二二章 新しき女王、新しき世界

 「いやあ、驚きましたなあ。まさか、このような場所でハリエットどのにお会いするとは」

 「は、はあ……」

 スミクトルの宿将しゅくしょうモーゼズのあまりにもわざとらしいその言い方に、ハリエットは目を丸くした。

 モーゼズの後ろに控える副官が顔を覆っているのは、上官のあまりの演技の下手さが恥ずかしすぎるからにちがいない。何しろ、表情も口調もわざとらしさの極みだし、台詞は棒読み。わざとやろうとしてもこうはいかない。ここまできたらむしろ才能。そう言いたくなるぐらいの大根演技なのだ。

 それと知ってか知らずかモーゼズは演技を続けている。

 ――な、なんだか楽しそうですし、モーゼズ将軍ってもしかしたらお芝居がお好きなんでしょうか?

 ハリエットは思わずそう疑った。

 モーゼズ将軍とはもう数年来の付き合いだけど、芝居好きだなんて聞いたこともない。でも、もし、そうなのだとしたら、しかも、見るより演じる方が好きなのだとしたら――。

 ――周りの人がお気の毒すぎます。

 と、こっそり溜め息をつかずにはいられないハリエットだった。

 ――そう言えば、ガヴァンさまの前ではいつも太鼓持ちを演じていましたっけ。国民のためにやむにやまれぬ演技だと思っていましたが、まさか、あれも……。

 「いやいや、青天せいてん霹靂へきれきとはまさにこのことですな。聞けば最近、長らく緩衝かんしょう地帯ちたいとされてきたこの一帯で怪しげな集団がたむろしておるという。すわ、何事。鬼部おにべの一団か? これは確認せずにはいられまい。というわけで、同胞を語らってやってきてみれば旧知の人物、それも、ハリエットどのとは。いやあ、驚きましたなあ。あっはっはっ」

 あっはっはっ、と、笑うその姿。本人はやけに楽しそうだが見ている方は恥ずかしい。それぐらいの大根振り。いや、そんな言い方をしては大根のほうが怒りのあまり、赤大根にかわってしまうだろう。

 ――ちゃんと教えてあげたほうが親切というものでしょうか?

 ハリエットはそう思ったが――。

 ある意味、怖くて、そうする踏ん切りが付かない。

 ハリエットがこの城塞都市跡にやってきて、最初に自ら修復した家。その一室でのことだった。

 外交用の屋敷を建てる余裕などなかったし、そもそも、そんな必要があるとも思っていなかった。当然、客人を迎えるための部屋などない。そこで、間に合わせの執務室として使われていたこの家に招いたのだった。

 ハリエットたちの側はハリエット本人をはじめ、騎士団長ジェイとその副官であるアステス。モーゼズの側はモーゼズ本人とその副官、そして、西の遊牧国家ポリエバトルの雌豹めひょう将軍しょうぐんバブラク。それに、北の雄国オグルの若き烈将れっしょうアルノスのふたりが参加している。

 バブラクはその異名通り、野性的で剽悍ひょうかん風貌ふうぼうをした女性であり、引き締まった体は敏捷びんしょうそのもの。草原を吹き抜ける風を思わせる。

 ポリエバトル人は遊牧の民であり、騎馬の技術と戦闘能力の高さで知られている。特に、馬上からの射撃技術に関しては人間界随一の名をほしいままにしている。バブラクはそのなかでも随一の弓の使い手、つまり、世界一の射手と言われている人物だ。

 アルノスはいまだ二〇代の若さながら、北の雄国オグルの筆頭将軍を務めている。

 元々、オグル人は北の山岳地帯という厳しい自然に鍛えられてきたためか人類のうちで最も大柄で強靱な体力をもつと言われている。

 ――鬼部と素手で殴り合って勝てる人間は、オグル人だけだ。

 そう謳われるほど強靱な肉体を誇る民族である。

 アルノスはそのなかでも特に大柄で、子供の頃から剣、槍、斧、体術、すべてにおいて桁外れの才能を発揮していた。一〇代のころにはすでに国中に敵うものはなく、その強さを見込まれて先代筆頭将軍である父からその座を譲られた。

 その後のアルノスは期待にたがわず対鬼部戦役の先頭に立ち、いくつもの功績を挙げ続けている。

 もし、筆頭将軍の地位に就いていなければまちがいなく熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいに誘われ、中核になっていただろう。

