四五章 次代への備え

 「熊猛ゆうもう将軍しょうぐん閣下かっか! 我が軍は危機にひんしております。それも、重大な危機に」

 「なんじゃい、そうぞうしい」

 これ以上ないほどに必死な面持ちのメイズに対し、ウォルターは寝そべったまま、面倒くさそうに答えただけだった。

 宴会がすんだあとの天幕のなか。さんざん飲み食いしたせいですっかりキツくなった腹を休ませているところだった。その姿はどう見ても『冬眠明けの熊』。まったく緊張感のない様子に、メイズさすがには怒りを覚えた。

 ――将軍なら将軍らしく、もっと緊張感をもったらどうなんだ⁉ 大勢の部下の生命を預かっていることを忘れたのか。おれたちはいま、敵地に乗り込んでいるんだぞ!

 そう叫んで、ぶん殴ってやりたいぐらいだ。しかし、そんなことをすれば次の瞬間には自分こそがぶん殴られ、首が胴からちぎれる勢いで飛んでいく。それがわかっているだけに怒りをあらわにするわけには行かない。

 そもそも、ここに来るまでだって面倒だったのだ。

 「昼寝するから誰も通すなと言われている」

 その一点張りの見張りをどうにか説き伏せ、乗り込んできた。その闖入者ちんにゅうしゃをウォルターがどやしつけなかったのは、そんな指示をしたことをウォルター自身か忘れているからだ。思い出せばこぶしひとつで叩き出される。その前に話をしてしまわなければならなかった。

 「これをご覧ください、熊猛将軍閣下」

 と、メイズは幾枚かの紙片を差し出した。

 あくまでも『熊猛将軍』呼びなのは、ウォルターのお気に入りの呼称を使うことで少しでも機嫌を取り、話を聞いてもらいやすくするためである。……自分の聞きたいこと以外は聞かないウォルターにどれほどの効果があることか、メイズ自身にしてもはなはだ心許こころもとなくはあったが。

 「あ~ん? なんじゃい、この下手くそな絵は」

 ウォルターは受け取った紙を見るなり面倒くさそうに言った。

 はっきり言われてメイズはやや傷ついたような表情になった。たしかに、ウォルターに手渡された紙には下手な絵が描いてある。しかし、何も後世に残る美術品を作ろうというわけではないのだ。見分けさえつけばいいのである。メイズは胸を張って答えた。

 「私の描いた地図です」

 「地図じゃとお~」

 「はい。鬼界島きかいとうに侵入してからここまでの道のりを地図に描いておきました」

 「ふん……」

 ウォルターは下手な絵をまじまじと見つめた。

 まっとうな感覚をもつ将軍にとって敵地の地図ほど重要なものはない。心配りに感謝し、押し頂くことだろう。それ以前に、自分で命令して作成させているのが普通だが。

 しかし、ウォルターはちがった。興味なさそうに地図を見ると突然、『びっ~!』と大きな音を立ててその紙で鼻をかみ、くしゃくしゃに丸めて放り捨ててしまった。

 これにはさすがのメイズも唖然あぜんとした。自分の見たいこと、聞きたいこと以外には興味のないウォルターだが、まさかここまでがさつな真似をしでかすとは思っていなかった。

 「地図がなんじゃい。そんなもん、いらんわい」

 「地図もなしに、どう進めと言うのですか⁉」

 「進めば敵は出る。敵が出てくる方向に進めば本拠地に着く。それだけじゃわい」

 ふわあああ~、と、大あくびしながら言ってのけるウォルターである。その姿には緊張感の欠片かけらもない。いまが戦争中であり、敵の本拠地に侵入していることを忘れてしまいそうなぐらい呑気のんきな態度だった。

 ――くっ、この極楽とんぼめ!

 メイズはそう思ったが、そんな罵声ばせいを浴びせている場合ではない。熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたい全員の生命が懸かっているのだ。腹立ちを押さえてメイズは語りかけた。

 「熊猛将軍閣下。どうか、よくご覧ください。我々はこの鬼界島の奥地へと誘導されているのです」

 「奥地に入るのは当たり前じゃろうが。わしらは鬼王目指して進軍しておるんじゃからな」

 「進軍しているのではなく、誘導されているのです! 鬼部は我々の前に現れ、戦いを仕掛けることで我々の進路をねじ曲げ、ある場所へと引き込もうとしているのです。おそらく、そこは鬼部にとって戦い慣れた場所であり、罠にかけるに格好の地形。このまま鬼部の挑発に乗って突き進めば必ずや罠に落とされます」

