第八話 熊猛将軍の最後

四三章 栄光の熊猛紅蓮隊

 レオンハルト王国の王都はいま、大いに沸き立って……いなかった。

 本来ならば沸き立つはずだったのだ。なにしろ、とうとう熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルター率いる熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたい鬼界島きかいとうに乗り込むというのだから。

 人類最強の将軍に率いられた人類最強の軍勢がいよいよ敵の首魁しゅかいを倒すべく進軍する。

 そう聞けば、鬼部おにべの侵攻に苦しめられてきた人々だ。逆襲の予感に心を震わせ、いてもたってもいられなくなる。仕事を放り出して路上に飛び出し、歓喜の声を張りあげ、無数の紙吹雪をもって出陣を飾る……そうなるはずだ。

 事実、いままではそうだった。

 熊猛紅蓮隊が王都から出陣するつど、そのまわりを王都の住人が埋め尽くし、期待の視線と歓呼の声で送り出してきた。それが、いまや――。

 路上にほとんど人はおらず、かと言って、仕事に励んでいるわけでもない。閉めきった家のなかからわずかだけ戸を開けてこっそり様子をうかがっている。

 そう言う状況だった。

 それは、まるでうさん臭いものを見るかのような態度。王宮の宣撫せんぶ士官しかんたちは熊猛紅蓮隊の出陣を派手に演出しようと町中を巡り、路上に出て見送るよう勧め、大量の紙吹雪を用意していたのだが、その成果もまるでなかった。

 そこには王都の人々の心境の変化があった。

 ――熊猛紅蓮隊と言えば人類最強の精鋭軍であり、必ずや鬼部を倒し、人類と世界を救ってくれる。

 そう無邪気に信じていられた。いままでは。

 だが、いまでは……。

 前線からはまだまだ遠い王都の住人とは言え、いま、最前線がどんな状態にあるかは知っている。前線から遠いからこそ、前線から逃げてきた人々の話が伝わり、生々しい情報にふれているとも言える。

 そのおかげで王都の人々はエンカウンの苦境を知った。

 警護騎士団にも、住人にも逃げられ、もはや、人類の防衛拠点として機能していないことを知った。

 勇者ガヴァンとその一行がすでに鬼界島に乗り込み――よりによって――鬼部と戦うまでもなく腹を壊して帰ってきたことも知った。

 そんなことばかり聞いているのだ。

 ――本当に鬼部に勝てるのか?

 そんな疑いの気持ちをもつのももっともだった。

 その思いが熊猛紅蓮隊への信頼を損ね、期待したいのに期待しきれない。と言って、見限るわけにもいかない。自分たちのために勝ってくれないと困る。そんなどっちつかずの思いが、家のなかからこっそりうかがう、といううさん臭いものを見る態度になっている。

 その住人たちの態度はもちろん、熊猛紅蓮隊の面々にも伝わっている。いままでは期待と歓呼に包まれていたというのにこの扱い。そのちがいに戸惑い、不快な思いもさせられている。

 ただひとり、熊猛将軍ウォルターだけがいままで通りだった。

 住人たちの態度の変化など気にもかけない――のではなく、そもそも、気付いていない。目先の戦のことしか目に入らない将軍閣下は、今回もまたいつも通り、数多くの配下の前で愛妾のイーディスとのイチャイチャを繰り広げている。

 「うう~、いかに戦のためとは言え、おぬしと離ればなれになるかと思うとさびしゅうてならんのお~。できることならそなたを小さな人形にかえてもっていきたいところじゃあ」

 「まあ、なにをおっしゃるのです、天下の熊猛将軍ともあろうお方が。男子だんし本懐ほんかいを前に、女のことなど気に懸けている場合ではないでしょう。お仕置きです。ペチ」

 「ガッハッハッハッ! おぬしには、かなわんのう!」

 まるで、砂糖漬けの蜂蜜菓子のような甘ったるい素人劇。見る者が所構わず砂糖を吐いて回っても責められないだろう。そんな様を熊猛紅蓮隊の士官たちが忌々いまいましそうに睨み付けている。

