二九章 おお、我らが女神!

 ガラガラと音を立てて馬車の群れが街道を走っている。

 その数、実に一〇〇台以上。どの馬車にも荷台いっぱいにかごが積まれている。そのなかには米、麦、パン、干し肉、干し魚、それに色とりどりの山のようなリンゴ、と、様々な食糧がこぼれるほどに積み込まれている。さらに、何十というたるに入れられた水と葡萄酒ぶどうしゅ

 鬼部おにべの襲来にさらされる最前線の町エンカウンへと食糧を届けようと奔走する馬車の群れだった。

 しかし、御者たちが必死の形相で馬を操っているのは一刻も早く届けなければとの思いからではない。

 かの人たち自身が襲撃されていたからだった。

 馬車の後ろから迫りくるのは子供ほどの背丈に角を生やした異形の集団。

 小鬼こおにの群れだった。

 鬼部の本隊が人間から食糧を奪い取るべく大陸各地に派遣している、言わば遊撃隊。エンカウンを襲っている鬼たちに比べれば体は小さく、力も弱い。しかし、その分、敏捷びんしょうで小回りが効く。

 言ってみれば獅子ししに対するひょう

 人間にとってはあるいは、本物の鬼以上にやっかいな敵かも知れなかった。

 小鬼の群れは本拠地などは一切もたず、大陸中を移動しては物資を運ぶ隊商を見つけ、襲撃する。目当てはもちろん、輸送中の食物……ではある。

 しかし、それがすべてではない。と言うより、輸送中の食物などはほんのおまけ。小鬼たちの本当の狙いは人間。食糧を運ぶ人間たちそのものこそが小鬼たちにとって本当の獲物であり、食糧なのだ。

 人間たちを襲い、食らう。

 それこそ、大陸中に派遣されている小鬼たちの本当の狙い。

 御者たちはそれを知っている。捕まれば生きたままむさぼり食われる。

 それを知るだけに必死に逃げる。逃げつづける。しかし――。

 「だめだな」

 最後尾の馬車に立ち、追撃してくる小鬼の群れを眺めていた巨漢の男はそう呟いた。

 悪漢あっかん集団しゅうだんうたくじら〟の首領、エイハブである。

 小鬼の群れは着実に距離をつめ、馬車に追いつこうとしている。御者たちがいくら必死に馬をあおっても、その距離は近づく一方。小鬼たちはジリジリと馬車の群れに迫りつつあった。

 とうてい逃げ切れない。

 だから、言った。

 『だめだな』と。

 もっとも、そんなことは小鬼の群れに発見されたときからわかっていたこと。実はすべての地上動物のなかで長距離移動にもっとも長けているのは人間なのだ。

 馬は一日、百キロ程度しか移動出来ないが、人間ならばその数倍。数百キロを移動出来る。馬が人間に勝るのはあくまでも短距離での速度と重い荷を引くことの出来る運搬力だけなのだ。追跡行となれば長距離になるほど人間が有利になる。ひたすら追い回すことで倒れるまで疲れさせることが可能なのだ。

 まして、いま追跡してくるのは小なりとは言え、鬼。獣よりも賢く、人間よりも速く、強い。肉食獣の速さと人間の追跡能力とを兼ね備えた地上最強最悪の捕食者なのだ。狙われて逃げ切れる動物などいるはずがない。

 「逃げ切れねえなら……」

 ニヤリ、と、エイハブは笑った。

 〝歌う鯨〟と称しながら、その獰猛どうもうな笑みはくじらを狙うしゃちのものだった。

 「ぶちのめすしかねえよなあ」

 内海に浮かぶ島に住まうだけあって愛用の獲物とするのは三つ叉に別れた巨大なもり。その銛を手にして仁王立ちとなった姿はまさに海神。荒れ狂う波と嵐を司る荒ぶる神そのものだった。