 「罠がなんじゃい。そんなもん、ぶち破って突き進めばいいだけじゃわい。現にわしらは勝ち進んどるじゃろうが」

 「我々は勝っているのではありません」

 「なんじゃと?」

 ウォルターがはじめて『面倒くさい』以外の反応を見せた。眉をしかめ、うさん臭そうな表情になったのだ。自分の勝利にケチを付けられて気分を害したらしい。

 メイズは自分が熊の爪先を踏みつけたことを知っていた。しかし、これは仕方がない。こうでもしなければウォルターの興味を引くことなど出来なかった。

 一歩まちがえればその拳で吹き飛ばされる。それを覚悟で伝えなくてはならなかった。

 「思い出してください、熊猛将軍。戦場跡に鬼部の死体がほとんどないことを!」

 「はん?」

 「本当に我々が戦いに勝っているのなら鬼部の死体はもっと多くなくてはなりません。ですが、実際にはほとんどの鬼部は撤退している。これは、鬼部にとってこの戦いは単なる挑発であり、我々を特定のある場所に誘い込むための陽動だというなによりの証拠です!」

 「ああ、もう、やかましいわい」

 ウォルターはそう言いながら面倒くさそうに手を振った。

 実はこの程度ですませているのは、ウォルターとしては相当に辛抱強く相手しているのだ。虫の居所が悪いときにこんな話を聞かされようものなら問答無用でぶん殴り、いわおのような拳でメイズの頭を破裂させているところだ。そうしないのは宴会あとで気分が良いのと、いい加減、腹が苦しくなっているので、動くのが面倒だったからである。

 「事実としてわしらは勝っておる。重要なのはそれだけじゃわい。鬼どもの死体がないのは、やつらは臆病おくびょうなケダモノじゃから、わし等を怖れてさっさと逃げておると言うだけじゃわい。もう行け。わしの昼寝の邪魔をするな」

 「熊猛将軍!」

 ふたつの叫びが重なった。

 メイズがたまりかねて叫んだのと同じ瞬間、天幕の入り口を開けてひとりの斥候兵せっこうへいが飛び込んできたのだ。

 「熊猛将軍! 鬼部の群れが現れました。こちらに向かって進んでおります!」

 斥候兵のその言葉に――。

 ウォルターはニヤリと笑って立ちあがった。

 そこにはもはや『冬眠から冷めたばかりの熊』などいなかった。

 そこにいたのはまぎれもなく、世界最強の猛将だった。

 「全軍に通達じゃ! わしらの強さを鬼どもに見せつけてやるぞ!」


 「うおおおおっ、勝った、勝った、勝ったぞおっ!」

 いつも通りの吠え声と共に、ウォルターは鬼部の群れ目がけて突撃する。

 これもまたいつも通り、戦術も何もあったものではない。部下に対する気遣いもない。ただひたすらに力に任せて突撃するだけ。部下はただ自分の後を追え。

 ただそれだけ。

 ただそれだけのことで相手を粉砕してしまえるのがウォルターの強さであり、呪術的な畏怖の源泉。しかし、それは同時に深刻極まりない欠点でもあった。

 ウォルターは進む。

 大剣を振りまわしながらひたすらに突き進む。

 そのあとには取り巻きの金熊長きんゆうちょうたちが付き従う。熊猛紅蓮隊は鋼鉄の槍と化して突き進む。その勢いと破壊力の前に鬼部の群れは為す術なく、逃げ惑っている……ように見えただろう。見る目のないものには。

 しかし、メイズにははっきりとわかっていた。鬼部の群れが逃げているのでもなければ、敗走しているのでもなく、自分たちを誘導しているのだと言うことが。

 メイズは必死に馬を走らせ、ウォルターに並んだ。ウォルターの象のように巨大な馬と並んで走るのは容易よういなことではない。その速さ、体力も桁違いだが、肝心の馬が相手の大きさに怯えてしまい、近寄りたがらないのだ。

 そんな馬を叱咤しったして何とか並び、声を限りに張りあげる。

 「熊猛将軍! よく見てください! 鬼部どもは規律を保ったまま撤退しています。あれは断じて逃げ惑うものの姿ではありません! このままでは本当に鬼部の張り巡らした罠に落ちてしまいます!」