 ――いい気なものだ。

 その表情がそう言っている。

 もともと、熊猛紅蓮隊は各国から選抜された構成軍。ウォルターの将軍としての強さ、勇猛さに一目置いてはいても、決してウォルター個人に忠誠を誓っているというわけではない。出陣ごとにこんな茶番を見せられるとあっては不快にもなる。

 それでも、いままでは勝っていたから、まだ微笑ましく思う余裕もあった。しかし、エンカウン攻防戦で補給無視の無謀な戦いを強いられ、多くの仲間を失い、危うく全滅するところだったのだ。それを思えばもう、いままでのように大目に見る気になれないのは当然だった。

 ウォルターを見る目ははるかに厳しく、非難的なものになっていた。その心境の変化はおそらく、熊猛紅蓮隊にとってなによりも危険なことであるはずだった。しかし、戦場以外のことに目の行かないウォルターはそんなことにも気付かない。自分の大きな背中に注がれる配下の騎士たちの視線にも気付かず、ひたすらイーディスを溺愛している。

 そんななかにあってひときわ深刻な表情をしている下級士官がいた。

 銅熊長どうゆうちょうメイズである。メイズは居並ぶ列の後方に位置しながらずっと辺りをキョロキョロ見回していた。

 「どうかしましたか、銅熊長?」

 配属されたばかりの、今回が初陣ういじんである若い新兵が声をかけた。

 「……チャップか。いや、何でもない」

 メイズはそう答えたがもちろん、何でもなくはない。

 実はメイズは一縷いちるの希望を抱いて探していたのだ。

 追放されたウォルターの元婚約者アーデルハイドがこの場に現れ、ウォルターを止めてくれることを、あるいはせめて、食糧その他の補給を差し向けてくれることを。

 しかし、どれほど待ち焦がれても、アーデルハイドの女神のごとく光り輝く姿が現れることはなかった。水と食糧を山と積んだ補給隊が現れることもなかった。

 ――当たり前か。

 メイズは嘆息たんそくした。せずにはいられなかった。

 武辺者ぶへんものばかりを集めた熊猛紅蓮隊にあって、メイズはおそらく、補給と情報の大切さを最も理解している人材だった。そのメイズにしてみれば今回の遠征の無謀さははっきりとわかっている。

 成功の見込みなど最初からないことも。

 ――我々は鬼界島のことなど何も知らない。そこがどんな場所で、どこに何があるか、何も知らないんだ。そんな場所に乗り込んで敵の首魁を倒すなんて出来るはずがない。そんなところに補給隊を差し向けてももろともに倒れるだけ。アーデルハイドさまがそんな無駄をするはずがない……。

 「銅熊長。やっぱり、なにかおかしいですよ。大丈夫ですか?」

 チャップは重ねて尋ねた。

 メイズはまだ少年のような若い新兵を見た。レオンハルトの隣国からやってきた冒険者あがりの若者で、今回の遠征を前に行われた採用審査に合格して配属された。急遽きゅうきょ、支給された体に合わない鎧をまとっているが、その若々しい頬は使命感に紅潮こうちょうしている。

 人類最強の軍に所属し、鬼部の王を倒しに行く。

 そのロマンあふれる状況に興奮し、沸き立っているのにちがいない。

 ――思えば、以前は誰もがこんな表情をしていたな。

 結成当初からの人員であるメイズは、その頃のことを思い出した。

 あの頃は皆、表情を輝かせていた。

 自分たちこそが鬼部を倒し、人類を守るのだ。

 その使命感に燃えていた。それが、いまでは……。

 メイズは溜め息をつきながらかぶりを振った。まるでいきなり一〇〇歳を超えた老人になったような気分だった。

 チャップは決して弱くはない。歳の割には良い腕をしているし、経験も積んでいる。しかし、精兵というにはほど遠い。そもそも『採用試験』など開かれるのがおかしいのだ。

 そんなものは間に合わせの、急ごしらえの軍勢を作るために行われるもの。人類最強の精鋭軍に新兵を補充するために行われるようなことでは断じてない。それが行われると言うことは、それだけ熊猛紅蓮隊が消耗していると言うこと。質以前にとにかく数をそろえないと軍勢として機能できない。そこまで追い込まれていると言うことだった。