 そう言われる逸材である。

 ふたり共にハリエットとは昔からの顔なじみ。勇者や熊猛紅蓮隊との共闘のために何度も顔を合わせ、協議した仲である。

 モーゼズも含め、いずれも対鬼部戦役において人類軍の中核を担う重鎮と言っていい。

 そんな人物が三人、わざわざ並んでやってきた。

 その理由がわからないほどハリエットは鈍感ではない。

 ――わざわざ、わたしのことを心配して来てくださったのですね。

 そう思うと胸が熱くなる。しかし――。

 ――やっぱり、こんな演技はしなくていいと思うのですけど。

 ハリエットが胸のなかでこっそり溜め息をついたことなど知らず、モーゼズはかわらない調子で下手すぎて忘れられない芝居を続けている。

 「いやいや、しかし、見てみればなかなかの大人数。これほどの人数が四カ国と国境を接する緩衝地帯に居座り、暮らしはじめているとなれば国家の安全保障に関わる問題。これは、我々もこの地に駐屯して監視を続けなければなりませんなあ」

 ハリエットもこっそり溜め息をついていたが、副官はますますいたたまれない様子になっている。

 モーゼズがわざわざこんな演技をしている理由はもちろん、わかる。ハリエットは国王命令によってレオンハルト王国から追放された身。レオンハルト王国から見ればれっきとした罪人、それも、極めつきの大罪人だ。そんな罪人と関わったとなればレオンハルトとの関係にヒビが入る。しかし、レオンハルトは人類最大最強の国家であり、対鬼部戦役の中核。仲違いするわけにはいかない。となれば、怪しい集団を監視する、という名目でやってくるしかないわけだった。

 もちろん、実情は見え透いているわけだが『外見を取り繕う』というのがものをいう場合もあるのだ。特に『政治的な人間』に対しては。そして、レオンハルト国王レオナルドとは『政治的な人間』の見本といも言うべき人物だった。

 「閣下、もうそのへんで……」

 人前で恥をかかされ続けることに耐えられなくなったのだろう。副官がとうとう、止めに入った。

 「バブラク将軍やアルノス将軍もお話ししたがっているのですよ」

 「ん? お、おお、そうであってな。では、ご両者。話されるがよろしかろう」

 モーゼズは鷹揚おうようにそう言った。

 好きな芝居がたっぷりできたので機嫌が良い。だから、部下の諫言も素直に受け入れられる。そんな様子に見えた。

 バブラクとアルノス、ふたりの将軍のうち、先に口を開いたのはバブラクだった。

 「久し振りだ、ハリエットどの。おらもおめえのことはずっと気にしていただ」

 「……畏れ入ります、バブラクさま」

 ハリエットが挨拶しながらうつむいたのは表情を隠すためだ。

 バブラクはその顔も、体も、剽悍で野性的、全身が機能美にあふれている。そんな女性が自分のことを『おら』と呼ぶ。それは、何度聞いても違和感がありすぎて慣れるということが出来ない。美しい女優がわざと笑劇を演じているようで、つい笑い出してしまいそうになる。

 しかし、ポリエバトルではこれが普通の話し方なのだから笑ったりするわけにはいかない。うつむいて表情を隠すしかないのだった。

 ふと見てみるとジェイとアステスもやはり、表情を隠すのに苦労していた。

 ジェイは口元に拳を当てて必死に耐えている。ふくらんだ頬や赤みの差した肌がいかに必死かを示している。

 アステスはと言えばはっきりと顔を背けて必死に耐えている。それでも、小刻みに肩が震えているのはどうしようもない。

 失礼と言えばたしかに失礼な態度なのだが、とうのバブラクは気にしてない。レオンハルト人と会話するときはいつもこうなので、レオンハルト人はこういう会話の仕方をするものなのだと思っている。

