一四章 国王と弟たち

 「しかし、兄貴。よく思いきったな」

 「ああ。おれもいままでよく我慢したものだと思う。まったく、何事につけ小言ばかり言う口うるさい女だったからな」

 あの女におれの子供を産ませられなかったのは残念だったがな。

 レオンハルト王国国王レオナルドはそう言って笑って見せた。

 エンカウンの町の領主館。

 その執務室。

 かつて、領主であり騎士団長であるジェイが副官のアステスや参謀、内政官たちと共に町のためにと政務を取り仕切り、軍略を練りあげてきたその場所でいま、国王レオナルドと弟である勇者ガヴァンは酒を酌み交わしながら雑談にふけっていた。

 話題は婚約破棄を突きつけた三人の令嬢についてである。

 「まったく。おれをかばって戦死した父親の功に報いるために将来の妃として指名してやったというのに、感謝ひとつせずに諫言ばかりを繰り返すとは。いったい、何を勘違いしたのやら」

 「口うるささに辟易へきえきしていたのは兄貴だけじゃないさ。おれだってそうだ。まったく、ハルのやつ、剣も魔法も使えない役立たずのくせに態度だけは一人前だったからな。せいせいしたよ。あのお荷物がいなくなれば、おれたち勇者パーティーは無敵だ。鬼王きおうなんざすぐにでも討ち取ってやるさ。もっとも……」

 おかしくておかしくてならない、という感じでガヴァンは苦笑した。

 「一番、喜んでいるのはウォルター兄貴だろうな。この婚約についてはいつもグチグチ言っていたからな」

 「だろうな。おれがいくら言っても頑として納得しなかったからな。最後には結局、『国王命令だ!』と宣言して承知させたが……そう言えば、ウォルターはどうしたんだ? 姿を見ないが」

 「ウォルター兄貴なら王都にすっ飛んで帰ったぜ。愛しのイーディスに報告にな」

 「報告?」

 「ああ。『兄者がアーデルハイドとの婚約を破棄した。これで晴れてお前と結婚できるぞ!』ってな」

 「やれやれ。ウォルターの貴族嫌いも困ったものだ」

 レオナルドはそう言って苦笑した。

 『獅子王』の異名で知られ、苛烈な内政手腕によって憎まれてさえいるレオナルドである。そのレオナルドでもこんな表情を見せることがあるのか。市井の人々が見ればそう思うぐらい人間味のある笑みだった。『困ったものだ』という言い方にも抜きがたい肉親の情がにじみ出ている。

 過酷さで知られる獅子王も、兄弟同士の雑談の場では単なる良い兄貴だった。

 ガヴァンは懐かしそうにうなずいた。

 「まったくだよな。婚約が決められたときはおれもさんざん愚痴を聞かされて大変だったよ。何しろ、毎晩まいばん酒樽かついでやってきては朝まで飲んだくれて愚痴三昧だ。さすがにあのときは、たたっ斬ってやろうかと思ったな」

 「あいつは子供の頃から貴族嫌いで平民ばかりを相手にしていたからな。貴族嫌いは筋金入りだ。エドウィン伯爵家の功に報いるために婚約させたが正直、おれも心苦しかった」

 「それじゃあ、その心労ともこれでおさらばだな。むしろ、あいつらが口うるさいだけの役立たずでよかったかもな」

 「そうかも知れんな。まあ、王族ともあろうものが平民、それも、酒場上がりの女を正妻に迎えるとなれば色々、逆風も強かろうが、そこはふたりの愛で乗り越えていくだろう」と、何やら宮廷浪漫演劇めいたことを口にして笑ってみせるレオナルドであった。

 しかし、その笑いをおさめると途端に表情が厳しさを増した。酒に濡れた口元をグイッと拭うと『獅子王』と呼ばれるにふさわしい苛烈な光をその目に宿した。

 「ふん。こうしているのは楽しいが、いつまでも雑談にふけっているわけにも行かん。何しろ、おれたちの肩には人類世界そのものの運命がかかっている。その責務をおろそかにするわけにはいかん」

 その言葉に――。

 勇者ガヴァンも両の目を鋭く光らせた。口元に浮かぶ笑みはまさに高貴なる肉食獣。鬼を食らう羅刹らせつの笑みだった。

 「ああ。おれもフィオナやスヴェトラーナと一緒に新しい遠征に出なきゃならないからな」

 まあ、あの足手まといがいなくなった分、楽勝だけどな。

 そう言って高らかに笑うガヴァンである。

 レオナルドは幾人かの政務官や中級格の将軍たちを呼ぶと王国の内政や鬼部おにべとの戦いについての報告を求め、改めて指示を下した。それから、付け加えた。

 「デボラを呼べ。大至急だ」

 レオナルドのはじめての愛人であり、現在は後宮の管理を一手に引き受けている年配の女性が現れると、レオナルドは迷うことなく言った。

 「報告に拠れば鬼部の襲撃はまだしばらく続きそうだとのことだ。その間、おれもこの地にとどまる。ついては、この町の女たちにもおれの子供を何人か産ませておきたい。適当な相手を見繕っておいてくれ」

