二八章 落日の熊猛紅蓮隊

「ええい、きさまら、しゃっきりせんかい! それでもわしの配下か⁉」

 熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルターの怒声が戦場に鳴り響く。

 しかし、その声に応えるものはいない。

 いや、応えられない。

 誰もが疲れ切っていた。

 誰もが腹を空かせていた。

 昼夜を問わずに繰り返される襲撃。眠る間もなくければ、飯を食う間もない戦いの連続。熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいはこれまでウォルターの指示のもと、常に全軍で出撃することで鬼部おにべの襲撃をことごとく退けてきた。しかし――。

 それはつまり、すべての兵士、騎士が等しく疲労し、消耗すると言うこと。休憩を取らせることなく、常に戦うことを要求しつづけてきた。その当然の結果として、全軍が一気に疲労の限界を迎えつつあった。

 身を守るための鎧兜でさえもいまや、身を縛る重荷でしかない。

 剣を振るおうにも疲れはて、腹を空かせた身では戦う気力さえ湧いてこない。

 ただただ、死にたくない、食われたくない、その思いだけで剣を振るう。

 しかし、恐怖で剣を振るうことはできても体力を消耗しきった体ではまともな威力の斬撃など繰り出せるはずがない。鬼部の強靱きょうじんな皮膚に弾かれ、へし折られ、殴り倒される。人間の常識の通用しない強靱な握力で鎧を引きはがされ、生きたまま牙を突き立てられる。

 食うものも食えない兵士たちはいまや鬼部の食糧と化しつつあった。

 食われるのは戦場の兵士たちだけではない。

 町中の人々もそうだ。

 疲れはてた兵士たちではもはや敏捷な鬼を相手に迎え撃ち、防壁内への侵入を阻むことなど出来はしない。あっさり突破され、強靱な脚力にものを言わせてあるいは防壁を跳び越え、あるいは、駆けのぼり、町中に侵入する。そして、一度、防壁を越えてしまえばあとは鬼たちのやりたい放題。町中に残るわずかな警護騎士たちで防げるはずもなく町民たちが次々と襲われる。

 もちろん、単に襲われているわけではない。何しろ、エンカウンの町は対鬼部戦役用に作られた城塞都市。そこに住まうものたちも気が荒く、腕自慢のものがそろっている。手に手に鍬や鋤、棍棒や包丁などをもって鬼部を迎え撃つ。しかし――。

 訓練を受けた騎士たちでさえ数人がかりでやっと倒せる相手。いくら腕自慢だろうがしょせん、素人が相手にできるわけもない。自分が食われることで家族を守るのがせいぜいだった。

 やがて、荒らすだけ荒らしたあと、鬼部たちは潮が引くように去って行く。それは決して撃退したのではない。食うだけ食い、獲物を手に入れたことで、鬼部たちが自分から去っていく。ただ、それだけのこと。

 いまや、エンカウンの町は鬼部の餌場となりつつあった。


 「……ウォルターよ。さすがにどうにかならんか?」

 エンカウンの領主館内に作られた仮の玉座ぎょくざの間。

 そこに座るレオンハルト国王レオナルドは目の前に立つ巨漢の弟に対して言った。

 さすが、弟には甘いかの人も苦り切った表情をしている。しかし、ウォルターの表情はそれ以上に苦い。

 「連日、民衆どもから抗議の声があがっているのだ。『熊猛紅蓮隊は何をしている、高い税金を取っておいて我々を守ることも出来ないのか。ジェイ団長がいた頃はこんな風に襲われることなんてなかったぞ』とな」

 言われてウォルターはますます苦い表情になった。

 ジェイ団長のいた頃は。

 事ある毎に他人と比べられるとあっては誰だって面白くない。まして、ウォルターとなれば。ウォルターは拗ねた子供のような表情になると、まさに表情そのものの声と口調で言った。

 「兄者よ、それは無理と言うものだぞ。何度も言っておるように我ら熊猛紅蓮隊は敵を攻め、蹴散らすことこそ本領。町を守る、防衛するなとという地味な仕事には向いておらんのだ」

