二三章 勇者たちのうぬぼれ

 ――くそっ、何だってこんなことになるんだ。

 勇者ガヴァンは心のなかで毒づいた。

 鬼王の首を取るべくエンカウンの町を出立してから一日あまり。ガヴァンは自分がすでに疲れはてていることを感じていた。

 ――くそっ、なんでだ。なんで、たった一日、歩いたぐらいでこんなに疲れているんだ。いままで何日、移動したって疲れたことなんてないのに。

 そう心のなかでぼやき続ける。

 疲れた体に、三人分の荷物を詰め込んだ荷袋の肩紐が食い込む。着替えに携帯食料、緊急用の医薬品、さらには煮炊き用の鍋に、テントに寝袋……。旅の必需品をゴッソリと詰め込んだ荷袋はガヴァンの背中よりも大きく、重い。疲れた体にその重さがひしひしとこたえる。

 そのガヴァンの後ろからは互いにそっぽを向いたままのフィオナとスヴェトラーナがついてきている。ふたりとも見事なまでの仏頂面。崇拝者たちが見れば一目でせっかくの想いが冷めてしまいそうなほど、ひどい表情になっている。足を引き摺るようにして歩く疲れ切った様子が、その表情をさらにひどいものに見せている。

 思えば、この旅――と言っても、まだほんの一日しかたっていない『散歩』のようなものだが――は、最初から波乱含みだった。

 スミクトルのモーゼズ将軍に助力を断られたあと、それならば、自分たちだけで鬼王の首を取ってやると、三人だけで旅立つことを選んだ。旅のために必要な荷を用意したのだが、その段階ですでに火花が散った。

 「荷物はあなたがもちなさい、スヴェトラーナ」

 「馬鹿を言うな、荷物持ちなどお前の役目だ」

 誰が荷物をもつかでフィオナとスヴェトラーナが真っ向から対立したのだ。

 本来ならば対立するようなことではない。

 自分の荷物は自分でもつ。

 それが当たり前。だが、気位の高いふたりにはそんな常識など通用しない。このふたりにとって荷物持ちなどは位の低い使用人のやること。自分のような魔術の誉れ高い、身分あるもののすることではなかったのだ。まして、相手がもたずに自分だけがもつ……などと言うことになったら――。

 それは『女』としての負けを意味する。

 いままでならハリエットに押しつけていれば済んでいたので、そもそも問題にすらならなかった。しかし、そのハリエットが抜けたいま、ふたりの矜持は真っ向から対立することとなった。生来の気位の高さと、国一番の魔法の使い手としての誇り、そして、女の見栄。それらが重なり合い、互いに相手に押しつけずにはいられなかった。

 「わたしは勇者の戦友として常に戦える状態でいなくてはならない。荷物など運んでいられるか。戦う術をもたないお前のすることだ」

 「呆れて物も言えませんね。いままでわたしの魔法にどれだけ助けられていたかも知らないで。あなたなど、わたしの補助魔法による強化がなければ単なる二流魔法使いだと言うのに」

 その一言に――。

 スヴェトラーナの眉間に稲妻が走った。

 「なんだと⁉ この魔女スヴェトラーナが二流だと言うのか⁉」

 ――勝った。

 フィオナはそう思った。

 スヴェトラーナは怒りのあまり、優雅さを失った。その時点で女としての面目を失ったのだ。女として、自分の勝利を確信したフィオナは、露骨にスヴェトラーナを見下す笑顔を浮かべた。

 「あら。『二流』という言葉にこだわるなんて、自分でも承知していたようですね。思っていたよりお馬鹿さんではないようですわね」

 「きさま……!」

 スヴェトラーナの妖艶ようえんな美貌が烈火のごとき怒りに染まった。牙をむくようにして、恐るべき魔力が込められた紋を刻んだ爪をフィオナに向けた。

 フィオナは真っ向から受けて立った。聖なる杖をスヴェトラーナに向ける。本来ならば、聖女であるフィオナが攻撃魔法の専門家である魔法使いに勝てるわけがない。しかし、スヴェトラーナは魔女。魔女とは暗黒の神と契約した闇の使徒。そして、聖女の使う浄化の魔法である聖光は闇の使徒を消滅させることが出来る。つまり――。

 フィオナはスヴェトラーナの存在そのものを消滅させることが出来るのだ!