 「馬車を止めろ! 野郎ども、出てこい! あの小鬼どもをぶちのめすぞ」

 その声に――。

 響き渡ったのはむしろ歓声。

 今かいまかと待ちわびていたときがついに訪れたことへの喜びの声。

 その声と共に馬車のなかからばらばらと〝歌う鯨〟の誇る悪漢たちが地上に降り立つ。自分たちを食い尽くそうとやってくる小鬼の群れを相手に臆する表情を浮かべるものはひとりもいない。それどころか、自分こそが食ってやろうとばかりに舌なめずりし、手にした獲物を抱えあげる。

 それまで必死の形相で馬を煽っていた御者たちでさえ、その顔を忘れて勇猛果敢な戦士の顔となり、武器を手に降り立った。そのふてぶてしさはまさに『悪漢集団』と呼ぶにふさわしい。仲間とすればこんなに頼もしい人間たちはいないだろう。そして――。

 「かかれえいっ!」

 エイハブの叫びが響く。

 叫びと共に〝歌う鯨〟の猛者たちが突撃する。

 小鬼と悪漢。

 共に人を食い物にするふたつの生き物が真っ向からぶつかりあった。

 敏捷な小鬼たちが大地を蹴って跳びあがり、襲いかかる。

 人間の柔な肌を爪が引き裂き、獰猛な牙が喉と言わず、肩と言わず、食らいつけるところに食らいつく。たちまちまのうちに大地が赤く染まり、辺り一面に濃厚な血の匂いが立ちこめる。荒事と縁のない貴族の令嬢でもあればたちまちのうちに気を失ってしまうような惨劇がはじまった。

 もちろん、悪漢たちも黙ってやられたりはしない。爪で引き裂かれればその手足をつかんで振りまわし、地面に叩きつける。喉笛に食らいつかれれば太い腕で押さえつけ、短剣を突き刺す。悪漢たちの流した血の上に小鬼たちの流した血が積み重なる。

 一見すれば悪漢たちの方が絶対に有利だ。小鬼たちは武器ももたず、鎧も身につけてはいない。それどころか、衣服すら着ていない。全身、皮膚をむき出しにしている。

 姿形こそは人間と同じ二足歩行だが、その習性は獣そのもの。それに対して悪漢たちは革製とは言え鎧をまとい、剣や斧といった武器を手にしている。普通に考えれば装備に勝る悪漢たちの圧勝となるはずだった。しかし――。

 それは、相手が同じ人間ならばの話。相手は小なりとは言え鬼。人間よりもはるかに強い筋力と強靱きょうじんな生命力をもった人食いの怪物。振りおろされた剣を牙でくわえてかみ砕き、槍で刺されれば強靱な筋肉の束で押しとどめ、槍をへし折る。そして、相手に食らいつく。

 一度くらいつけばもうはなすことはない。肉を食いちぎり、かみ砕き、飲み干すまではなれはしない。

 それはまさに獣の獰猛さと人間の残酷さ、その双方の一番、悪いところだけを集め、凝縮したような姿。粗暴そぼうでがさつ、そして、単純。その分、勇猛で強靱な性根の持ち主である悪漢たちでさえ思わず目を背けたくなる姿だった。

 「てめえら、怯んでんじゃねえぞ!」

 その雰囲気を吹き飛ばすかのように首領エイハブのげきが飛ぶ。

 「やつらは人間じゃねえ! 人の姿の獣だ。これは戦いなんかじゃねえ、狩猟だ、狩りだ、理知的で文明的な戦争の作法なんざ通用しねえ、マジモンの食うか食われるかだ。気合い負けしたら食われるぞ!」

 おおおっ、と、エイハブの檄に悪漢たちが鬨の声をあげる。

 人生の裏街道に生息し、日の当たらない坂道を転げ落ちるようにして生きてきた悪漢たちだ。むしろ、その方がわかりやすい。首領の檄に奮い立ち、獰猛な小鬼たちの牙と爪に立ち向かう。馬車に残った後衛たちは次々に矢を射放ち、悪漢たちを援護する。