 「そんなことはもう何度も聞いている。しかし、いま、この町を鬼部から守るのはお前たちしかいないのだぞ。何とかしてもらわねばならん」

 そう言うレオナルドの表情もまた苦い。

 『獅子王』とまで呼ばれる苛烈なかの人だが、それはあくまで国内における治世の厳格さに対してのこと。戦に関してはふたりの弟に任せっきりで、即位以後は自分では兵ひとり指揮したことはない。戦となれば弟に頼るしかなかった。

 「……わかっておる」

 ウォルターはいたずらを叱られた子供そのまま口調で言った。

 「……善処ぜんしょする。鬼部などすぐに蹴散らしてやるわ」

 「……頼むぞ」

 頼むぞ、と、口ではそう言ったもののウォルターにも手の打ちようがないことは悟らずにはいられなかった。単純で豪放磊落ごうほうらいらくなこの弟が『善処する』などと言う曖昧な言葉を使うのも、『……』などと言う言い方をするのも、いままでにないことだったからだ。

 それだけ追い詰められている。

 そのことがはっきりとわかった。

 ウォルターが退出したあと、仮の玉座の間にひとり残された――本来、玉座の間にいるべき文官や衛兵たちもその多くがハリエットとジェイを追い、エンカウンの町を出て行っていた――レオナルドはポツリと呟いた。

 「……ガヴァン。お前が鬼王を倒してくれさえすれば」

 聖女フィオナ、魔女スヴェトラーナ、ふたりの仲間と共に鬼王を倒すべく鬼界島きかいとうへと乗り込んだ末弟ガヴァン、神託しんたくによって選ばれた勇者。その勇者一行からの連絡が途絶えてもう何日になることか。

 もちろん、たった三人で敵の本拠地へと乗り込んだのだ。連絡などできるはずもない。それはわかっている。わかってはいるがしかし、不安はふくらまずにはいられない。

 「早く帰ってこい、ガヴァン。お前が鬼王の首をとって帰ってくればすべては納まるのだ」

 レオナルドは知らない。

 頼みとする弟が水あたりによる腹痛と発熱、さらには下痢によってもはや、戦いどころではなくなっていることを。


 ドスドスと音を立ててウォルターは領主館の廊下をのし歩く。

 この期に及んでいまだにそれほど力強い歩みが出来るのはさすがと言えた。とは言え、それはまさに『無駄な労力』の総天然色見本と言うべきものだった。

 そのウォルターのもとにひとりの文官がやってきた。

 「ウォルター将軍。お話があります」

 「なんじゃい?」と、ウォルター。不機嫌むき出しの声で言う。

 「補給の件に関してですが」

 補給。

 その一言を聞いた途端、ウォルターの表情は不機嫌を通り越して危険水準を突破した。

 「くどい! 人の顔さえ見れば補給、補給と騒ぎおって! いい加減にせんかい」

 「必要なことです。もう何日もの間、外部からの補給が途絶えております。このままではこの町にいるもの全員、日干しになってしまいますぞ」

 「その前に鬼部どもを根絶やしにしてやればいいのだろうが」

 「どうやってそんなことを成し遂げるおつもりです? 我々はいまだ、鬼界島に攻め入ることすらも出来ていないと言うのに」

 「ええい、やかましい! きさまのその声は聞き飽きたわ! それより酒だ、酒をもってこい。たらふくの焼き肉もだ!」

 「ありません」

 「なに⁉」

 「酒も肉ももうありません。どこにもないのです」

 「おれさまは熊猛将軍ウォルター、人類最強軍、熊猛紅蓮隊の将軍だぞ! そのわしが食う酒や肉がないと言うのか⁉」

 はい、と、文官は静かに答えた。

 しかし、その底に潜む深く冷たい怒りにウォルターは気が付いただろうか。

 「私は何度も申しあげましたぞ。食糧の備蓄びちくは残り少ない。切り詰めねばすぐにもなくなると。なのに、あなたは連日の飲めや歌えの大騒ぎ。あっという間に底をついて当然です」

 あなた。

 文官はそう呼んだ。『将軍閣下』と呼ぶ気にもならないほど、かの人はウォルターのことを見捨てていた。

 熊猛将軍ウォルター。

 たしかに、かの人は敵を攻め、蹴散らすことに懸けては人類最強の猛将。しかし、何よりも辛抱強さと粘り強さを要求される防衛戦においてはまったくの無能。その事実をここしばらくの戦いで露呈ろていしていた。