 もちろん、スヴェトラーナだけが危険なのではない。フィオナがスヴェトラーナを消滅させることが出来ると言うのなら、スヴェトラーナの攻撃魔法はただの一撃でフィオナの命を奪うことが出来る。もし、そのふたりの魔法がぶつかれば――。

 相打ち。

 共倒れ。

 その結果以外にはあり得なかった。

 「よせ、ふたりとも!」

 見かねたガヴァンが遅まきながら止めに入った。

 「なんで今日に限ってそんなに角突き合わせてるんだ。おれたちはいままでずっと、三人でうまくやってきたじゃないか」

 なんとも呑気な台詞だった。もし、ガヴァンが勇者でなければフィオナとスヴェトラーナ、ふたりの攻撃は即座にこの無邪気な男に向けられていたにちがいない。

 いままでフィオナとスヴェトラーナが対立せずにいたのはハリエットという共通の敵がいたからだ。自分たちよりはるかに格上の貴族の出であり、ガヴァンの正式の婚約者。幾重にも忌々しい目の上の瘤を追い落とすために共闘していたに過ぎない。

 潜在的には、フィオナにとってのスヴェトラーナ、スヴェトラーナにとってのフィオナは共に『勇者の妻』という立場を競う敵であり、追い落としの対象でしかなかった。『うまくやっていた』など、とんでもない!

 ハリエットがいなくなったいま、水面下の争いが表に現れてきただけのこと。それなのに――。

 ――自分たちは三人でうまくやっている。

 そう無邪気に信じていたガヴァンだけがそのことをわかっていなかった。

 結局、フィオナもスヴェトラーナもあくまでも荷物をもつことを拒否したので、ガヴァンが三人分の荷物をまとめてもつことになった。勇者として、三人のなかでただひとりの戦士として、敵が現れれば真っ先に立ち合わなければならない身。その自分が重くてかさばる荷物をもつことには不安もあった。しかし――。

 ――まあいい。あの役立たずのハリエットでさえ、この程度の荷物はもっていたんだ。選ばれし勇者であるおれにとってはどうということもない。

 そう思い、気にしないことにした。

 ――それに、あの役立たずは何かと言うと歩くのが速すぎると文句をたれたし、ちょっと歩いては休み、ちょっと歩いては休みを繰り返していたからな。効率が悪いと言ったらなかった。その役立たずがいなくなったいま、おれたちだけなら一日中だってぶっ続けで歩いて行ける。鬼王のもとになんかすぐにたどり着く。それだけ、荷物をもつ時間も短いわけだからな。

 そうたかをくくっていた。

 そして、出立。

 最初のうちはガヴァンの感想を裏付けるようだった。フィオナとスヴェトラーナ、このふたりは互いにそっぽを向いたまま一言も口をきこうともしなかったが、足取りそのものは軽やかに,調子よく、道のりはサクサクと進んだ。

 ――うん。やはり、あのチマチマ休む役立たずがいない分、快適だ。これならすぐに鬼王の城とやらにまでたどり着けるぞ。

 鬼王の城とやらの位置さえ知らないくせに、そう無邪気に思うガヴァンだった。しかし――。

 歩きつづけているうちに、徐々に疲れを感じはじめた。

 ――何だか、疲れたな。

 そう感じたら、あとは一気だった。

 体が重い。まるで、体のなかに鉛の芯を入れたようだった。

 息切れがする。足を引き摺りながら、あえぐようにして歩く羽目になった。

 フィオナとスヴェトラーナもすぐに不平不満をこぼすようになった。

 疲れた。

 休みたい。

 喉が渇いた。

 口々にガヴァンを責めるようになった。

 歩調を誤った結果だった。

 粋がるあまり、長距離を移動するというのに、まるで短距離移動のときのような早足で歩きつづけた。そのために筋肉が痙攣を起こし、まともに動けなくなったのだ。

 ハリエットが何かにつけ歩調を緩めるよう言ったのは自分が付いていけないからではなく――ハリエットは体力だけならフィオナやスヴェトラーナよりずっと上になっていた――長距離を移動するために適切な歩調を保つためだった。

 さらに、水分も塩分も補給しないままに歩きつづけていたために、軽い脱水症状に陥ってもいた。ハリエットがこまめに休息を求めたのは『長距離を移動するコツは疲れる前に休むこと』という基本を実践していたからだ。そして、その休みのたびに少しずつ水分と塩分を補給していた。そのために疲労も溜まらず、脱水症状も起こさず、何日でも歩きつづけることができたのだ。

 しかし、ハリエットのそんな気遣いを単なる『ひ弱さ』として片付けてきたガヴァンたちには、そんなことすらわからない。なんで今回に限ってこんなに疲れているのか理解できず、ますます苛立ちが募るばかりだった。

