二七章 その名は『ジョニー・アップルグランパ』
「これは……」
アーデルハイドは馬車のなかを見て驚きの声をあげた。
そこにあったのは色とりどりのリンゴの山。色も、形も、大きさも、実に様々なリンゴが籠いっぱいに積み込まれ、馬車の荷台を埋め尽くしている。いったい、幾つあるのか、数える気にもなれないほどだ。
しかし、アーデルハイドが驚いたのはそこではない。いくら数があると言ってもリンゴそのものはどこにでもあるありふれた果物に過ぎない。アーデルハイドが驚いたのは馬車の最後の一台に積まれていた荷。人間の子供ほどの背丈しかない小さな木に、何十個もの実が付いたリンゴの鉢植えだった。
「これは……こんな小さなリンゴの木に実が成っているなんて。これは本当に本物?」
いつも礼儀正しいアーデルハイドにしてつい、そう疑いの言葉を漏らしてしまった。それぐらい、この小さなリンゴの木は驚きだった。
クスリ、と、リーザは笑った。
リーザは決して『美女』と言われるような女性ではない。体はガッシリしているし、肌は日に焼けて浅黒い。日々の労働に明け暮れた手はゴツゴツしており、貴族令嬢の優美な指とは同じ生き物の指とも思えないほどだ。それでも、そのすべてがまさに『たくましい農家の娘』という印象で、大地に根を張って生き抜く、強靱にしてしたたかな生命力を感じさせる。いざというときには見た目ばかり美しい貴族の令嬢などよりよほど頼りになるだろう。
そのリーザは自分とは対極の存在と言ってもいいアーデルハイドに向かって言った。
「お疑いになるのもごもっともです。ですが、これは正真正銘、本物のリンゴの木であり、リンゴの実です」
「い、いえ、疑うなどと……」
アーデルハイドの
日の光を浴びたことがないのではないか。そう思わせるほどに白く、透き通った肌なだけに、そこに朱が差したときのあでやかさは例えようもない。リーザも一瞬、見とれたほどだ。
アーデルハイドとしては他人を疑う言葉を言ってしまったことに恥じ入ったのだが、リーザは気を悪くした様子もなく言った。
「いいえ。はじめて見る人は誰でも同じことを思います。ですが、これは紛れもなく本物。どうか、実際に食べて、確認してください」
リーザはそう言って、木から直接、実をもいで食べることを勧めた。
自分でもいで渡さなかったのは何かの手品を使っている、と思われることを避けたからだろう。以前、そんな疑いの目で見られたことがあるのかも知れない。
アーデルハイド、それに、カンナは勧められるままにリンゴの実をもいだ。自分の身長よりも低い木に成っていたとは思えないぐらいにズシリと重く、瑞々しいリンゴだった。
カンナは子供らしくそのままかじりついたが、生粋の貴族令嬢であるアーデルハイドはさすがにそんな食べ方は出来ない。物心付く前から叩き込まれた食事の作法というものがある。ナイフを使って丁寧に皮をむき、きれいに切りそろえてから口に運ぶ。
「これは……」
おいしい……とは言えなかった。
まずいわけではない。でも、何と言うかこう、微妙な味。リンゴらしい甘味がなく、かと言って酸味が強いわけでもない。どことなく物足りない。隣ではカンナも似たような表情を浮かべていた。こちらは子供らしくもっと遠慮なく、見るからに『拍子抜け』という顔をしていた。
その表情を見てリーザはアーデルハイドの内心を察したのだろう。またもクスリと笑って見せた。
「おいしくないでしょう?」
「あ、いえ……」
言われてアーデルハイドはまたも頬を赤くした。
恥じ入る姿がなんとも可憐で美しい。
一方、カンナのほうは遠慮がない。
「……おいしくない。リンゴらしい甘さが全然ない。これ、まだ熟してないの?」
「カンナ!」
アーデルハイドが思わずカンナをたしなめた。
カンナは非礼を察して首をすくめたが、リーザはむしろ『よく聞いてくれました』と、誇らしげな表情だった。
「いいえ。熟していないのではありません。これは、こういうリンゴなのです」
「これが?」と、またもやカンナ。
相手によっては侮辱と受け取られかねない声と表情で言う。
リーザはうなずいた。
「ええ。これは生のまま、果物として食べるものではなく、主食として調理して食べるためのリンゴですから」
「主食として?」
アーデルハイドが小首をかしげた。
