一二章 そして、はじまりの刻

 戦勝記念式場。

 エンカウン領主館のホールを改造して急遽、設けられたその会場には、豪奢な玉座が運び込まれ、国王レオナルドが鎮座ましましている。その左右には弟であり、最有力の家臣である熊猛ゆうもう将軍ウォルターと熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいの副将たち。それに、勇者ガヴァンと聖女フィオナ、魔女スヴェトラーナとが並んでいる。

 その場にはエンカウンのみならず、王都から連れてこられた名士たちが立ち並び、やはり、王都から連れてこられた楽隊たちが豪奢な音楽を奏でている。

 その豪奢な音楽の調べに乗って華麗に着飾った名士たちと令嬢たちが手を取り合い、優雅なダンスに興じる。

 そんな華やかな場においてしかし、本来であれば町を守った英雄として讃えられるべきふたりの騎士、騎士団長ジェイと副団長アステスは罪人として引き立てられ、審判のときをまっていた。国王レオナルドの御前に膝をつき、こうべを垂れている。

 たとえ、罪人であろうとも、このような晴れやかな場に置いて審判の場を設ける必要などない。それを、あえてそうしたのは、名士たちの前でふたりの首を刎ねることにより見せしめとし、自身の発した法令の徹底遵守を確固たるものにしようとのレオナルドの思惑からだった。

 「騎士団長ジェイ。副団長アステス」

 楽団の奏でる豪奢な音楽に乗って国王レオナルドの声が響く。

 会場中に響きわたる音楽にかき消されることなく、堂々たる威厳をもった声を放つあたりはさすがに『獅子王』と呼ばれる人物だけのことはあった。

 獅子王はふたりの騎士を睨みながら重々しい声でつづける。

 「すべての法令は国家を国家たらしめる礎であり、何人たりとも侵すベからざるもの。これを侵すことは即ち大逆である。そのこと、承知しておるな?」

 「……はっ」

 「にもかかわらず! おぬしは余自らが発令した『子沢山の法令』を無視し、家庭にあって子を産み、育てることに専念すべき女たちを戦場に立たせ、国家の礎をないがしろにした! そのこと、相違ないな?」

 「御意」

 「余が『子沢山の法令』を発したのは、鬼部おにべとの戦いのつづくこの時代において、ひとりでも多くの子を成し、育て、戦力とすることで人類の勝利を確かなものとするためである。にもかかわらず、その方は『子沢山の法令』を無視し、産まれるべき子供の数を減らした。それは、人類の数を減らし、鬼部を優位たらしめる重大な利敵行為。人類と世界の未来を奪う裏切り行為である! その罪は万死に値する!」

 「申し上げます、陛下!」

 それまで我慢に我慢を重ねて小さくなっていたアステスがついに爆発した。相手は国王。怒らせていい相手ではないことは承知している。しかし、身命を削って町を防衛した英雄がこのような扱いを受けるなど、理不尽にもほどがあるではないか。

 「法令とは人がより良く生きるための手段に過ぎないはず! 人を犠牲にしてまで守る価値がどこにありましょう。このエンカウンの町は鬼部との戦いの最前線であり、常に激しい戦いにさらされております。そのなかで町を守り、ひいては人類世界そのものを防衛するためには男女の別なく全員が団結し、戦い抜く必要があったのです。『子沢山の法令』を遵守して女たちを家庭に閉じ込めておけば戦力が足りず、エンカウンは鬼部に制圧されていたことでしょう。そうなれば人類世界そのものが重大なる危機にさらされておりました。騎士団長が女たちを戦力として活用したのはそれを防ぐための英断。騎士団長にいかなる罪がありましょうか」

 「きさま。余の判断が間違っていると申すか」

 レオナルドはそう口にしようとした。

 だが、その前に鋭い叱責の声が飛んだ。

 「アステス! 国王陛下に対したてまつり無礼であろう、控えよ!」

 「しかし、団長……!」

 アステスは食い下がった。しかし、ジェイに睨まれ、渋々、非礼を詫びてうつむいた。顔をさげたのは恐れ入ったためではない。悔しさに満ちた表情を見せないためだった。

 ジェイとしてはアステスに感謝してはいても叱責せざるを得ない。そうでなければ国王の断罪の刃が降りかかることは明白だった。国王に断罪の言葉を放たせる前に自ら叱責してみせる必要があったのだ。