 チャップにしても以前なら、エンカウン防衛戦を行う前ならば入れたはずがない。チャップの腕はまだその程度のものなのだ。歳の割に小柄で、力も弱い。実戦経験も浅い。筋がいいのはわかるが、熊猛紅蓮隊が必要としているのは『いま、強い』兵士なのだ。

 しかし、エンカウン防衛戦において補給無視の無謀な戦いをつづけた結果、数多くの熟練兵たちが死んでいった。いずれも名のある強者たち、人類最強の部分を構成する騎士たちだった。そんな騎士たちが失われた結果、このチャップのようなまだまだ未熟な若者まで加えなければならなくなった。

 これで熊猛紅蓮隊の行く末に危惧をもつなと言う方が無理だ。

 「チャップ。お前は冒険者あがりだったな」

 「はい! 小さな村の出身ですけど、これでも地元では一番、有名な冒険者パーティーの一員だったんです! 主に魔物退治を担当していて、とくに『小鬼の群れが出た!』なんて言うときには、真っ先におれたちの所に依頼が来るぐらいで……」

 これを機に自分を売り込み、少しでも出世の足がかりを得たいのだろう。チャップは若々しい頬をさらに紅潮させて武勇談をまくし立てた。

 メイズはそんな若者を手をあげて制した。本来であればこの手の『生意気な若造』は嫌いではない。しかし、いまは場合が場合だ。こんな脳天気な姿を見られては頭痛がしてくる。

 「冒険者あがりのお前に聞きたい。冒険者は日頃の補給をどうしている?」

 「補給?」

 チャップは目をパチクリさせた。質問の意図がわからない、と言うより、質問そのものが理解出来ない、と言った表情だ。

 「補給ってどういうことです? 必要なものは、必要なときに、その場その場で調達するのが冒険者の流儀ですけど?」

 「その場で調達?」

 「はい。喉が渇けば泉を探し、泉がなければ水たまりを探し、それさえなければ水を多く含んだ植物をかじって渇きを癒やす。腹が減れば狩りをする。木の実も採る。それすらなければ木の根をかじる。それが、冒険者ってものです」

 チャップは胸を張って答えた。本人はそれが誇らしいことだと思っているらしい。

 ――ああ、そうか。そうだったな。

 基本、個人で活動する冒険者に『補給』などと言う概念がいねんがあるわけはなかった。

 ひとりかふたり、せいぜい、五~六人でしか行動しない冒険者にとってはそれで充分なわけだ。それぐらいの人間の渇きを癒やす水、腹を満たす食い物なら、どこででも手に入る。しかし、何万という軍勢の渇きと飢えを満たすには……。

 おそらく、ウォルターの感覚も冒険者としてのそれなのだろう。必要なものはその場その場で調達すればいいと思っているし、それができると信じている。冒険者として個人で活動するならその頑健がんけんさは賞賛されるかも知れない。しかし、何万という軍勢を率いる将軍としてはまったくの失格だ。

 「チャップ。お前に特別任務を与える」

 「特別任務⁉ なんです、なんでも言ってください!」

 チャップは若々しい顔に希望をはじけさせた。上官に認めてもらえた。評価してもらえた。そう思ったのだろう。

 興奮しているのか、妙に甲高い声になってもいる。だが――。

 「えっ?」

 メイズから『特別任務』の内容を聞いたチャップの表情はたちまち失望に曇ったのだった。


 そして、熊猛紅蓮隊は出陣していった。

 民衆たちの熱烈な歓呼の声に送られることなく。

 イーディスは貞淑ていしゅくな恋人をよそおってウォルターを見送ったあと、かの人の秘密の花園にこもった。まわりには数えることも出来ないほどの金銀宝石が散らばっている。

