第三話 それぞれの道
一三章 挑戦者たちの旅立ち
シュヴァリエ伯爵令嬢アンドレア。
エドウィン伯爵令嬢アーデルハイド。
そして、ヒーリー男爵令嬢ハリエット。
国王から婚約破棄を通告され、国外追放された三人の令嬢――いや、婚約破棄された上に家名を取りつぶされ、一介の平民へと落とされた以上、もはや『令嬢』とは言えない。元令嬢だ。
その三人の元令嬢たちはいま、必要最低限の身の回りの品だけをもってエンカウンの町の門へと集まっていた。いまから一両日中には国境を越えて別の国へ入るか、あるいは、どの国の領地にもなっていない荒野をさ迷うかしなくてはならない。
国王レオナルドの命令はすでに早馬を通じて国内中に通達されている。曰く――。
『シュヴァリエ伯爵令嬢アンドレア。
エドウィン伯爵令嬢アーデルハイド。
ヒーリー男爵令嬢ハリエット。
以上三名、一両日中を越えてレオンハルト国内に滞在していた場合、反逆者として即刻、捕え、処刑すべし。一切の審議及び、裁判は無用である』
似顔絵入りのその手配書が国内のありとあらゆる町と関所に送られたのだ。もはや、三人の元令嬢たちは紛う方なき罪人だった。
考えてみれば、奇妙な話ではある。かの人たちはすでに追放された身。つまり、すでにレオンハルト王国の民ではない。レオンハルト王国の民ではないのだからレオンハルトの法が適用されるはずもなく、『反逆者』呼ばわりされる筋合いなどすでにない。そのはずだった。とは言え――。
そんな理屈の通るはずがない。
レオンハルトは絶対王政の国であり、国王の言葉こそが法であり、正義なのだから。
国王が『そうすべし』と宣言すれば、それが何であれ、正当になるのだ。
お目こぼしは期待できない。
もし、一両日中を過ぎて国内に滞在しているところを見つかれば、即座にその命令は執行され、この世から追放されることになる。
どんな理由で反逆者扱いされているのか、そこにどんな事情があったのか。
そんなことは一介の領主や関所の番人の関与するところではない。
かの人たちの役目はただひたすらに法令を守り、執行し、背くものを処罰すること。ただ、それだけ。その役割を果たせなければ自分こそが反逆者として処刑される。
それこそが獅子王レオナルドが作りあげた法治主義の権化ともいうべき国家制度。そこにおいて人々は人間ではなく、法令を遵守させるための道具としてのみ存在するのだ。
だからこそ、定められた期限内に国を出なければならない。そうでなければ何をどう主張しようと、そんなことには一切かまわず、問答無用で処刑されてしまう。
三人の元令嬢のまわりには大勢の人が集まっていた。
と言っても、王都から連れてこられた貴族や名士、町の有力者などはひとりもいない。
当たり前だ。
国王の不興を買って国外追放された『罪人』などに誰が近づこうというのか。下手に関わって国王に睨まれたら自分まで反逆者扱いされかねない。これまでいかに名家の令嬢と言うことで近づき、歓心を買おうとしてきたとしても、そんなことはすっかり忘れ、無関係を装う。それこそが『貴族の保身術』というものだった。
集まっていたのはエンカウンの警護騎士団、
三人の元令嬢たちを囲む人々は口々に不満をぶちまけている。その表情はまさに『憤懣やるかたない』と言ったもので、普通ならば不敬罪で捕えられるところだ。
あいにく、取り締まる側である警護騎士団の面々も同じ表情で、同じように不満をぶちまけているので、誰も捕えるものがいない。言いたい放題、言えるわけだ。
元々、エンカウンの町は領主でもある騎士団長ジェイのもと、自由闊達な空気が作られてきた。平民は言いたいことを言い、騎士団はその声を聞いて正すべきところは正す。平民の側がまちがっていると判断すればその理由を説明し、納得させる。そんな在り方だった。それだけに、国王たちに対する批判は容赦のないものとなっていた。地面を踏みならし、怒りを露わにし、不満をぶちまける。