 この町の女たちはこの間まで鬼部相手に戦っていたそうだからな。強い子を産めるたくましい女も多いことだろう。

 そう言って笑うレオナルドであった。

 「かしこまりましたわ、陛下」

 デボラは五〇の坂を越えてもなお、衰えることのない妖艶さを含んだ微笑で答えた。

 『見繕ってこい』と言うのは『恋人がいようが、結婚していようが関係ない。強い子供を産めそうな女なら相手の意思など関係なしに引っ張ってこい』という意味なのだが、デボラに否やはない。

 これがアンドレアならそうはいかない。女の尊厳を踏みにじるようなそんなやり方には断固として反対し、君主としてのあるべき姿を延々と語るところだ。

 しかし、デボラはそんなことはしない。何と言っても、レオナルドの後宮にそろえる女たちを駆り集めることでいまの権力を維持しているのだ。よけいな正論などを言って自分の権力を危うくするような真似をするわけがない。

 これまでにもずいぶんと強引な手法で女たちを集めてきた。その過程で引き裂かれた恋人や夫婦は何組もいた。恋人と引き裂かれた女が毒をあおって自殺したこともあるし、妻を奪われた男がレオナルドの暗殺を企てたこともある。

 デボラはそのすべてを、その卓越した政治的手腕によって闇に葬り『なかったこと』としてきた。そうすることで自分の権力を維持してきたのだ。

 これからもそうする。

 自分の行いによってこれまで何人もの人間が破滅してきたし、これからも同じことが起こるにちがいない。しかし、他人の人生などデボラにとってはどうでもいいこと。かの人にとって重要なのは自分自身の望みを満足させることだけだった。

 ――そう。この世はわたしのためにある。わたし以外のすべてはわたしを満足させるための道具に過ぎない。

 それがデボラの信条。

 国王レオナルドでさえ例外ではない。デボラがレオナルドに従い、尽くすのは、あくまでもその権力を利用して自分の望みを叶えるためなのだ。レオナルドの方はどうか知らないが、デボラ自身はレオナルドに対して『人間としての』愛情など一片も注いではいなかった。

 ――道具としては役に立つし、可愛いけど。

 そう思い、腹のなかでクスクス笑う。

 デボラは内心の笑いなどおくびにも出さず、表面ばかりは完璧な敬意を払い、一礼した。命令を遂行するために部屋を出ようとする。

 その後ろ姿を見送っていたレオナルドの視線がふとデボラの尻に向いた。熟れきった尻を見たレオナルドの顔に好色な光が差した。

 これは実はレオナルドにとってはめずらしいことだった。後宮に大勢の女のそろえ、それ以外にも事ある毎に女に手を付けるレオナルドだが、その目的はあくまでも『強い子を産ませる』ことにあるのであって、性交それ自体を目的としているわけではない。そのレオナルドが性欲を刺激されたのだ。それだけ熟女の尻が魅惑的だった、と言うことだろう。事実、デボラの後ろ姿の妖艶さは、そこらの若い娘ではとうてい演出できないものだった。

 「まて、デボラ」

 「何でしょう、陛下?」

 「どうだ? 久し振りにおれと肌をあわせんか?」

 「まあ、何を仰るかと思えば」

 デボラは笑った。妖艶な笑い声が玲瓏と響き渡る。

 「子供好きで知られるレオナルド陛下がこのような年増を相手になさろうとは。わたくしはもう、子供を産むに適した年齢ではありませんわよ?」

 「まあ、良いではない。たまには子作りなしで純粋に楽しむのも悪くない。何と言ってお前はおれのはじめての相手だからな。ときには昔を懐かしみたくもなる」

 「まあ、そう言われるとますます遠慮したくなりますわ。あの頃のわたくしとは違いますもの。陛下を失望させてしまわないか、不安でなりません」

 口ではそう言ってるものの、うっすらと頬を染め、上目使いに相手を見るその仕種は『恥じらう乙女』そのもの。男を惑わす手練手管は歳を重ねても一向に衰えてはいない。むしろ、経験を重ね、男心の機微を知るようになった分、いっそう磨きがかかっていると言える。

 「ですが、もちろん、臣として陛下のご意向を拒否するわけには参りません。喜んでお相手させていただきますわ」

 「となると、おれはもう邪魔だな」

 ガヴァンが酒に濡れた口元を拭いながら立ちあがった。もうかなり飲んでいるのだが体がふらつく様子ひとつないのはさすがである。

 「じゃあな、兄貴。初恋の相手とよろしくやってくれ。おれもフィオナとスヴェトラーナの相手をしなきゃいけないからな」

 「おお。あまり励みすぎて肝心なときに足腰立たないようにしろよ」

 『獅子王』などと呼ばれ。苛烈な王者とも思えない兄の冗談に――。

 ガヴァンは『一本取られた!』とばかりに笑って見せた。

 ガヴァンが去ったあと、レオナルドはデボラと濃密な時間を過ごした。

 デボラもすでに五〇代、胸の張り、肌の色艶などはさすがに若い娘には敵わない。その反面、長い年月を経て磨かれた手練手管は健在であり、男を喜ばすという点では若い娘以上に長けていた。経験に裏打ちされた濃密な奉仕をたっぷりと受けたレオナルドは満足して眠りに就いた。