 結局、フィオナとスヴェトラーナ、ふたりに責められてガヴァンは渋々、休息をとることにした。

 ――とにかく、テントを張って休もう。

 そう思った。ところが――。

 テントの張り方を誰も知らなかった。

 いままでずっとハリエットがひとりで設営してきたのだ。

 ――テントの設営なんて、剣も魔法も使えない役立たずのすること。

 そう見下し、手伝いはおろか、ハリエットがテントを設営するところを見ていたことさえないガヴァンたちには、テントの張り方がわからなかった。これではいくら立派なテントをもっていても役には立たない。

 「テントを張ることすら出来ないのか、この地味女」

 「そんなことを言うならあなたが自分で張ればいいでしょう、派手なばかりのケバケバ女」

 「いい加減にしろ、ふたりとも!」

 疲れているところに女ふたりの嫌味の応酬を聞かされて、さすがにガヴァンも声を荒げた。言われてフィオナとスヴェトラーナも自分が女としてあるまじきがさつさを見せてしまったことに気が付いたのだろう。不満そうに視線をそらせ、それでも、黙ることは黙り込んだ。

 「どうせ、ちょっとばかり休むだけだ。テントなんて張る必要はない。それより、火を焚いて飯にしよう」

 ガヴァンはそう指示した。これにはフィオナとスヴェトラーナも異議を唱えることなかった。

 さすがに火の焚き方ぐらいは知っている……と言うより、スヴェトラーナの魔法で火をつければいい。いいのだが――。

 燃やすためのたきぎがない。

 これもまた、ハリエットがテントを設営したあとにひとりで集めていたものだ。おかげで、ガヴァンたちにとってたきぎとは『テントを張ればそこにあるもの』だった。今回はじめて、たきぎが欲しければ拾ってこなければならない、と言うことを知ったのだった。ところが――。

 フィオナもスヴェトラーナもたきぎ集めなど断固として拒否した。

 「そんなことは下賤な使用人のすること。自分のような身分あるもののすることではない」

 ふたりは異口同音にそう言った。

 仕方がないのでガヴァンがあちこちを回って集めてきた。たきぎを適当に山と積み、スヴェトラーナが炎の魔法で火を付けた。これでようやく焚き火に当たれる。

 三人はそろって息をついた。だが――。

 まるで暖かくない。

 火はついている。

 たしかにごをごをと燃え盛っているのだ。

 それなのに、ちっとも体が温まらない。冷たい空気にさらされ、冷えたままだ。汗が冷えて、乾いて、体温を奪っていく。燃えさかる炎を前に三人は寒さにふるえていた。

 「何をしているのです、ちっとも暖まらないではありませんか。国一番の魔女を名乗っておきながらなんたる役立たず」

 「黙れ。補助魔法を自慢するなら火を強化するぐらいのことはやってみせろ」

 フィオナとスヴェトラーナの嫌味の応酬もいまひとつ気合いが乗っていない。疲れと冷えでそれどころではなくなっているのだ。

 ――くそっ。どうなってるんだ。前は焚き火をすればすぐに体が温まったじゃないか。それなのに、なんで今回に限って寒いままなんだ。こんな大きな火だぞ。ハルのやつがつけていたときは,ついているのかどうかわからないぐらい小さな火だったのに。それに比べればずっと威勢よく燃えているのにどうして熱くならないんだ。

 まさに大きく燃え盛る火だからこそ暖まらないのだ、と言うことがガヴァンたちにはわからない。

 たきぎを乱雑に積んだだけでは隙間が大きくなり、空気がどんどん入る。そのために火は大きく、強く、燃え盛る。見た目は派手であり、とても暖かそうに見える。しかし、まさしく見た目だけであり、本当の意味での熱はない。実用的な焚き火とは、ハリエットがしていたように、たきぎを隙間なくびっしりと並べて空気が入りにくいようにする必要がある。そうすることで火がねれて、体の芯から温まる。しかし、