「なんで、あなたたちが追放されなきゃならないんです⁉ あなたたちはおれたちのために怒ってくれたんじゃないですか!」
「そうですよ、まちがってるのは国王たちの方です!」
「そうとも。女たちも必死に戦ったからこそこのエンカウンの町を守り抜けたんじゃないか。それなのに、そのことで罰するなんてどうかしてるよ」
「あいつらは自分たちだけで
「そうとも! やつらは最後の最後にやってきて残った敵を片付けただけじゃないか!」
「それなのにやつらは、戦って死んでいったおれたちの仲間の死体を踏みにじったんだ。そんなことが許せるか!」
「そうとも、許せるもんか! そのことに抗議した団長や副団長を処罰しようとして、かばってくれたアンドレアさまたちまで国外追放なんて……」
警護騎士団も、町の人々も、みんな、どうしようもない悔しさを表情と口調とににじませている。いくら不満に思ったところで相手は国王。実際には何もできないことはわかっている。抗議などしようものなら自分こそが反逆者として捕えられ、家族に至るまで処刑されてしまう。そのことがわかっているからこそよけいに悔しく、腹立たしい。
「ヒーリー男爵令嬢」
領主であり、騎士団の団長であるジェイが口を開いた。
この場にはジェイとその副官であるアステスもいた。もし、一連の騒ぎで良かったことがあるとすればそれはただひとつ。ジェイとアステスの処罰がうやむやになってしまったことだ。
婚約者たちからの反逆がよほど腹立たしかったのだろう。法令遵守にかけてはまさに鬼の厳しさの国王レオナルドが、ジェイやアステスのことをすっかり忘れ、処分を下さなかったのだ。
正式に処罰が決定されることはなかったので、いまでもジェイはエンカウンの領主嫌騎士団長であり、アステスはその副官である。
とは言え、国王レオナルドが鎮座し、
ジェイは騎士の礼を取りつつ三人の元令嬢に告げた。
「申し訳ありません。あなた方は我々のために国王に抗議してくださったと言うのに、このような結果になってしまって。騎士として
「団長が悪いんじゃありません!」
叫んだのはアステスである。紅顔の美少年という言葉そのままの愛らしい顔立ちを、怒りのあまり真っ赤に染めて、叫んでいた。
「悪いのは国王たちです! 町を守るために必要なことをした団長を反逆者呼ばわりしたり、そのことに抗議してくださった方たちを追放するなんて……どうかしている!」
腹が立って、腹が立って、仕方がない。
アステスは若々しい顔にそんな表情を浮かべ、地面をメチャクチャに蹴りつけている。ジェイの許しさえあればこのまま全騎士団を率いて国王の下に突入し、首を取ろうとしかねない。それぐらい、怒り心頭に発している。
三人の元令嬢たちを代表するかのような形でヒーリー男爵令嬢ハリエットが口を開いた。その場にいる全員に頭をさげた。
「皆さん、ありがとうございます。わたしたちのために怒ってくださること、とても嬉しく思います。ですが、これはやはり、わたしの責任です。
『誰に認められなくても自分の役割を果たせればそれでいい』
そう思い、裏方仕事に徹してきました。ですが、そのために陛下や将軍閣下、勇者さまの勇者至上主義を強めてしまい、それ以外に目が行き届かなくしてしまいました。
わたしはもっと自分の役割を強調し、その価値を認めさせるべきだったのです。わたしがそれを怠ったばかりに、あなたたちに多大な迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳ありません。心よりお詫びします」
ハリエットはそう言うと、改めて深々と頭をさげた。
その態度に、集まった人々も声を失った。戸惑い、互いの顔を見合わせる。
もとより、集まった人々の怒りの対象は国王たちであってハリエットではない。ハリエットに対しては感謝し、同情しこそすれ、怒る理由などない。そのハリエットからこうも丁重に謝罪され、どう答えればいいのかわからないという様子だった。