リンゴはアーデルハイドも好きな果物のひとつだ。子供の頃はよくスライスしたリンゴにヨーグルトとハチミツをかけたものをデザートとして食べていた。しかし、リンゴを主食として食べるなんて聞いたこともない。
「説明するより実際に食べていただいた方が早いでしょうね」
リーザはそう言うと宿の主人と交渉して厨房を一時、借り受け、手際よくリンゴを調理していった。アーデルハイドとカンナを同席させたのはやはり、調理中に何らかの不正をしたのではないかと疑われるのを避けるためだろう。それだけ、自信があると言うことだ。
あっという間に数々の料理が出来上がり、テーブルに着くアーデルハイドとカンナの前に並べられた。
焼きリンゴ。
リンゴのスープ。
リンゴとチーズのサラダ。
干しリンゴと羊肉のピラフ……。
香しい芳香を放つ料理の数々にアーデルハイドでさえ思わず腹の虫が鳴りそうになった。カンナなど遠慮なしに鳴らしまくっている。
「さあ、どうぞ。食べてみてください」
リーザが両手を広げ、自信満々に勧めてくる。
言われるままにアーデルハイドとカンナは口に運んだ。その途端、目を丸くした。
「おいしい……」
生で食べたときはなんともパッとしない、拍子抜けするような味だった。ところが、どうだろう。調理されたとたん、まったくの別物として生まれ変わってしまった。
リンゴ独特のほのかな酸味とシャリシャリした食感とが食欲をそそる絶品料理。果物の甘味がない分、飽きることなくいくらでも食べられる気がする。
リーザがたくましい胸をそらして見せた。
遠慮なく自慢する。
「そうでしょうとも! 主食として食べるためのリンゴだからこそ毎日、食べても飽きることのないよう、そして、どんな味とも馴染みやすいよう、あえてリンゴそのものの味は押さえてあるのです。ですが、きちんと調理すればこの通り。とてもおいしく食べられるのです」
「なるほど。よくわかりました」
アーデルハイドは出された料理を一口ずつ食べてから――全部、食べることは多すぎてとても無理だったので――貴族令嬢らしく、ナプキンで丁寧に口元を拭ってから尋ねた。
「それで、リーザさま。このリンゴを売っていただけるのですか?」
はい、と、リーザは答えた。
「アーデルハイドさまが大陸中の商人を当たり、広く食料を買い集めている。その噂を聞き、つなぎを付けたくやって参りました」
「それはわざわざありがとうございます。鬼部との戦乱に備え、食料はいくらあっても足りない状況。これだけのリンゴを売っていただけるとなればとてもありがたいです。それで、お代の方はいかほどでしょう?」
アーデルハイドはその点を尋ねることを忘れなかった。
いくら、おいしく、また、量があると言っても、価格が高すぎるようでは仕入れるわけにはいかない。いまのアーデルハイドにとって必要なのはおいしいが高価な贅沢品ではなく、質という点では落ちても安く、大量に買い込める日常の食料品なのだ。
リーザは微笑んだ。
「タダです」
「タダ?」
思い掛けない言葉にアーデルハイドの声と表情に思わず不審の思いがにじみ出た。
リーザは相手の表情に敏感な質らしい。そのかすかな変化からたちまちアーデルハイドの内心を見抜いてしまった。
「『タダより高いものはない』。そう警戒されているお顔ですね」
「い、いえ、決して、そのような……」
これで三度目。
アーデルハイドはまたも本心を言い当てられて頬を赤くした。しかし、リーザはむしろ、嬉しそうだった。
「お気になさらず。わたしは嬉しいのです。商売相手が貴族の道楽でやっているのではない、まっとうな警戒心をもった本物の商人であることがわかったのですから」
言われてアーデルハイドは真顔でうなずいた。
『貴族の道楽でやっている』
そんな風に思われることは、かの人の矜持の許さざるところだった。
リーザはつづけた。
「ですが、ご安心を。価格をタダにするのは他に、より重要な条件があるからです。そのことをくわしくお話しさせていただけますか?」
「もちろんです」
アーデルハイドは迷いなく断言した。
「じっくりとうかがいましょう」
アーデルハイドとリーザは宿の部屋でふたりきりで対峙していた。
生のリンゴの実をたっぷり使って煎れた新鮮なアップルティーを前にしている。
カンナは同席していない。アーデルハイドは同席するよう言ったのだが、カンナが『自分は侍女だから』という理由で主との同席を避けた。
そのかわり、部屋の扉の前に立ち、番をしていた。まだ年端もいかない少女とは言え、