 その辺りの事情はアステスにもむろん、わかる。だからこそ黙った。国王に対する礼儀云々ではなく、あくまでも敬愛する上司の思いを汲んでのことだった。

 「……ふん」

 レオナルドが忌々しそうに鼻を鳴らした。

 レオナルドからしてみればふたりのやりとりなど見え透いた茶番劇に過ぎない。しかし、形としては国王に対する無礼を叱責したものなのだから、そのことを責めるわけにもいかない。レオナルドとしては責めるべき機を失ってしまった。

 「……まあよい。さて、ジェイ。その方は我が法令を無視し、女たちを戦わせた。その罪、認めるか?」

 「御意」

 ジェイは短く答えてからつづけた。

 「私が陛下の発せられた法令を無視し、女たちを戦わせたのは事実。その罪に対する罰はいかなるものであれ受けましょう。ですが、ひとつだけ、申し上げたき議がございます」

 「なに?」

 なんだ、言って見ろ。

 レオナルドは視線でそう促した。ジェイは苛烈なまでの光を両目に宿して国王とウォルター、それに、ガヴァンを睨み付けた。そして、視線に劣らない苛烈な口調で叫んだ。

 「国王レオナルド陛下、熊猛将軍ウォルター閣下、そして、勇者ガヴァンどの。あなた方に謝罪していただく!」

 「なんだと⁉」

 「謝罪だと⁉」

 国王の左右に控えるふたりの弟、熊猛将軍ウォルターと勇者ガヴァンが同時に叫んだ。ふたりにしばし遅れて国王レオナルドも声をあげた。

 「謝罪だと? ふざけたことを申すな! なぜ、余らがその方に詫びねばならぬ⁉」

 「私ではない! あなた方が詫びるのは町を守るために戦い、死んでいった騎士たちに対してだ!」

 「なに?」

 ジェイはもはや立ちあがっていた。臣下を大切に思わぬ王に尽くす礼などない。その意思を込めて傲然と胸を張り、国王三兄弟を睨み付ける。

 「熊猛将軍ウォルター閣下、勇者ガヴァンどの。我が騎士団員たちはたしかに力という点ではあなた方に及ばない。しかし、この町を、ひいては人類世界そのものを守るために戦い、命を散らした英雄であることはまちがいない。その英雄たちの遺体に対し、あなた方は何をした? 軍靴によって踏みつぶしたのだ! その非礼を見過ごすわけには行かぬ。我が身がどうなろうとその非礼だけは詫びていただく!」

 「なんだと⁉ 国王である余に対し、臣下に向かって詫びろと申すか!」

 「臣下への敬意なくして何が王か!」

 そう叫んだのはアステスだった。

 紅顔の美少年と呼ばれそうな愛らしい顔いっぱいに怒りと義憤をたぎらせて国王レオナルドを睨み付ける。その顔立ちからは想像もつかないするどい弾劾の言葉が飛び出した。

 「あなたがそうして玉座に座っていられるのも無数の臣下の働きあってこそ! そも、国王とは国民の安寧を守るべき義務と責任を負う身であり、その代償として数々の特権を有している。それなのに、臣下に対する義務も、責任も、敬意すらも放り出して特権のみを振りかざすとは、国王陛下は何を勘違いされたか!」

 「きさま……」

 レオナルドの瞳に隠しようのない怒りが満ちた。

 ジェイがなぜ、自分のことを叱責しておきながら、国王たちを糾弾したのか。

 アステスにはその理由はわかっていた。ジェイは自分ひとりで罪をかぶり、あとのことはアステスに託すつもりだったのだ。

 死んでいった騎士たちの名誉と尊厳を守るために。

 いま、生きて残っている人々の生命を守りつづけるために。

 アステスにはそのことが痛いほどにわかっていた。わかっていたからこそ黙っているわけには行かなかった。

 ――団長ひとりを死なせはしません! 私はあくまでも団長と共に……。

 国王レオナルドを睨み付ける横顔にはっきりとそう記されている。今度はジェイが黙る番だった。この覚悟を前にしては何も言うことは出来なかった。

 「……まったく、馬鹿なやつが」

 「団長の補佐ですから」

 ジェイの呟きに――。

 アステスはにこやかな笑みで答えた。

 もし、これがお行儀の良い宮廷小説の世界ででもあればハッピーエンドも有り得ただろう。臣下の苛烈な弾劾に国王が恥じ入り、深く反省する。そんな展開も有り得たかも知れない。しかし、あいにくとこの場は宮廷小説の世界ではなかった。お行儀の良い世界でもなかった。

 だから、そんなハッピーエンドが訪れるはずもなかった。国王レオナルドは恥じ入ったためではなく、怒りのために真っ赤になり、玉座を蹴倒すようにして立ちあがった。

 「きさまらを……!」

 処刑する!

