四四章 勝利と驕り、そして、危機

 「うおおおおっ! 勝った、勝った、勝ったぞおっ!」

 まるで、祭りの場のように楽しそうな、熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルターの声が響き渡る。

 その声にあおられるかのように象のような巨体の馬が大地を揺るがし、突進する。行く手にいるのは鬼部おにべの群れ。人の世を襲い、人間を食らう、知恵ある獣たち。

 ウォルターはその人類の天敵のなかにただひとり、愛馬にまたがり、突進する。人の背丈ほどもある大剣を風車のごとく振りまわし、鬼たちをバッタバッタとなぎ倒す。

 バッタバッタとなぎ倒す。

 そう。市井しせいの三文作家から、一〇〇世の名声を得る不世出ふせいしゅつの大詩人に至るまで、そうとしか表現するしかない勢いで鬼部の群れを叩きつぶす。本来、敵を『斬る』ための武器である剣が、ウォルターの手に握られると相手を骨ごと叩きつぶす殴打用の武器と化す。

 ウォルターが振りまわすのは大剣だけではない。あたりにいる鬼部の頭をむんずとつかむと、そのまま力任せに振りまわす。

 「ガッハッハッハッ! いくらでもかかってこんかい! 熊猛将軍と熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいの力、見せてやるわっ!」

 あくまでも楽しげに叫ぶと、右手の大剣と左手の鬼部の体とを振りまわす。

 鬼部の肉体そのものが殴打用の武器と化して振りまわされ、仲間たちをぶちのめし、吹き飛ばす。あまりの勢いに腕がちぎれ、脚がちぎれ、単なる肉片と化すと、また次の鬼部を捕まえ、振りまわす。その姿はいったいどちらが鬼で、どちらが非力で哀れな人間なのかわからなくなるほどだった。

 鬼部の群れを吹き飛ばして道を作り、突き進んでいくその姿。それはまさに鬼部にとっての災厄。その姿を見ればどんなにウォルターに批判的なものでも思わざるを得ない。

 ――やはり、熊猛将軍ウォルターこそ、人類最強の将であり、人類を勝利させる英雄なのだ、と。

 「熊猛将軍に後れを取るな! ものども、進めえいっ!」

 「勝った、勝った、勝ったぞおっ!」

 ウォルター配下の金熊長きんゆうちょうたちが口々に叫び、突進する。熊猛紅蓮隊は一本の巨大な槍となり、鬼部の群れを斬り裂き、貫いた。

 この戦場における勝敗は決した。


 鬼界島きかいとう

 人間を襲い、食らう、鬼たちの本拠地であり、鬼たちを統べる鬼王が住まうと言われる場所。

 その鬼界島に熊猛紅蓮隊が乗り込んでから、およそ一月が経過していた。

 たった三人で乗り込んだ勇者たちとはちがい、数万に及ぶ軍勢がやってきたとなれば、さすがに鬼部も放ってはおけなかったのだろう。毎日のように目前に鬼部の群れが現れ、戦闘となった。その数、二〇回以上。わすが一月あまりの間に二〇回以上に及ぶ実戦をこなしたのだ。普通であれば疲労ひろう困憊こんぱいし、へたりきり、身動きひとつできなくなっていてもおかしくはない。

 しかし、熊猛紅蓮隊はちがった。

 もともとが全人類のなかから選抜された精鋭軍だと言うこともある。しかし、それ以上にウォルターのあげる『勝った、勝った』の叫びに乗せられ、まるで禁断の麻薬でも使ったかのように無限の体力と気力とをあふれさせ、度重なる戦闘に望んだ。

 二〇回以上に及ぶ戦闘ことごとくに完勝し、鬼部の群れを無散らし、突き進んできた。数万にも及ぶような大軍勢との戦いこそなかったが、死者はおろか、怪我人さえほとんど出していないという圧勝振りである。

 度重なる戦いによって足止めされ、予定の半分――ウォルターの戦いに『予定』などと言うものがあればの話だが――も進めていないとは言え、その戦い振りは条件さえ整えば熊猛紅蓮隊こそは地上最強の軍団なのだと信じさせるに充分なものだった。

 「ガハハハハッ、愉快、愉快!」

 野営地の中央、ひときわ大きな天幕のなかに熊猛将軍ウォルターの笑い声が響いた。そのと息ひとつで天幕がめくれあがり、吹き飛んでしまうのではないか。そう思わせるほどの大声である。

 「鬼部どものなんともろいことよ! 本拠地を守る連中があの程度とは片腹痛い。やはり、我が熊猛紅蓮隊に敵う敵なぞおらんなあっ!」

 「まったくですな、熊猛将軍」

 「熊猛将軍のご活躍振り、実に痛快ですぞ」

 右手に骨付き肉、左手に酒の入った器をもち、盛大に飲み食いしながら笑い合う。ウォルターは配下の金熊長たちに囲まれ、勝利後の宴会の真っ最中だった。

 戦で勝利を飾ったあとには宴会を開き、勝利を祝う。それがウォルターの常。その習慣は鬼界島に乗り込んだいまもかわらない。肉も酒もありったけ持ち出し、あとのことなどおかまいなしの大宴会である。

 「ガハハハハッ! それにしても、鬼部どもは弱いのう! あれではまるで草でも刈っているかのようじゃ。手応えひとつないではないか。わし自ら教官となって戦い方を教えてやりたいぐらいじゃわい」