忠実な少女に守られて、アーデルハイドはリーザと話をしていた。
「それにしても驚きました。あんな小さな木に実が成るなんて。リンゴの木と言えば見上げるばかりに大きなものだとばかり思っていましたから。あれは何かの魔法ですか?」
いいえ、と、リーザは首を横に振った。
そのときのリーザの表情には何かとても深い、懐かしさのようなものが感じられた。
「魔法ではなく、栽培技術です。ジョニー・リンゴじいさん(注1)の開発した……」
「ジョニー・リンゴじいさん?」
「はい。我が郷土の英雄、名もなき英雄のひとりです。かの人は『腹いっぱい食えるように』との思いからリンゴの
リーザは真顔になった。
アーデルハイドもそれにつられて真剣な表情になった。リーザの態度はそれほどに真摯なものだった。
「リンゴをタダで提供するかわりに、我々を護衛していただきたいのです」
「護衛?」
「はい。いま言ったように、わたしはこのリンゴを大陸中に広めたい。ですが、わたしの郷土は山間の寒村。人も少なく、戦いの経験もない。わたしたちだけでは鬼部の襲撃から隊商を守り切れません。事実、すでにいくつかの隊商が鬼部の襲撃を受けて全滅させられています。どうしたものかと思案に暮れていた頃、アーデルハイドさまの噂を聞いたのです。
『名にし負う悪漢集団、〝歌う鯨〟を傘下に収め、食糧危機を救うべく奔走している女性がいる』と。
『この方なら……!』
そう思ったのです。
食糧危機を防ぐために尽力している方なら協力していただけるはず。〝歌う鯨〟を傘下に収めているなら、護衛を付ける力もあるはず。だから、やってきたのです。
どうか、お願いです、アーデルハイドさま。わたしたち『ジョニー・アップルグランパ』に協力してください。わたしはこのリンゴを大陸中に広めたい。大陸中の街道という街道にこのリンゴの木を植えたいのです」
「街道に?」
「はい。街道沿いにリンゴの木があれば、道行く人々は夏から秋にかけて、いつでも新鮮なリンゴを食べられます。このリンゴの背丈であれば女子供でも、年寄りでも、無理なくもいで食べることが出来ます。瑞々しい果物ならば、喉の渇きも癒やせます。誰もが腹いっぱい食える世界が実現出来るのです。ですから、どうか、お願いです、アーデルハイドさま。ご協力ください」
リーザはテーブルに額を押しつけるようにして頭をさげた。
アーデルハイドは立ちあがった。手を伸ばし、リーザの頭をあげさせた。リーザを見るかの人の瞳には限りない優しさと敬愛の念が満ちていた。
「頭をおあげください、リーザさま。あなたが頭をさげる必要などありません。それは、わたしのやることです」
「それでは……!」
「はい。こちらからお願いします。街道という街道にリンゴの木を植える。そんなことは考えもしませんでした。ですが、たしかに素晴らしいお考えです。そうしておけば、例え、農地が襲撃を受けて壊滅させられても食糧を確保出来る。行軍中にいつでもおいしいリンゴを食べることが出来る。これから先、まだまだつづく鬼部との戦いに備えてまちがいなく、必要なこと。ぜひ、ご協力させてください」
「アーデルハイドさま」
リーザも立ちあがった。
たくましい農婦の手が、華奢で美しい貴族令嬢の手をしっかりと包み込んだ。
アーデルハイドはニッコリと微笑んだ。
「それから、わたしのことは『ハイディ』とお呼びください。親しい人からはずっとそう呼ばれておりました。敬語も不要です。これからのわたしたちは、あくまでも対等の立場の同志なのですから」
「わかりました……じゃなかったわね。わかったわ、ハイディ。でも、それなら……」
ニヤリ、とリーザはいたずらっぽく笑った。
その笑みひとつでアーデルハイドは相手の言いたいことを察した。アーデルハイドもまたクスリと笑って見せた。
「わたしこそ敬語は不要。そういうことね、リーザ」
「ええ、ハイディ」
ふたりは改めて手を握り合った。
エドウィン家令嬢アーデルハイドと『ジョニー・アップルグランパ』代表、リーザ。
後の世に大陸中の食糧事情を支配する大商人として名を残すことになるふたりの女性がいま、ここに、手を結んだのだった。
(注1 リンゴじいさんに関しては外伝集『自分は戦士じゃないけれど』第一話『リンゴじいさんの遺産』を参照のこと)
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