 ――剣も魔法も使えないならせめて、他のことで役に立とう。

 そう思い、旅に必要な知識と技術を必死に身につけたハリエットとちがい、戦い以外、何も知らないガヴァンたちにはそんなことはわからない。ただただ不満に感じるだけだ。

 「……とにかく、飯にしよう」

 ガヴァンが言った。言ったのだが――。

 今度は肝心の食べるものがない。

 「新鮮な木の実はどこにあるのです?」

 「獣の肉はどこだ?」

 「そんなものはない」

 ガヴァンは憮然として答えた。

 「木の実がない? どういうことです⁉」

 「なぜ、肉がない⁉ 用意してこなかったのか!」

 「仕方がないだろう! おれだってもってこようとはしたさ! けど、木の実や生の肉は重いし、傷みやすいから旅にはもっていけないと言われて用意できなかったんだ」

 「だ、だって、ハリエットはいつでも新鮮な木の実を用意していたではありませんか!」

 「そうだ。あの女は鳥や獣の肉もいつでも準備していたぞ」

 「それはそうなんだが……」

 おれだってどうしてだかわからないんだよ。

 ガヴァンは口のなかでモゴモゴ言うのが精一杯だった。

 「そう言えば、ハリエットのやつはテントを張ったあと、よく姿を消していたな。そのあと、木の実やら肉やらを取り出していたが……」

 姿を消していたのではなく、罠を張って獲物を狩り、木の実を集めていたのである。だからこそ、ガヴァンたちは野原だろうと、どこだろうと、いつでも新鮮な食材にありつくことができたのだ。

 しかし、ガヴァンたちはハリエットのそんな陰の働きを知らない。

 「いまあるのはこれだけだ。これを食え」

 ガヴァンはそう言ってふたりに携帯食料を放り投げた。

 聖女と魔女、ふたりの表情がたちまち強張った。

 「何ですの、これは⁉ 聖女であるわたくしにこんなものを食べろと仰いますの⁉」

 「わたしは魔女だぞ! こんなもので魔力を確保できると思うか⁉」

 「いいから食え! いまはそれしかないんだ」

 ガヴァンはそう言うと携帯食料の封を切り、いかもまずそうに食べはじめた。

 フィオナとスヴェトラーナもそれを見て、憮然、渋々、忌々しく、という三種類の感情すべてをこね合わせたような表情で携帯食料の封を切った。

 実際、ふたりは不平たらたらだった。こんな、下級の兵士たちが戦場で食べるような下賤な食料を食べるなど女としての矜持が許さない。どんな場合でも豪華なディナーを優雅に食べるのが、『身分ある女』と言うものだ。しかし――。

 背に腹は替えられない。これしか食べるものがないというなら食べるしかない。所詮、腹を空かせたままにしておくわけにはいかないのだ。

 他に見るものがいないことだけを救いに、ふたりは携帯食料にかじりついた。

 「まずい」

 ふたりそろって同じ声が出た。

 もとより、下級兵士用の携帯食料。最低限の栄養は補給できるようにしてあるが味や食べやすさなどは考慮に入れていない。口の奢った聖女と魔女が満足できるはずがなかった。

 それはガヴァンも同じ。

 勇者として、常に誰よりも優遇されてきたガヴァンにとってこんなものを食べるのは不本意の固まりだった。

 「文句を言わずに食え。そして、さっさと寝るんだ」

 それは実際には自分自身に言い聞かせるための言葉だった。

 本来、ちょっと歩いてすぐにまた歩きだすつもりだった。しかし、ちっとも熱くない焚き火と味気ない食事のせいでその気もなくなってしまった。なし崩し的にそのまま野宿することになった。寝袋を取り出してなかにもぐり込み、一夜を過ごした。

 そして、翌日。

 一行は再び旅をはじめたが、気分は最悪だった。

 寝袋があったので凍えずにはすんだものの、テントも張らずに直接、地べたで寝る羽目になったのだ。体が痛い。寝た気がしない。体の芯が冷えている。おまけに、腹に入れたものと言えば、冷え切った携帯食料だけ。温かいお茶の一杯すら口にしていない。そのせいで体に熱が溜まらない。

 気分が悪い。

 疲れもまるで取れていない。

 悪いことばかりが重なっている。

 ――くそっ。まだ敵に会っていないどころか鬼界島にすら入っていないんだぞ。いまからこんなありさまでこれからどうなるんだ。

 ガヴァンは心のなかで毒づいた。

 それは、まさに勇者一行のこれからを暗示する言葉だった。

 勇者ガヴァン。

 聖女フィオナ。

 魔女スヴェトラーナ。

 かのたちは紛れもなく人類最強の戦力であり、戦場においては無双の存在。だが、裏を返せば戦場以外のことにはまったくの素人だった。ハリエットという優れたレンジャーを失った勇者一行にはもはや、旅をするだけの能力は存在しなかった。そして――。

 かの人たちはそのことに気が付いていなかった。

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