 「いやいや、熊猛将軍。鬼部どもは決して弱くはありませんぞ」

 「さよう。並の人間どもにとっては立派な強敵。あなどれませんぞ」

 「その侮れぬ敵を敵ともしない。鬼部どもが弱いのではなく、熊猛将軍が強すぎるのです」

 「ガハハハハッ! そうじゃろう、そうじゃろう! もっと言え!」

 取り巻きの金熊長たちから口々に褒められてウォルターはすっかり上機嫌。肉と酒を交互に口に運んでは食いちぎり、飲み干し、口から肉の欠片と酒の飛沫を飛ばしながらの大笑いである。

 ウォルターの笑声しょうせいは天幕の外までも聞こえていた。と言うより、地鳴りのようにどこにいても聞こえるものだった。一般の兵士たちにしてみれば、戦場を埋め尽くす馬蹄ばていの響きよりも大地を揺るがす衝撃に思える。

 「やれやれ。熊猛将軍閣下は今日もご機嫌だな」

 「まあ、実際、無敵の快進撃だからなあ」

 「だからって、あんな浮かれてていいわけじゃないだろ。おれたちはいま、敵地にいるんだぞ」

 「敵地にいるだけじゃない。これからさらに奥深くに進んで、敵の首領を打ち倒そうと言うんだ。もっと緊張しているべきだろう」

 「これからどんな大群が現れるかわからないしな」

 「大体、戦いのたびにあんなに盛大に飲み食いしてどうする。補給のことをどう考えてるんだ」

 「おいおい、一兵士の身で補給がどうとか言い出すなよ。メイズ銅熊長どうゆうちょうに感化でもされたか?」

 「事実だろうが。敵陣深く入り込めば入り込むほど補給は難しくなるんだぞ。引き返せないほど深く入り込んだところで食糧が尽きたらどうする?」

 その言葉に――。

 その場にいる全員がうそ寒そうに首をすくめた。

 銅熊長メイズ率いる小隊の面々である。

 何も、かのたちは戦勝の宴から疎外されているわけではない。肉も、酒も、ちゃんと支給された。いまも大鍋に塊肉を放り込み、酒をあおりながらの宴会中である。ただし、その量も、質も、ウォルターやその取り巻きの金熊長たちとは比較にもならない。

 ウォルターは意識して部下の扱いに差を付けるような人物ではない。しかし、いかんせん、正直すぎる上に人に対する好き嫌いがはっきりしているので、自分のお気に入りばかりを引き立て、それ以外を軽視する癖があった。

 メイズが結成当初からの古参であり、常に堅実な戦績をおさめてきた強者であるにもかかわらず、いまだに銅熊長止まりなのもそのせい。何かと言うと苦言を呈するその性格が、ウォルターから煙たがられているからなのだ。ウォルター自身はそのことをまったく自覚しておらず、部下に対してあくまで公平に振る舞っていると思い込んでいるところが始末に悪いのだが。

 そのメイズはいま、ひとり、宴会の話からはなれ、黙々と紙にペンを走らせている。

 「うちの小ボスは相変わらずだな」

 「ああ。暇さえあればああしてなにか描いている」

 「何を描いてるんだ?」

 「通ってきた道や、あたりの風景。そんなものを描き残しているらしいぞ」

 「風景? うちの小ボスって絵心なんてあったのかよ?」

 「うんにゃ。こないだ覗いてみたけど、ミミズがのたくっているみたいな絵だったぞ」

 「大体、そんなもん、書き記してどうするんだ? うちのラスボスがそんなもん、いちいち見るとは思えないぞ」

 「だよなあ」

 「そういや、あいつはどうしたんだ?」

 「あいつ?」

 「あの若い新兵だよ。チャップとか言うやつ」

 「ああ。あいつなら出陣前にメイズ銅熊長から特別任務を受けて、どっか行ったぜ」

 「特別任務? なんだ、そりゃ」

 「さあ?」

 メイズの部下たちは自分たちの会話になにか不吉なものを感じたのか、うそ寒そうに首をすくめ、押し黙った。あとには鍋のなかで肉が煮えるグツグツと言う音だけが残った。

 「……さっきの話だけどよ」

 「さっきの話?」

 「食い物がなくなったらどうするって話」

 「……ああ」

 「うちのラスボスのことだ。おれたちを食う気なんじゃないか?」

 その言葉を、

 「悪い冗談だ!」

 と言って、笑い飛ばせるものはいなかった。


 熊猛紅蓮隊の快進撃はそれからもつづいた。

 幾度となく立ちはだかる鬼部の群れことごとく打ち倒し、蹴散らし、まさに無人の野を征くがごとく突き進む。その圧勝振りは失われかけていたウォルターへの信仰を取り戻すのに充分だった。とくに、今回の遠征を前に採用された新兵たちは勇猛きわまるその姿に崇拝すうはいに似た思いまで抱いていた。

 ――おれたちは強い。

 そんな思いが皆の心のなかに育っていた。

 ――おれたちは強い。おれたちなら勝てる。鬼部を倒し、人類と世界を救えるんだ!

 そんな未来が胸のなかに沸き立ち、自分が英雄となって凱旋がいせんする姿が頭に浮かぶ。

 あまりにも圧倒的な勝利の数々は、兵士たち一人ひとりの心に自身を越えてある種の油断さえ生じさせていた。

 そのなかでただひとり、メイズだけが自分たちの行く末に危機感を抱いていた。

 自ら描いた地図を見ながら、メイズは呟いた。

 「……やはり。このままではおれたちは全滅する」

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