 その一言を発しようとした。

 それを阻んだのは新しい声だった。

 「その通り!」

 会場中にその声が響いた。

 女性のものとしてはやや低く、凜とした声。しかし、たしかに若い女性の声。会場中の視線が声の主に集中した。そこにいたのは真っ白な死装束に身を固めた国王レオナルドの婚約者、シュヴァリエ伯爵令嬢アンドレアその人だった。

 アンドレアは目には怒りを、表情には断固たる決意をたぎらせ、国王レオナルドの前に進み出た。ジェイとアステスのふたりをかばうようにその前に立つと、レオナルドに向かって宣告した。

 「騎士団長ジェイ、副団長アステス。このふたりこそはエンカウンの町を鬼部の襲撃から守り抜いた希有なる英雄。エンカウンが陥とされていれば人類は最大の防衛拠点を失い、窮地に立たされていた。それを救ってくれたふたりは紛れもなく我ら全員の恩人。その恩人を法令違反の角で処罰しようなど、恩を知らぬケダモノにも劣る所業。かかる愚行を放置してはおけぬ! このふたりを処罰すると言うならこの首を刎ねてからにしていただこう!」

 「なんだと……?」

 「わたくしからも申し上げます」

 その言葉と共に今度は清楚だが高級なドレスに身を包んだ絶世の美女が現れた。

 「アーデルハイド!」

 熊猛将軍ウォルターが驚きの声をあげた。それはかの人の婚約者であるエドウィン伯爵令嬢アーデルハイドだった。

 「国王陛下。熊猛将軍ウォルターさま。あなた方は恥をお知りになるべきです」

 「なんだと⁉」

 「これをご覧ください。町の人々から出された被害届です。あなた方がこのエンカウンの町に入城してわずか数日。そのわずか数日の間にこれだけの数の略奪・暴行が熊猛紅蓮隊の騎士たちによって行われているのです」

 「馬鹿な⁉ 熊猛紅蓮隊は我が配下、人類を守る最強の精鋭軍だ! 酒に酔って喧嘩することはあっても民間人相手に略奪など働くはずがない!」

 ウォルターはそう叫んだ。

 自分や仲間の保身のため、と言うわけではなく、本心からそう信じているようだった。

 ――戦場以外のことは何も見えないこの方らしい。

 アーデルハイドはそう思った。未来の夫である人物を見る目はむしろ悲しみに満ちていた。

 「事実です、ウォルターさま。すべてはあなたの、そして、国王陛下。あなた様の方針のせい。強き者だけを優遇し、戦場ばかりを重視する。その方針が飢えた獣たちを生み出しているのです。自らの名を貶めたくないならいますぐ、この現実を直視し、態度を改めなさいませ」

 「きさま……」

 ウォルターは憎悪に満ちた目でアーデルハイドを見た。

 元々、アーデルハイドのことは疎んじていた。兄である国王の命令によって仕方なく婚約したとは言え、かの人はお高くとまった貴族の娘など大嫌いなのだ。

 その大嫌いな貴族の娘に、しかも、名士たちの集うこの場でこうも堂々と弾劾された。ウォルターにとっては目もくらむほどの屈辱だった。

 しかし、この一連の事態が国王たち三兄弟にとって災厄だと言うのなら、それはまだ終わっていなかった。いや、最大の災厄はここからやってきたのだ。

 ガシャガシャという耳障りな音がした。金属と金属がこすれて立てる不快な音だった。戦勝記念式場の華やかな場にはあまりにも似つかわしくないその音に会場中の視線が集中する。その先にいたのは両手いっぱいに金属の塊を抱えた愛らしい女性、ヒーリー男爵令嬢ハリエットだった。