 そのなかにはカンナとリーザのふたりもいた。

 カンナが遠矢で次々と小鬼たちを射貫くのを見たリーザが感嘆の声をあげた。

 「やるねえ、あんた! まだ小さいのに大したもんだわ」

 「当たり前でしょ。あたしは生まれたときから〝歌う鯨〟の一員よ。戦い方は家事より先に仕込まれているんだから」

 「なるほどねえ」

 素直な自慢に『頼もしい』とばかりにリーザはうなずいた。

 カンナが笑いながらリーザに言った。

 「あなたこそ良い弓の腕してるじゃない。貧しい村の農婦だって聞いていたから武器なんて使えないと思ってた」

 「貧しい村の農婦だからこそ、よ」

 それが、リーザの答えだった。

 「農地なんて雀の涙。そこに出来るなけなしの作物を獣たちに食い荒らされたらたちまち飢えが広がる。かと言って、誰かに頼んで退治してもらうなんて出来ない。作物を食い荒らす獣が出たら自分たちで退治する。それが出来なきゃ生きていけないのよ」

 貧しい寒村て言うところはね。

 リーザは実感を込めてそう言った。

 なるほど。言われてみればリーザが使っているのは戦闘用の弓ではなく、狩猟用の弓である。必要に迫られて身につけた狩猟の腕、と言うわけだ。常に生命懸いのちがけの状況で培われた技術と集中力。なまじな軍隊経験者よりもよほど頼もしい。

 ふたりははじめて見るお互いの技量を称え合った。しかし、そこに隙が生まれた。一瞬、小鬼の群れから注意がそれた。そこへ、小鬼ならではの敏捷性を発揮して悪漢たちの群れを突破した小鬼の一体が襲いかかった。

 強靱な脚力にものをいわせて跳びあがり、馬車の屋根から弓を構えていたカンナに襲いかかる。

 「カンナ!」

 リーザの悲鳴が響いた。

 カンナが両目と口を大きく開き、襲い来る敵を見た。

 獰猛な爪と牙がきらめき、カンナを襲う。その寸前――。

 「シャアッ!」

 鋭い呼気と共に振るわれた白銀の一閃いっせんが小鬼を切り払い、地に打ち据えた。

 そこにいたのは神話に出てくるような美少年……でなく、剣士装束けんししょうぞくに身を包み、一振りのサーベルをもつ絶世の美女だった。

 「アーデルハイドさま!」

 カンナは自分を救ってくれた絶世の美女の名を叫んだ。

 その表情が喜びに輝いている。

 「あ、あんた、剣なんて使えたの?」

 驚いた、と言うより、呆気あっけにとられた様子でリーザが尋ねた。

 常に高貴で上品、絵に描いたような公爵令嬢。ナイフとフォークより重いものなどもったことがないかのようなかの人がまさか、武器を扱えるなんて。

 あまりの意外さにリーザは口をあんぐり開けてアーデルハイドを見ていた。

 アーデルハイドはこともなげに答えた。

 「貴族のたしなみとして、護身用ごしんようの剣術ぐらいは身につけているわ」

 「……嗜みとか、護身用とか、そんな程度には見えなかったけど」

 リーザは思わずそう漏らした。

 それぐらい、アーデルハイドの剣技は様になっていた。

 ――レオンハルト王国で五本の指に入る。

 そうたたええられたアンドレアには遠く及ばないにしても、その辺の騎士相手なら軽くあしらえる程度の技量は充分にあった。

 剣士装束に身を包んだ男装の美女の登場に悪漢たちは一斉に色めき立った。欲望に満ちた好色な視線がその肢体に注がれた。アーデルハイドは馬車の上にすっくと立つと剣を掲げ、その好色な視線に応えた。

 「わたしのこの体は、鬼部との戦いを戦い抜いた英雄のもの! わたしが欲しければ鬼部を殺し尽くし、生き残りなさい!」

 その宣言に――。

 悪漢たちは一斉に声をあげた。

 それを見たエイハブが思わず苦笑した。

 「やれやれ、大したもんだねえ、あの姉ちゃんは。貴族の令嬢なんぞにしとくのはもったいねえぜ」

 ――こりゃあ、おれも負けちゃいらえねえよなあ。

 ニヤリと笑うと陸の『真っ向鯨マッコウクジラ』は小鬼の群れに突撃した。

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