 ウォルターの溺愛をいいことに、ウォルターのもつ王族としての財の数々――領地、建物、爵位など――をすべてこっそり金に換え、買い込んだのだ。

 「うふふ。素晴らしい輝きだわ。これだけの財産があれば一生、遊んで暮らせるわね」

 イーディスは山のような宝石を手ですくってはじゃらじゃら言わせながら呟いた。

 「あの男にはそれなりにいい思いをさせてもらったけど、もう潮時しおどきね。帰ってくる前に姿をくらますとしましょう」

 海千山千の酒場女だけに男の見限りどきは心得ている。

 勝っても負けても、この戦いが終わればウォルターの利用価値はなくなる。

 勝って帰ってくれば、ウォルターは自分と結婚する。『婚姻』という名の牢獄に閉じ込められてしまう。

 負けて帰ってくればもはや、いままでのような贅沢ぜいたく三昧ざんまいは出来ない。

 そして、もし、帰ってこなければ……自分は自分を憎むウォルターの使用人たちによって告発され、罪人として扱われるだろう。

 「どれもゴメンよ。わたしはまだまだ無数の愛を楽しむのだから」


 「……では、やはり、熊猛紅蓮隊に補給を届けることはできませんか」

 「ああ。右も左もわからねえ鬼界島に乗り込んで補給物資を届けるなんざ、仕事とは言わねえ。自殺と言うんだ。大事な郎党ろうとうどもをそんな目に遭わせるわけにはいかねえ」

 「そう……ですね」

 アーデルハイドと〝歌う鯨〟の首領エイハブとは旅先で出会い、話を交わしていた。エイハブがアーデルハイドのもとへとやってきて、熊猛紅蓮隊の動向を報告したのだ。アーデルハイドが事前に頼んでおいたわけではなく、エイハブが気を利かせたのだ。

 一度はアーデルハイドの美しい肉体をむさぼったエイハブだが、かのの確固たる決意を知ると、二度と再び求めることはしなくなった。もともと、アーデルハイドのような女は好みではない、と言うのも多少はある。しかし、なによりも、アーデルハイドの覚悟に惚れたというのがその理由だった。

 世の中の法を無視し、人々を踏みにじる。

 そんな悪にはちがいない。しかし、惚れた相手のためならば命を懸ける。

 それが悪漢。

 エイハブはその悪漢集団の首領であり、悪漢の見本のような人物だった。そんなエイハブであれば『これは』と認めた相手に対しては、誰よりも頼もしい協力者となるのは当然だった。

 「たしかに、あなたの言うとおりです。今回の遠征はあまりにも無謀。そんな行為に関わって被害を増やすわけにはいきません」

 「それじゃ、どうするんだい、ハイディ」

 旅を共にしているリーザが尋ねた。

 その横ではカンナが不安と心配を交互に覗かせながら敬愛する主人を見つめている。

 「レオンハルトを切り捨てます」

 「アーデルハイドさま⁉」

 「いいのかい? あんたの故郷じゃないか」

 カンナが叫び、リーザが心配そうに尋ねる。

 アーデルハイドは迷いなく言いきった。

 「国など何度、滅びようとも人さえいれば立て直せます。その『人』を残すためにレオンハルトを切り捨てる。鬼たちがレオンハルトの劫掠ごうりゃくに夢中になっている間に国境沿いに食糧の生産拠点を構築こうちく城塞化じょうさいかし、それをつないで防衛線を張り巡らせせる。レオンハルトのことを心配している暇があったらその間に、一カ所でも多くの拠点とな場所を訪れるべき」

 その言葉に――。

 エイハブはニヤリと笑って見せた。

 「いいねえ、その気っ風き ぷ。さすが、おれの惚れた女。協力は惜しまんぜ。なんでも言ってくれ」

 「ええ。お願いします。レオンハルトの敗北を人類の敗北としない、そのために」

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