「あなたたちの気遣いは嬉しい」
今度はシュヴァリエ伯爵令嬢アンドレアが口を開いた。いかにも『騎士』と言った様子の力強い視線で人々を見回す。
「しかし、わたしにとってはこれはむしろ好都合だ。わたしは元々、人々を守るために剣を振るう騎士であり、国王の婚約者などと言う柄ではなかった。婚約を破棄され、追放されたことでようやく一介の騎士に戻ることができた。これからは騎士として、人々を守っていく所存。そして必ず、女を家庭に閉じ込めておくことはまちがいなのだとレオナルドに認めさせる」
いましばらくの辛抱だ。それまで耐えてくれ。
アンドレアはそう宣言すると門を出て行った。堂々と力強く、胸を張り、己の腕とただ一本の剣のみを頼りにして。
それは決して国から追放された犯罪者の姿ではなかった。自分ひとりの力で生きていく勝利者の姿だった。
それまでただひとり、無言のまま、ひっそりと佇んでいたエドウィン伯爵令嬢アーデルハイドが熊猛紅蓮隊の騎士たちに近づいた。
「……アーデルハイドさま」
集まったなかではもっとも位の高い、
それでも、このアーデルハイドこそが戦場以外のことにはまったく興味を示さないウォルターにかわり、熊猛騎士団の補給を一手に引き受けていたことは知っている。そのアーデルハイドが追放されたとなればやはり、心に思うものはある。
「銅熊長」
アーデルハイドは静かに言った。
婚約破棄され、追放されたいまとなっても『人類最高』と呼ばれるその美貌はいささかも曇ってはいない。それどころか、この苦境にあって決意を固めたためかより一層、輝いて見えた。
口調もまたその美貌にふさわしい、澄み切った高貴なもので、声をかけらた騎士はその威に打たれて、ごく自然に騎士の礼を取っていた。
「……はっ」
「これが今後の熊猛紅蓮隊に対する補給目録です。ご確認ください」
「これは……」
騎士は目録に目を通した。
すぐに戸惑いの声をあげた。
足りない。まったく、足りない。
水も、食料も、医薬品も、熊猛紅蓮隊の規模からすればとても充分なものとは言えなかった。と言って、いまこの場でアーデルハイドに抗議することもできない。追放された身であるアーデルハイドはすでに補給の責任者ではないのだ。
アーデルハイドは騎士の思いを汲み取り、先に答えた。
「ええ、その通りです。これではとても充分な量の補給とは言えません。鬼部による補給線への攻撃が激しさを増すなかで、物資の補給はますます難しくなっています」
「……はい」
「ですが、不足分は必ずわたしが手配します」
「あなたが……?」
言われて騎士は戸惑いの表情を浮かべた。
――そうは言っても、あなたはもう伯爵令嬢ではない。犯罪者として追放された無一文の身の上ではないか。どうやって、我々が必要とする物資を手配すると言うのか。
表情がそう語っていた。さすがに面と向かってそう言う訳には行かなかったが。
騎士のそんな思いを汲み取り、アーデルハイドはうなずいた。
「たしかに、わたしはすでに追放された身。もはや、伯爵家の人間などではなく、何の力も、財産すらもない身です。ですが、わたしにはまだひとつだけ、財産と言えるものがあります」
「ひとつだけ?」
それが何を意味するのか騎士にはわからなかった。ただただ戸惑いの声をあげるだけだった。
「わたしを信じてまっていてください。必ず、補給は届けます。ですから、町の人たちから略奪するような真似だけはなさらぬよう。わたしの最後の願いです。聞き届けてくださいますか?」
騎士は最上級の礼を取った。
もとより、騎士としての実績を買われて熊猛騎士団へと招かれた身。若き婦人からこれほどの決意を込めて語られれば裏切ることはできない。騎士の誇りを込めて答えた。
「はい。熊猛紅蓮隊の誇りに駆けて二度と町の人々に迷惑をかけぬ事を誓います」
