四〇章 夢の国の熊猛将軍

 「はい、あ・な・た、あ~ん」

 「あ~ん」

 その家のすべての使用人が唖然として見つめる光景が展開されていた。

 レオンハルト王国王都、その住宅街のなかにある熊猛将軍ウォルターの家。その中庭のことである。

 屋敷の主であるウォルターと実質的な女主人であるイーディスとが中庭に弁当を広げ、ピクニック気分でランチを楽しんでいるのだ。それも、ただのランチではない。イーディスがいちいちフォークで食品をウォルターの口元まで運んでやり、それをウォルターがぱくつくという、見ている目が糖尿病にかかりそうな甘々のランチである。

 「次はその卵焼きがいいのう」

 「はい、どうぞ。あ~ん」

 「あ~ん。次はほら、その肉団子だな」

 「はい、あ~ん」

 「あ~ん」

 口のなかに入れられた肉団子をモゴモゴと咀嚼し、飲み下す。その表情がまた、大好きなケーキに囲まれた女の子のように幸せそう。

 文章で表現すればそれこそ『少女趣味の童話』と言っていいくらいのもので、砂糖を吐きながらも『微笑ましい』と言える光景ではあったろう。しかし、女の方が下品一歩手前の肉感的な美女であり、男の方がゴツい、毛深い、分厚い、と、三拍子そろった髭面の大男となれば、熊の餌付け以外には決して見えない。もっとも、女はともかく、男の方は少女趣味の童話に完全に没頭しており、まわりの目などまったく気になっていなかったのだが。

 このときも少女趣味全開のなんとも甘々な口調で喜んでみせた。

 「うんうん。卵焼きも肉団子も良い味じゃあ。そなたは料理が上手じゃのう、イーディス」

 「まあ、いやですわ、ウォルターさま。そんなに褒められてもなにも出ませんわよ」

 言われて頬などポッと赤く染めて顔をそらし、上目使いにチラッと見やる。

 そのあたりが海千山千の酒場女の手練手管。ウォルターはあざといけれどそれだけに効果満点の仕種に大喜びである。

 「うう~、かわいいのう、かわいいかわいい」

 ウォルターはその太い腕でイーディスを抱きしめ、スリスリする。

 字面だけ見れば大好きなぬいぐるみにスリスリする小さな女の子そのもの。しかし、実体は棘のような髭でジョリジョリされるとあっては……。

 それでも、イーディスは酒場女の手練手管で痛がりながらも可愛らしく振る舞ってみせる。そんなあざとい仕種一つひとつが、わかりやすい女が大好きなウォルターの胸に突き刺さる。

 「うう~、なんと愛いやっじゃあ。そなたと出会えて良かったぞお」

 まったくのデレデレのメロメロで『溺愛』という言葉の見本にされるような態度なのだった。

 もう間もなく、熊猛紅蓮隊はその全軍をもって鬼界島に乗り込む。

 鬼界島の地理もわからない。

 敵がどこにいるかもわからない。

 標的である鬼王の拠点がどこかもわからない。

 そもそも『鬼王』なる存在が本当にいるのかどうかさえ定かではない。

 わからないことだらけの無謀な進軍をしかし、ウォルターは『行けばわかる!』の一言で押し切ろうとしていた。そして、そんな無謀な出陣が行われる前、ウォルターは愛妾であるイーディスに一時、別れの挨拶にやってきていたのだ。

 「ここにいられる時間は限られておるのだ。一時だって無駄にはできん」と、早朝から押しかけ、まだベッドのまどろんでいたイーディスをネグリジェ姿のまま抱きかかえて中庭に飛び出し、朝からずっとピクニック気分に浸っているのだった。

 体中の血液がハチミツとなって流れ出してしまいそうな光景ではあったが――。

 それなりに微笑ましい光景とは言えたかも知れない。

 女の側の本心さえ知らなければ……。

 丸一日かけて中庭でのピクニックを楽しんだあと、風呂に入った。もちろん、イーディスも一緒である。お気に入りのアヒルの玩具を湯船中に浮かべてご満悦である。もちろん、熱烈な愛を交わすことも忘れない。

 「おうおう、すまんがおぬしらは向こうを向いておってくれよ」と、風呂場に持ち込んだ大小幾つものアヒルの玩具を一つひとつ後ろに向かせ、誰はばかることなく楽しんだ。

 じっくり時間をかけて風呂を楽しんだあと、いよいよベッドに移って本格的な愛の時間。

 ウォルターの激しさは並の女性ではとうてい受けきれないようなものだったが、そこは百戦錬磨の酒場女。ウォルターの激しすぎる愛を喜びをもって受け入れ、楽しませる。

 ――この点だけは本気で愛してもいいわ。

 百戦錬磨のイーディスにして半ば本気でそう思う一時だった。

 激しい一時が終わるとすでに明け方だった。

 東の空は白々と明るみはじめ、鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。

 一晩中、愛し合っていたわけだ。ウォルターはもちろんだが、それに付き合えるイーディスの体力もやはり、凄い。並の女性ならその最中に半死半生の体となっている。

 ウォルターはイーディスの膝枕に甘えきった顔を乗せていた。その姿はやはりどう見ても『美女に懐く熊』なのだった。ハチミツをたっぷり溶かしたホットミルクをたらふく飲んで、すっかり満足してまどろむ熊の表情である。