 ――ジェイ団長さえいらっしゃれば。

 その思いが湧き出るほど、ウォルターやレオナルドに対する怒りと不信の念はいや増していく。

 まして、ジェイがエンカウンの町を出て行ったのは当のレオナルドやウォルターが警護騎士の亡骸に無礼を働き、ジェイと副官のアステスを罪人扱いし、挙げ句の果てに功労者であるハリエットを追放したからなのだ。

 自分の愛する故郷を窮地きゅうちに追い込んだ国王きょうだいに対し、好意的でいられるはずもなかった。

 だからと言ってウォルターは文官の秘めたる怒りに気が付くこともなかったし、自ら反省することもなかった。

 「食い物がないなら町中からかき集めてこい! 意地汚い平民どものことだ。どこぞにこっそり隠しておるだろうよ」

 「それは……!」

 「やかましい! 我らは命懸けで平民どもを鬼部から守ってやっているのだ! その我らに食わせるのは当たり前だろうが!」

 かくして――。

 熊猛紅蓮隊による大規模な徴発ちょうはつ行為こういが行われることとなった。


 「熊猛紅蓮隊は何のつもりだ⁉ 強盗団にでもなったつもりか!」

 「連中はおれたちを守るために来たんじゃないのか⁉ そいつらがおれたちを苦しめてどうする!」

 町民からそんな声があがるのはもっともだった。

 突如として家という家に熊の記章を付けた兵士たちが押し寄せては屋根裏、地下室、壁のなか、ありとあらゆる場所を探してなけなしの保存食をもっていきはじめたのだから。

 「まってくれ! それはとっておきの非常食なんだ!」

 「お願いです、せめて子供たちの分だけは……」

 町民たちは必死にすがりついたが兵士たちはかまわない。鎧を着けた腕で払いのけ、吐き捨てる。

 「おれたちを誰だと思っている⁉ お前たちを守るために生命がけで戦う熊猛紅蓮隊だぞ! おれたちを食わせるのは当たり前だろうが。これぐらい、喜んで差し出せ」

 熊猛紅蓮隊を責めるのは酷というものだろう。かの人たちも腹を空かせており、食い物がなければ鬼部と戦って死ぬ前に飢え死にするという状態なのだから。

 奪われる方も地獄だったが、奪う方も地獄だった。

 すべての責は補給体制を整えなかった国王レオナルドと熊猛将軍ウォルターがうべきものだった。しかし、そのウォルターは戦場以外のことにはまったくの無能むのう無頓着むとんちゃくであり、国王レオナルドにしてもまったくの手詰まりと化していた。

 「各国に至急、伝令を送り、食糧を届けさせろ!」

 そう指示することはしたのだ。しかし――。

 「……すでに断られております」

 「なんだと⁉」

 あり得ない返答にレオナルドは怒りを露わにする。

 そんなことはあり得ない。いままで一度だってなかったではないか。

 スミクトル。

 オグル。

 ポリエバトル。

 その他の小国に至るまで、すべての国が自分の一言で喜んで従い、兵を送り、補給物資を届けに来ていたではないか。それがなぜ、いまになって……。

 「……ハリエットさまを追放するような国は信用ならない、と」

 「なんだと⁉」

 「各国との外交はハリエットさまが一手に担っておられたのです。各国の使節と会い、ときには自ら諸国に出向き、会談に会談を重ね、信頼関係を築き、同盟を強化していたのです。ハリエットさまがいてこそ、各国も陛下の要望に応じてきたのです。ですが、陛下はそのハリエットさまを追放された。そのことが各国の怒りを買い、信用をそこねたのです」

 レオナルドはしばしの間、呆然としていた。

 やがて、我に返るとたちまち怒りの飛沫が吹きあがった。

 「ええい、生意気なやつらめ! この獅子王に逆らったらどうなるか教えてやる! 各国にいま一度、伝令を出せ! 四の五の言わずにすぐに補給物資を送れ! さもないと鬼部どもの前にきさまらを血祭りにあげるぞ、とな!」

 廷臣は黙って頭をさげた。

 そんな脅しが効くはずがない。いかに強国レオンハルトと言えど、いまでは鬼部相手の戦いで手一杯。そんなことに兵を割く余裕などあるはずがない。そのことはどの国もわかっているのだから。