 「ハル⁉」

 勇者ガヴァンが仰天して叫んだ。

 「なんのつもりです⁉」

 「この晴れがましい場にそのような鉄くずを持ち込むとは……正気を失ったか⁉」

 ガヴァンの左右に控える聖女フィオナと魔女スヴェトラーナも口々に叫ぶ。

 ハリエットはふたりを睨み付けると両手いっぱいに抱え込んだ鉄の塊を床に落とした。ガチャンガチャンと不快な音が響き、その場にいた名士たちが顔をしかめた。

 ハリエットは一同を睨み付けたまま答えた。

 「鉄くず。そう、これは単なる鉄くずです。魔力のひとつも付与されていない単なる鉄の塊の鎧であり、兜。しかし、これこそがこのエンカウンの騎士たちが着用している装備。国王陛下、熊猛将軍閣下、勇者さま。あなた方は自らの国の国民にこのような粗末な装備しか与えず、死地に立たせているのですよ。恥をお知りなさい!」

 「な、なんだと……⁉」

 「すべては勇者ばかりを優遇し、世界を守るために日々、戦いつづける名も無き英雄たちをないがしろにする故。勇者一行の装備品に注ぎ込む予算の一部を回すだけで一般兵の装備もずっと充実したものにできる。そうすれば死者の数も減り、国の安全も守れるというのに……。これをご覧なさい!」

 ハリエットは叫びと共に分厚い文書の束を国王の胸に叩きつけた。

 国王相手にあり得ベからざる非礼であり、即刻、処刑台に送り込まれても仕方のない態度ではあった。

 しかし、この場にいる誰もがその雰囲気に圧倒されてしまい、そんなことには気が付かなかった。

 「な、なんだ、これは……」

 国王レオナルドでさえ普段の冷厳さを忘れ、うろたえた様子だった。

 ハリエットは毅然としてつづけた。

 「勇者一行の装備品の開発を行う研究班。その研究班による汚職の証拠です」

 ヒイッ、と、王都からこの場に連れてこられていた研究班の長が悲鳴をあげた。

 「研究班は『鬼部との戦いのため』という名目で無制限に予算を使えることをいいことにそのほとんどを着服し、私腹を肥やしているのです! 王都に広大な邸宅を構え、そこに何人もの情婦を住まわせ、日々、贅沢三昧! それでいて、肝心の装備品開発にはろくな成果もなく、この五年間で開発した新装備はわずか七つ! 装備品開発に使われる予算も、そのすべては国民の汗の結晶である税金。その税金を着服し、私腹を肥やす研究班には厳正な処分を下し、装備品の公正なる分配を行うよう要求します!」

 「で、でたらめだ、騙されてはなりませんぞ、陛下! 我々、研究班は日々、全力で新装備の開発に取り組んでおります。着服したり、私腹を肥やしたりなどは断じて……」

 「もうよい」

 国王レオナルドが静かに言った。

 騎士団長ジェイ。

 副団長アステス。

 シュヴァリエ伯爵令嬢アンドレア。

 エドウィン伯爵令嬢アーデルハイド。

 そして、ヒーリー男爵令嬢ハリエット。

 静かな、しかし、深い怒りをたたえた目で自分たちを見据える五人を前にしかし、いささかも怯むことなく国王レオナルドは告げた。

 「ヒーリー男爵令嬢ハリエット!

 エドウィン伯爵令嬢アーデルハイド!

 シュヴァリエ伯爵令嬢アンドレア!

 いまこの場でその方たちとの婚約を破棄し、追放を申しつける!」

 そう叫び、その場を凍り付かせて置いてからレオナルドはさらにつづけた。

 「その方らの行い、紛う方なき国家と国王に対する反逆である! 本来ならばこの場で即刻、処刑するところなれど、その方たちの父祖は我が国に多大な貢献を成してきた重鎮。また、その方たちも我らの婚約者であったことはまちがいない。その事実に免じ、生命だけは助けてやろう。その方らとの婚約の一切を破棄した上で、家名を取りつぶし、国外追放を申しつける。言っておくが、余の慈悲もここまでだ。もし、明日までその方らがこの国に残っていれば、そのときは容赦なく処刑する。生命が惜しくば今日中にこの国を出て行くがいい!」

 きらびやかにして豪奢なる戦勝記念式典会場。

 その場に国王レオナルドの断罪の言葉が響く。

 そして、運命の刻は動きはじめる。


             第二話完。

             第三話につづく。

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