 「ああ~、イーディス。わしは幸せじゃあ。お前という最高の女がいるのじゃからなあ」

 「まあ、ウォルターさまったら。そんなことを言われては嬉しさのあまり昇天してしまいますわ」

 「はっはっ、嬉しいことを言ってくれる。つくづくかわいいやつよのう。そなたとまたしばらく会えなくなるかと思うとさびしゅうてならんわい」

 「まあ、なにを仰いますの、ウォルターさま。聞けば今回はいよいよ鬼界島に乗り込み、敵首領の首を取るとか。まさに、男子の本懐ではありませんか。女ひとりにこだわっている場合ではないでしょう」

 そう叱りながら『ペチン』とかわいい音を立てて尻を叩いてみせる。

 これまたあざとい仕種だが、ウォルターのような趣味の男にとってはこれがたまらない。もちろん、イーディスはそれを承知でウォルター好みの女を演じている。

 ガッハッハッハッハッ、と、ウォルターは豪快に笑い飛ばした。その声だけで壁という壁がビリビリ震え、窓ガラスが砕け散るのではないかと思わせる大声量である。

 「おう、その通りじゃ! いよいよ、このわしが鬼界島に乗り込み、鬼王めの首を取るときじゃ! なあに、わしにかかれば鬼王なんぞ河童巻きの胡瓜じゃわい。安心してまっておれ!」

 「ええ、もちろんですわ、ウォルターさま。あなたさまは世界で一番の猛者ですもの」

 「おうおう、単なる事実だとわかっていてもそなたの口から言われると嬉しいのう。やはり、そなたと出会えたことがわしの生涯、最高の幸運じゃあ」

 ウォルターはそう言ってから若干、口調を改めた。それまでの豪快一本槍の口調から真摯なものが込められた口調へと。

 「そしてじゃ、イーディス。わしが鬼王を倒して凱旋してきたらいよいよそなたと結婚じゃ。人類を救った英雄と三国一の花嫁の結婚じゃ。国を挙げて、いや、全世界を挙げての大騒ぎになるぞ」

 「まあ。わたしのような平凡な女のためにそんなことになるのでしょうか」

 「おぬしのなにが平凡なものか。おぬしのような女はふたりとおらん。おぬしのためなら世界中が祝ってくれる。いや、祝わせてみせる。祝わぬやつはこの腕が黙っておらん」

 ガッハッハッハッハッ、と、高笑いしながらそう宣言するウォルターである。

 「そして、新婚旅行じゃ。行き先はもちろん、鬼界島。見所は、わしの始末した鬼どもの骸じゃあ。わしの強さを教えてやるぞ」

 「まあ、それは楽しみですわ。我が夫たる方の強さをこの目で見られるなんて」

 「ガッハッハッハッハッ、そうじゃ、そうじゃ、楽しみにしているがいい。そして、わしとそなたとは鬼王の城の新たな主となって暮らすのじや。生き残りの鬼ども全部、召使いとして使ってやるぞ。そなたはただ毎日わしを愛し、わしと共に過ごしておれば良い」

 「まあ。そんな安穏な暮らしでは太ってしまいそうですわね。ウォルターさまに嫌われてしまうのが怖いですわ」

 「なにを言うか。女は肉付きがいい方に決まっておる。おぬしはまだまだ痩せすぎじゃ。安心して肉を付けるがいい」

 ウォルターはそう言ってからさらにつづけた。

 「子供は一〇〇人。うん。それぐらいはほしいのう。城のなかにわしとそなたの子供たちの笑い声が満ちるのじゃ。いまから楽しみじゃわい」

 「まあ、ウォルターさまったら。いくら何でも一〇〇人なんて産めませんわ」

 「なんの。気合いさえあれば出来んことなどありはせん。わしも励んで、どんどんそなたに子を産ませてやるからな」

 「ふふ。そこまで言われては仕方ありませんわね。ならば、わたしも精一杯、励むといたしますわ。愛するあなたのために」

 「おお、そうとも。わしらは一生、幸せに暮らすのじゃあ……」

 その妄想の行き着くままウォルターはやがて眠りにおちた。

 その眠りからはやがて覚めるにしても――。

 ウォルターが自分自身の夢から覚めることは一生、なかった。

 そして、この夜がウォルターの見た最後の夢となったのだった。

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