 グッスリと寝入る国王の横でデボラはほくそ笑んでいた。

 ――よくぞ、あの女を追放してくれたものだわ。

 心からそう思う。

 一連の婚約破棄・追放劇はデボラにとってもなんとも都合のいいものだった。

 何しろ、後宮の管理者として宮廷の裏世界を牛耳る自分にとって、唯一の障壁となるのが未来の王妃たるアンドレアだったのだから。

 ――あの生硬で四角四面な女が王妃になどなったら何事につけ、わたしの邪魔をするに決まっている。陛下の後宮を維持するためにどれほどの予算と人員が割かれているかを知れば必ず縮小しようとする。そんなことになればわたしの権力も失われてしまう。まして、白鳥宮の建設などあの女が認めるわけがない。実態を知られればたちまち取り壊されるか、建前通り、下賤な民のための避難場所にされるかしてしまう。

 いくら、デボラが宮廷の裏社会を牛耳る実力者だと言っても、正式の王妃が相手では分が悪い。実のところ、宮廷のなかにはデボラの専横を憎み、王妃となったアンドレアがかの人を排除してくれることに期待を寄せるものも少なくないのだ。

 ――そんなことをさせるものか。

 怨念さえ込めてデボラは思う。

 ――白鳥宮こそはわたしの夢。清らかなるわたしにふさわしい、白の楽園。誰にも邪魔はさせない。

 そう思う。

 しかし、アンドレア相手に面と向かって対決するわけにも行かなかった。

 ――何しろ、あの女、女としての色気もなければ、男を喜ばす方法ひとつ心得ていないと言うのに、腕っ節だけは強い野蛮人。将来の王妃のくせに剣を手放しているのを見たことがない。下手に対立して怒らせたら一瞬で首を刎ねられてしまう。

 デボラも『国で五本の指に入る』と言われるアンドレアの評判は知っている。男相手の手練手管はいくらでも知っていても戦い方など何ひとつ知らない貴族の女としては、危なくてとてもではないが対面できない。

 だからこそ、これまでさんざんあの女を遠ざけようとレオナルドに繰り返しささやいてきた。それがとうとう追放された。あの女自身の生意気な態度がその事態を招いた。自分の手で罠にはめるまでもなく、あの女自身が墓穴を掘ったのだ。

 ――これでもう、わたしに怖いものはない。わたしはこれから先一生、愛する白鳥たちに囲まれて暮らすのよ。

 その光景を夢見て、うっとりとするデボラだった。


 その同じ頃、勇者ガヴァンもまた聖女フィオナ、魔女スヴェトラーナのふたりを相手に濃密な時を過ごしていた。

 三人とも全裸になってベッドに寝そべり、ガヴァンはふたりの女を両脇に抱きかかえている。

 「それにしても、ようございましたわね、ガヴァンさま。国王陛下があの女との婚約を破棄してくださって」

 聖女フィオナが言うと魔女スヴェトラーナもうなずいた。

 「まったくだ。いままであの役立たずのせいでどれだけ足を引っ張られたか。しかし、これでその心配もなくなった。わたしたちはこれで名実共に最強のパーティーだ」

 「ああ、その通りだ」

 ガヴァンは自信に満ちてうなずいた。その表情はたしかに人類最強の戦士としての威厳に満ちていた。

 「あの役立たずがいなくなったいま、おれたちは真に無敵のパーティーとなった。一気に鬼界島に乗り込み、鬼王の首を取ってやる」

 「まあ、それでは、ガヴァンさま……」

 「いよいよ、か?」

 「そうだ。明日、兄貴に直訴する。おれたちを鬼界島に派遣し、鬼王の首を取るよう命令してくれとな。おれたちが人類の英雄として世界を救うときがきたんだ」

 「楽しみですわ、ガヴァンさま。このフィオナ、聖女の名にかけて誠心誠意ガヴァンさまをお支えします」

 「腕が鳴る。魔女スヴェトラーナの実力、見せてくれよう」

 フィオナとスヴェトラーナが口々に言う。

 ガヴァンはこのときすでに鬼王を倒して凱旋し、人々の歓呼に迎えられる英雄としての自分の姿を想像していた。だが、ガヴァンは気付いていなかった。聖女フィオナと魔女スヴェトラーナ。仲間であるはずのふたりの間にすでに激しい敵意が満ちていることに。

 ――一番の邪魔者であるあの女はいなくなった。あとは、この女だけ。

 ガヴァンには気付かれないよう、しかし、お互いにははっきりとわかる形で、ふたりの女は敵意をむき出しにしていた。

 ――勇者の妻。そして、人類と世界を救った英雄。その称号にふさわしいのはこのわたし。断じて、この女には渡さない。

 ふたりの胸の奥ではその同じ思いが燃えたぎっていた。

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