銅熊長は熊猛紅蓮隊の位階で言えばまだまだ下の方で、将軍であるウォルターとはまともに口を効くことも出来ない立場である。しかし、だからこそ、大部分を占める下級の騎士たちを直接、監督する立場にある。その銅熊長が誓ってくれたことはアーデルハイドにとって安心できることだった。
アーデルハイドはドレスの裾を軽く持ち上げるカーテシーで騎士に報いた。そして、ひとり、門を出て行った。馬一頭、支給されることなく徒歩での旅路。伯爵令嬢として子供の頃からどこに行くにも豪華な馬車を使ってきたアーデルハイドがいまや、自分の足で歩いての旅を余儀なくされているのだ。
しかし、堂々と胸を張るその姿には悲壮感など欠片もない。むしろ、ひとりで荒波に立ち向かおうとする気高さに満ちていた。その姿を見れば誰であれ、その誇り高い精神に打たれ、礼をとらずはにはいられなかっただろう。
最後に残されたヒーリー男爵令嬢ハリエットは改めて騎士団の面々に向き直った。小さな袋を手渡した。
「これがわたしに残された全財産です。わずかですか、これからのあなた方のために活用してください」
「……ヒーリー男爵令嬢。あなたはこれからどうなさるのです?」
「国を作ろうと思います」
「国?」
「いえ、国と言うのはおこがましいですね。町、村、人の集まり。呼び名はどうでも新しい場所を作るつもりです。勇者ばかりが褒めそやされるのではない、日々、人目に触れることなく己の役割を忠実に実行する、そんな人たちこそが報われる場所。そんな場所を作るつもりです」
そう言ってからやはり、カーテシーを披露する。
「それでは、失礼します。どうか、このエンカウンの町をお守りください。このエンカウンの町は人類世界を守る最大の砦。もし、この町が陥落するようなことがあれば人類世界全体が存亡の危機にさらされます。人類世界の安否はあなた方の手にかかっているのです」
たったひとりの勇者などではなく。
ハリエットはそう付け加えることを忘れなかった。
「どうか、よろしくお願いします」
改めてそう言うと、ハリエットは門から出て行った。
残された人々はしばしの間、無言だった。
最初に行動を起こしたのはジェイだった。ジェイは自らの胸にある記章を引きちぎると、地面に投げ捨てたのだ
「団長⁉」
悲鳴にも似たアステスの叫びが響く。
ジェイははっきりと口にした。
「おれは騎士だ。騎士とは主に忠誠を誓い、主の命のままに戦う存在。だが、騎士は奴隷ではない。忠誠を尽くす相手は自ら選ぶ権利がある。では、おれたちが忠誠を尽くすにふさわしい相手は誰だ? 自分たちだけで世界を救えると思っている国王たちか? それとも、おれたちのことを気にかけてくれたヒーリー男爵令嬢か?」
集まっていた誰もがジェイのその言葉に聞き入っていた。
「おれはいまより、エンカウンの領主としての地位も、騎士団長としての立場も捨てる! おれはいまよりヒーリー男爵令嬢ハリエットの騎士! かの人に忠誠を誓い、かの人と共に戦う!」
ジェイはそう宣言すると、ハリエットの後を追って歩きだした。
その後からは無数の足音が続いていた。
アステスが、騎士たちが、そして、市井の人たちが、ジェイの後を追って歩いてきていた。
「なぜ、ついてくる?」
ジェイは尋ねた。
答えは断固としていた。
「自分はジェイ団長の副官。それだけです」
「我々はジェイ団長の部下です」
「あたしらが信用して頼りにしているのはあんただよ。いきなりやってきた国王さまだの、勇者さまだのじゃなくてね。あんたが行くならどこにでもいくさ」
皆、晴れがましい笑顔を浮かべてジェイのあとを着いてくる。
「ふ、泣かせてくれるな。では、誓おう! 我らはこれよりヒーリー男爵令嬢の民として、あの方と共に国を作る!」
「おおっ!」
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