 しかし、わざわざこの国王に忠告する気にはならなかった。だから、黙って退出した。それは、国王とレオンハルト王国を見限るのと同じ行為だった。

 ドカッと、レオナルドはへたり込むようにして玉座に座り込んだ。

 「ガヴァン……。早く、早く鬼王を倒して戻ってこい」

 もはや、それだけがレオナルドのよりどころだった。


 エンカウンの状況は日に日に悪化していった。

 町民の怒りと不信感はいや増していき、そして、ついに――。

 「暴動だとおッ!」

 「は、はい……。食糧のりゃくだ……言え、徴発に怒った町民が騒ぎを起こしまして……」

 騒ぎ、と言うのはあまりにも控えめすぎる表現だったろう。それは鍬や鋤をもってのれっきとした反逆だったのだから。

 町民にしてみれば当たり前の反応だった。

 いくら自分たちを守って戦うためだと言われたところで、なけなしの食糧まで奪われたのでは鬼部に食われる前に飢え死にしてしまう。まして、鬼部襲撃による被害が一向に減らないとあっては。

 「鬼部の被害はまるで防げていないじゃないか! おれたちの食い物を奪うためにいる連中ならいない方がマシだ!」

 そんな怒りの炎が吹きあがるのは当然のことだった。

 結局、この暴動はウォルター自らが乗り出し、その多くをぶちのめして回ることでたちまちのうちに鎮圧された。しかし――。

 その拳で殴りつけられた町民たちのウォルターを睨む目を見れば、これから先、いくらでも同じことが起こるのは明白だった。

 一方ではエンカウンを見捨てて逃げ出そうとするものも続々と現れた。

 すでに多くがハリエットとジェイを追って町を出ていたが、残っていた人々もあとにつづこうとしはじめたのだ。

 国王レオナルドは残されたわずかな衛兵に命じて門という門を閉めさせた。日々の暮らしを支える仕事をこなす町民たちにいなくなられては、さすがに町を維持することはできない。

 「町民どもをひとりたりと町の外に逃がすな!」

 いまや、エンカウンの門は鬼部の侵入を防ぐためではなく、町民を逃がさないために閉められるようになっていた。

 門番として付けられた衛兵たちが小さくもない声で言い合っている。

 「おい! おれたちは一体、何をやってるんだ おれたちは鬼部から仲間を守るために衛兵になったはずだろ。それなのに、その仲間たちに槍を向けるなんて……」

 「そうだよ……。おれを見る皆の目が忘れられない。あんな目で見られるなんて」

 「仕方ないだろう! そう言う命令なんだから。おれたちは兵士だ。軍人なんだ。命令には従うしかない」

 「でも……」

 衛兵たちの間に沈黙が訪れる。

 やがて、誰かがポツリと言った。

 「ジェイ団長さえいてくれれば……」

 その一言が――。

 すべての衛兵の思いだった。


 そんななかにあってただひとつ、熊猛紅蓮隊の一部隊だけが略奪を行わなかった。

 略奪するよう命令は受けた。命令は受けたが従わなかった。形ばかり捜索したあと、『何もなかった』と報告した。

 もはや、徴発出来るものはすべて徴発し尽くした。もう徴発するものは何も残っていない、と。

 グウグウと音の鳴る腹を押さえながら必死に略奪を戒めているのはあの銅熊長どうゆうちょう、アーデルハイドが追放された際、アーデルハイドと約束を交わした銅熊長の部隊だった。

 「もう少しだ。もう少しの辛抱だ」

 銅熊長は音の鳴る腹を押さえながら必死に部下たちに言い続けた。

 「もう少しの辛抱なんだ。もうすぐアーデルハイドさまが食糧を運んできてくれる。そうしたら腹いっぱい食える。それまでの辛抱だ」

 「なんで、そんなことが言えるんです? アーデルハイドさまはもう追放された身じゃないですか」

 「アーデルハイドさまは約束してくれた。補給物資は必ず届けると。だから、必ず来る。それまで耐えるんだ」

 「それはいつのことです?」

 「もうすぐ、もうすぐだ」

 銅熊長は必死に繰り返す。

 それは何よりも自分自身に向けて言っている言葉なのだった。

 「もうすぐだ。もうすぐアーデルハイドさまが食いものを届けてくれる。それまで耐えるんだ」

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