 「困ったことがあったらなんでも言ってけれ。なあに、おめえとおらの仲だ。遠慮なんざいらねえ」

 「……ありがとうございます。バブラクさまには幾度となく助けていただいたと言うのにそのようなお気遣い、畏れ入ります」

 「世話になったのはこちらの方だ」と、オグルの若き烈将アルノスが話を引き取った。

 正直、ハリエットはホッとした。

 ――これで、笑いをこらえずにすみます。

 ジェイとアステスも同じ思いであったことはまちがいない。

 アルノスは身長だけならウォルターにも勝る大男なのだが、その声質は澄み切った水晶のよう。声だけ聞いていれば、どこの貴公子かと思うほどの美声の主である。

 アルノスはその美声をもって語った。

 「私たちがあの鼻持ちならない勇者や、粗暴な熊将軍と曲がりなりにも共闘してこられたのはハリエットどの、あなたのご助力があったからこそ。あなたが勇者たちのために我々との間に重ねてきた交渉は敬服に値する。そのあなたを追放するとはレオンハルト王国の傲慢さと愚かさにはほとほと愛想が尽きた。我々一同、あなたにこそ協力させていただきます」

 その言葉に――。

 バブラクも力強くうなずいた。

 「ありがとうございます、アルノスさま。身にあまるお言葉です」

 「さて。それでは、挨拶も終わったところで一仕事といきますかな」と、モーゼズ。

 「何しろ、我々はあなた方を監視するためにこの地にきたのですからな。そのためには、この地に駐屯し,腰を据えてじっくりと観察しなければなりません。色々と準備が必要になりますからな」

 表情も、口調も、風雨に耐える巌のように重々しい。よけいな演技さえしなければやはり、一国の宿将と呼ぶにふさわしい風格の持ち主なのだ。

 しかし、この場にひとりだけ、モーゼズの言葉に聞き捨てならないものを感じた人間がいた。ジェイの副官アステスである。

 アステスは、若々しく愛らしい顔に覚悟を込めてモーゼズを見据えた。

 「モーゼズ閣下。ひとつだけ申し上げておきます。あなた方がどう思っておいでであろうとこの地における治安責任者はジェイ団長です。従って、この地にある限り、どれほど地位の高い方であってもジェイ団長に従っていただきたく……」

 「アステス! 友邦国を代表する将軍閣下に対し無礼であろう。控えよ」

 「しかし……」

 ジェイに一喝されてアステスは不満そうに口をとがらせた。

 ――アステスさまはジェイさまへの忠誠心が強いあまり、他の方の風下に立つことができないのですね。

 ハリエットはそう思いやった。

 そして、その愛らしい顔立ちとあいまって、まるで古い神話に出てくる堕天使のようだと思った。

 モーゼズが飄々ひょうひょうとした態度で言った。

 「はてさて。アステスどのは何か勘違いされておるようだ」

 「勘違い?」

 「さよう。我らはあくまでもおぬしたちを監視するためにこの地にとどまるのだ。むろん、民間人から助けを求められれば騎士として助力は惜しまん。しかし、監視対象であるおぬしたちの内情に関わるような真似はせん。そんなことは任務外なのでな」

 モーゼズの言葉にバブラクとアルノスもコクコクとうなずいている。

 アステスの愛らしい顔にさっと朱が刺した。

 自分が先走り、言う必要もないことを言ってしまったことに気が付いたのだ。

 助け船を出したのはハリエットだった。即座に立ちあがり、気分をかえるために高らかな声をあげた。

 「さあ、モーゼズさま。この地に集まった方々をご紹介しますわ。わたしたちを監視にいらしたと言うなら、どこに誰がいるかはくわしく知っておく必要があるでしょうから」

 「おお、まさにその通り。よろしく頼みますぞ、ハリエットどの」

 「おらも監視のためとなれば会わねばならんな」

 「私もだ」

 バブラクとアルノスも同時に立ちあがった。


 その日から町の再建は一気に進んだ。

 限界げんかい雪嶺せつれいの雪解け水を水源とする大河を使って大量の石材が運ばれ、兵士たちが家を建てていく。不足していた大量の建材と若くたくましい人手とが加わったのだから進展しないわけがなかった。

 「おいおい、あんたら、おれたちを監視しにきたんだろう? それなのにおれたちのために家なんて作ってていいのかい?」

 獲物を山と抱えた猟師――長らく、緩衝地帯として使われ、人が住んでいなかったので周囲の野山には獲物がいくらでもいるのだ――が軽口を叩くと、兵士もわざとらしく言い返した。

 「何の話だ? おれたちは将軍閣下に命令されて、おれたちが駐屯するための宿舎を建てているだけだぜ。まあ、おれたちがいない間にどっかの誰かが勝手に使っていたとしてもおれたちには知るよしもないし、どうしようもないけどな」

