそれなりに多いからだ。

 スティーブは、その中でも少数派に位置する。王都内に実家はあるが、自立と訓練にはげみたいという理由で宿舎暮らしを希望していた。友人であるマイルズ達も宿舎暮らしだが、彼らはスティーブが選択したから、という感じだった気がする。


「そう考えると、わりとしっかりしてるよな、あいつ」

「恵まれなさすぎ」

「……。人間関係のことか?」

「人を見る目もなさすぎ」

「セドリックやブレットは違うだろ」

「取り巻き」


 スティーブにとっての友人を取り巻きと言い捨てるあたり、ハルシエはよく見ている。

 今朝、スティーブ周りの視線も注意深く観察していたが、やはり全体的にセドリックに批判的だった。

 最初に悪口を言っていた集団のすぐ横に、マイルズの取り巻きの一部がいたが、彼らも口に出さないだけで頷いていたのを目にしている。スティーブが誤解を解くために奔走しているが、それに協力しているかどうかも怪しいものだ。

 それに、マイルズの視線。


「……スティーブが俺に意見言ってた時のあの目は、心配ってよりは警戒だったよなー」

「ジークをライバル視するなんて、死んでも分不相応だよね」

「……ライバル視、なのか? あれ」

「ライバルにすらならないけどね」

「俺はお前一筋だけどな」

「僕も君一筋だよ」


 周りが聞いたら「惚気じゃん」と言われそうだが、事実だから仕方がない。BL本のネタになりそうという事実は頭から放り投げた。

 しかし、あのマイルズの警戒が入り混じった視線。ハルシエがライバルという言い方をするということは、やはり恋愛方面の感情なのだろうか。

 だとすると、もしかしたら男よりも、敵意を持たれやすい女の方が視線の意味に気付きやすいかもしれない。一般的に、恋愛と言えば『男女』という価値観はなかなか抜けるものではないからだ。同性同士が増えてきている今も、だ。

 スティーブの周りには、確か極端に女性がいない。マイルズの視線は大いに関係している可能性がありそうだ。


「そのあたり、本人に伝えるのか?」

「行き当たりばったり」


 ハルシエの適当な答えは、本気だ。

 わざわざ伝えなくても、嫌と言うほど思い知らされることになる。そろそろ全貌ぜんぼうも見えてきたし、終わりも近いだろう。


「そういや、シャロンのこと聞くの忘れてたな……」


 訓練場で、やたらとスティーブやセドリックを強い眼差しで見ていたのが気になった。

 だが、ハルシエはあっけらかんと切り捨てる。


「問題ない」

「は? そうなのか?」

「うん。必要があったら来るんじゃない」


 ハルシエが断言するなら、大丈夫なのだろう。

 ならば、やはり当面は明日の取材に尽力するべきだ。



「んー……」

「……ハルシエ。眠いか?」

「うん。……」



 だらっと、ハルシエの手がソファの下に落ちる。これは本格的におねむなモードに入った証だ。

 少し働かせすぎた。昼から外に出ることはあっても、朝早くから出て、夜もまた外に繰り出すということは基本的に無い。

 配慮が足りなかった。ハルシエのぐうたら管理がなっていない。


「悪い」

「どうして」

「風呂入れてやるから寝てろ。俺も一緒に入って汗流すわ」


 ハルシエを抱き上げ、そのまま風呂場へと歩いて行く。片付けなどは後で処理すれば良いだろう。

 ハルシエの平穏な幸せを守りたいと願っているのに、ジークが連れ回しては本末転倒だ。少し友人や騎士団のことで調子を崩し過ぎたと反省する。

 ハルシエはしばらく無言で腕の中で揺られていたが、不意にぎゅっと腕を背中に回してきた。


「ハルシエ?」

「僕の心がもやもやしてたら、ジークは安心してのんびりできないでしょ」

「え? ああ」


 何を当たり前なことを。

 そう思った次に、不意打ちを食らった。



「僕も、君の心が晴れてなかったら、安心してぐうたら出来ないよ」

「――」

「僕が動く理由は、それだけ。わかった?」



 間近で、深くきらめく夜空の瞳が覗き込んでくる。

 吸い込まれる様な感覚に、ジークの胸の奥が熱くうずいた。


 ――この、湧き上がる熱に何と名を付ければ良いのだろう。


 ハルシエの果てしない思いに触れるたび、ジークの心は絶えず揺さぶられる。泣きたくなる様な衝動に、ぎゅうっとハルシエを抱き締めた。


「ジーク」

「……俺、愛されてんなあ」

「当たり前でしょ」

「そうだな」

「僕もいつも、愛されてるなあって感じるよ」

「当たり前だろ」

「うん。そうだね」


 世の中の誰もが、それは恋だの愛だのと呼ぶのかもしれない。

 だが、ジークとハルシエにとって、この関係に名前など無いのだ。

 どれもこれも当てはまるようで、まるで違う。そんな言葉じゃ物足りない。



 ただ、愛しい。



 それだけで充分だ。


「じゃあ、任せるね」

「おう。おやすみ、ハルシエ」

「おやすみ、ジーク」


 挨拶を交わして、すぐにハルシエは健やかな寝息を立て始める。本気でジークに全てを委ねる彼に、ジークはまた泣きたくなる。

 そばに大切な人がいる今は、とても心地が良い。

 今回の事件を通して改めて実感し、ジークはもう一度ハルシエを抱え直した。


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