 ウォルターはその必死の叫びになんの反応も示さなかった。

 見ているものは目前の鬼部だけ。

 聞こえるものは自らの叫びだけ。

 「うおおおおっ! 勝った、勝った、勝ったぞおっ!」

 無敵の呪文と信じるその言葉を叫びながらウォルターはひたすらに突き進む。

 あっという間にメイズはおろか、取り巻きの金熊長たちもを置いてけぼりにして鬼部の群れ目がけて突っ込んでいく。

 メイズには疲労ひろう困憊こんぱいした馬を止めてその後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 ――駄目だ。あの男はただ群れの先頭に立って突き進むだけ。軍を率いるという感覚はまるでない。

 メイズが『覚悟』を決めたのはまさにこのときだった。

 「……チャップ。間に合ってくれよ。熊猛紅蓮隊が救われるかどうかはお前に懸かっている」


 メイズの不安をよそに熊猛紅蓮隊の快進撃はつづいた。

 目の前に現れる鬼部の群れをそのたびごとに蹴散らしつつ、鬼界島の奥地へと進んでいく。連戦連勝の状況にウォルターは上機嫌であり、もはや、誰にも止められないありさまだった。勝利の陰で深刻な問題が進行していることも気に懸けずに。

 食糧の枯渇である。

 敵本拠地への侵入とあって大量の保存食を用意してきたのだが、何しろ、戦勝のたびに宴会を開いて飲めや歌えの大騒ぎ。限りある食糧を無駄に消費してきたのだ。半年分の食糧も一月あまりでなくなろうというものである。

 しかし、ウォルターの頭脳に『退却』の二文字はない。

 「補給がなんじゃい。腹が減ったら鬼どもの肉を食えっ!」

 そう叫んでひたすら奥へおくへと進んでいく。将兵たちは結局、自分たちで食糧を確保しなければならなかった。

 しかし、見知った人間界であってさえ、何万という軍勢の必要とする水と食糧を道中から得るなどほぼ不可能な難事なんじである。まして、ここは鬼界島。人間の誰も踏み入れたことのない未知の領域。生えている植物も、生息している動物も、人の世とはまったくちがう。そんななかでまともな食糧調達などできるはずもなかった。

 それでも、とにかく、なんとか、現地調達しなければ腹が減って死ぬことになる。その現実を前にしては四の五の言ってはいられない。とにかく、その場にあるものを採集し、動くものを捕まえる。ジロジロと眺め、匂いを嗅ぎ、舌触りを確かめ、食えそうと感じたものを口に放り込む。その結果――。

 いまや熊猛紅蓮隊のほとんどが腹を壊していた。

 腹痛からくる発熱にも悩まされていた。毒のある獣を食って死んでしまった兵士もいる。戦いには常勝だったが、それ以前の問題で熊猛紅蓮隊は消耗しつつあった。

 無事だったのはウォルターぐらいのものである。

 ウォルターだけはどういうものか何を食おうが、何を飲もうが腹ひとつ壊すこともなく、発熱に悩まされることもなかった。相変わらず『ガハハハハッ!』と、高笑いしつつ馬を走らせている。

 その姿にはさしもの取り巻きの金熊長たちも『うちの将軍は腹のなかまで熊らしい』と、熊が聞けば怒るようなことを漏らすしかなかった。

 もちろん、将兵のほとんどが腹を壊しているという事実はウォルターにも伝えられていたのだが、何しろ、自分が無事なだけに深刻さがわからない。

 「たるんどるから腹を壊したりするんじゃ。そんなもん、気合いで治せっ!」

 そう言ってかえりみないありさまである。

 さしもの熊猛紅蓮隊の猛者もさたちも自分たちの行く先に不安を感じはじめていた。そのなかでただひとり、銅熊長メイズだけが黙々と自分の成すべきを事を為していた。

 メイズ自身ももちろん腹を壊し、ずっと微熱を感じている。体がだるい。気分が重い。それを振り払ってひたすらに道のりを紙に記しつづける。

 部下たちに指示して食糧になりそうな植物や動物たちを集めさせ、一つひとつ実際に試してみた。要するに、手あたり次第に食ってみて、その結果を記録に残していったのだ。

 植物や動物の絵を描き、その横に採取した場所、味、食ったあとの症状などを事細かに記していく。メイズの絵心はお世辞にも一級とは言えないものだったので『現物と見比べればどうにかわかる』というものだったが、逆に言えば、現地にいれば役に立つと言うこと。メイズは何ひとつ漏らさず記録を付けつづけた。

 「熊猛紅蓮隊の敗北は人類の敗北ではない。たとえ、一度は押されようとも必ず盛り返し、いつか再びこの地に乗り込んでくる。鬼王を倒すそのために。そのときこそこれらの資料が役に立つときだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る