 そう言ってニヤリと笑い合う。

 「おお、怖い、怖い。おれたちはこれから先ずっと監視されるわけだ。じゃあ、せめて賄賂でも贈ってお目こぼしを願うしかないな。この山鳥をおいていくよ。火で炙って一杯、やってくれ」

 「いいねえ」

 さらに、ポリエバトルからは数百頭にもなる馬が届けられた。

 いずれも選び抜かれた駿馬ばかりであり、獲物を追うにせよ、鬼部と戦うにせよ、飛躍的な戦力の強化になるのはまちがいない。

 「この辺りは馬の放牧に適している。子供をうんと産ませて国に連れ帰れば、貴重な戦力になるからな」

 それがバブラクの言い分だった。

 つまり、この地で仔馬をどんどん産ませればポリエバトルで買い取ってくれる、産業として発展させることが出来る、と言うわけだ。

 これだけでも充分に嬉しいことだったが、最大の喜びはアルノスが連れてきた、いかにも職人風と言った出で立ちの一団だった。

 背が高くやせ形のオグル人とは対照的に横に太く、縦に短く、まるで寸詰まりの酒樽のよう。その身を作業着に包んだ一団は、この地を訪れるなり開口一番、言ったものである。

 「ふん。なるほど。わしらの商売相手がウジャウジャいるようじゃな」

 「商売相手?」

 「ハリエットどの。このものたちは我がオグル王国のさらに北、限界雪嶺に工房を構える意動いどう工肢こうしの作り手たちです」

 「意動工肢の⁉ 本当にいたのですね」

 「おれの部下に新しい手足を作ってくれるのか⁉」

 ハリエットが感嘆し、ジェイが叫んだ。

 職人頭らしい男はそんなジェイをじろりと睨んだ。

 「若いの。『くれるのか?』ってのは疑う言葉だぜ。誰でもさっさと連れてこい! 脳味噌以外なら体のどの部分でも作ってやらあっ!」

 こうして、町の再建だけではなく人体の再建も同時にはじまった。

 モーゼズたち三カ国の協力を得て、ハリエットの国作りは急速に進み始めた。

 そんなある日、ハリエットはジェイをはじめ、多くの人々の訪問を受けた。

 「どうしたのです、こんなにそろって?」

 自分の前に列をなし、しかも、膝をついているジェイたちを見て、ハリエットは戸惑いの声をあげた。

 一同を代表してジェイが答えた。

 「ハリエットさま。いまこそ、ハリエットさまに女王として即位していただきたいのです」

 「女王⁉」

 「御意ぎょい。我らの国も形を成してきました。そして、国には象徴であり、人々の心の支えとしての王が必要です。ハリエットさまにこそ、その役割を果たしていただきたいのです」

 「ま、まってください! 王だなんて……わたしはそんな器ではありません。王が必要だと言うのはわかりますが、それならジェイさまの方がずっと……」

 ジェイは首を横に振った。

 「国作りが進み始めたのも、わが部下が新しい手足をもつことができたのも、すべてはハリエットさまがいままで手を尽くされてきた外交によるもの。ならば、ハリエットさまこそが我々の王にふさわしい。それが、我らの総意です」

 「そうですとも! ハリエットさま以外に我らの王にふさわしい方なんぞいません!」

 「そうです。ハリエットさま、あたしたちの王になってください!」

 「ハリエットさま!」

 「ハリエットさま!」

 「ハリエットさま!」

 大地を揺るがす波のようにその場に集まった全員から女王ハリエットを熱望する声があがった。それはもはや、拒むことの出来ない熱量となってハリエットを覆った。

 「……わかりました」

 ハリエットはついに言った。

 人々の間に喜びの予感が走った。

 「わたしはたったいまをもって我々の国の王となります!」

 予感は現実となり、人々の間に歓喜が爆発した。

 「ですが、皆さん。覚えておいてください。わたしが王となるのはあくまでもあなたたちに望まれてのこと。あなたたちの幸福を守り抜く、そのための役割を求められてのこと。ですから、どうか皆さん。わたしがあなたたちの望むことをしないときには容赦なくわたしを罪人として扱ってください。わたしが道を誤ったなら武力をもってしてでも正す。その心を忘れないでください」

 王が道を誤ったならば、臣下たるものは武力をもってこれを正すべし。

 このときのハリエットの言葉こそは――。

 かのの作る新しい世界にとっての礎となるのだった。

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